どんなことにも理由(わけ)がある in London 〜倫敦の霧 番外編〜







「実際のところ、イギリスに寄ったのは正解だと思うよ」

 いつになくピュンマは饒舌だった。

「日本だとさ、僕みたいな黒人や君、いや、僕ら全員で行動しようものなら人目を引いて仕方が無い。 けれどここはどうだい?」

 人の波、白人が多いけれどさまざまな人種が往来している。
 建物を指差し、車の往来に目を輝かせ、22歳の若者にとって始めて触れる先進国の風は 彼の好奇心を絶え間なく刺激し続ける。 滅多に口を開かず、思慮深い奴だと思っていたがこうやってみるとどこにでもいる 普通の22歳なんだとジェロニモは目を細めた。

「――――― 別に・・・先進国に憧れていたわけじゃないけどね・・・」

 彼は後ろめたさを隠すように俯き加減に呟く。声は地下鉄の轟音に掻き消された。











 彼の故郷の名を聞いたとき、その人生が生半可なものでなかったであろうことはジェロニモにも容易に 想像できた。
 ムアンバ共和国、今でこそ独立を勝ち取った国ではあるが、多民族国家であるこの国の歴史は厳しく 辛いものであり、今も尚、苦しみにもがき苦しんでいる国である。
 16世紀ごろからはじまり数百年に及んだ奴隷貿易、続くグルトニアによる植民地支配。 長期間にわたってありとあらゆる資源を施主国グルトニアに吸い上げられ、国民の生活レベルは 悪化の一途を辿った。 その苦しみに耐えかねた民衆が立ち上がり、国際世論も追い風となって独立を勝ち得たのがほんの数年前のことである。
 ようやく明るい兆しが見え始めたこの国の希望も、しかし、長くは続かなかった。
 クーデターが起こったのである。当時軍部の最高責任者だったウンババが政権に反旗を翻し、 水面下ではグルトニアが彼を強力に後押しをしたため、政権はあえなく崩壊。その後はウンババの 独裁政権が続いており、国民の生活レベルは改善されるどころかますます悪化し続けている。
 さらにウンババは自分の政権維持のため、反政府組織に対しては徹底的に弾圧を繰り返した。 そして政権維持に躍起になる彼にとって幸いしたのがこの国の多民族性だった。彼は反政府の立場を取る 民族同士の結束を妨げ、むしろ互いに争うように仕向け、自らの手を汚すことなく反対勢力を効果的に鎮圧していった。 諸外国から見ればただの民族対立に見える内乱も実際は政府軍対反政府軍の戦争で、独立戦争の時代も含めれば 20年以上戦争状態にあるこの国の政情だけを見ても、ピュンマが普通の生活を送ってきたとは到底思えなかった。

 戦いの中では微塵の躊躇いも見せず、冷酷とも思える冷静さで作戦を遂行していく。 ピュンマが育ってきた環境はそういう生き方をしないと生き残れないところなのだとジェロニモは 胸を痛めた。

 だが、彼の目の前にいる青年は漆黒の瞳をひときわ明るく輝かせ、無邪気に笑い、普通の若者と何ら変わりは無い。  地下鉄を乗り換えるとキョロキョロと周囲を見渡し、外に出れば感嘆の声を漏らす。「憧れていたわけではない」と言っていたが、 それは故郷に残した同胞を思いやってのことであり、彼自信の本意が違うところにあるのは明白だった。




















「ここだな」
 ジェロニモが立ち止まった。彼らの前には聳え立つ重油タンクの数々、ここでドルフィン号の燃料を 確保するのが彼らの仕事である。
 それにしても、一体この広大な敷地にどれほどの重油があるというのだろう?
「さすがに大きいね」
 ピュンマも驚きを隠しきれない様子で辺りを見回した。重油特有の刺激臭が鼻につく。 ドルフィン号の燃料などここで揮発して空気に溶け込んでいるものを回収するだけで十分足りるようにさえ 思えた。
 だが、感心ばかりもしていられない。とにかくここの責任者を呼んで重油を買いたいことを伝えた。
「重油? どのくらい必要なんだ?」
 自分たちの話にはさほどの感心も持たない責任者は、話とは全く関係の無い資料を読みながらぶっきらぼうに対応する。 ピュンマが本来の必要量に少しだけ上乗せした量を伝えると、責任者は一瞬驚いた表情で2人の顔を見つめた。だがそれもほんの一瞬で、
「ここにはそんな大量の重油を分けてやる余裕はない」
 彼は再び資料に目を落とし、手だけをひらひらさせた。
「じゃあ、どのくらいだったら分けてもらえるんでしょう?」
 ピュンマは食い下がる。
「だいたいね・・・」
 責任者の口から出された数字は、彼らが必要とする量の3割にも満たなかった。話にならない。 ピュンマはジェロニモを見上げた。ジェロニモも諦めたように溜息をつく。
 その時ピュンマが悪戯っぽい笑みを浮かべ、ジャケットのポケットを探る。
「これね・・・」
 ポケットから出てきたのは分厚い封筒。
「取っておいて欲しいんだけど・・・」それを責任者の手に握らせた。
 ずっしりとした厚みと重み。それが紙幣であること、しかもかなりの額なのは誰の目にも明らかで 男の顔も心なしか緩んだ。
「仕方が無いなぁ・・・」
 そう言って責任者は彼らの希望通り、重油を譲ることを約束した。










「とにかく、これで安心だね」
 帰り道、ピュンマが上機嫌でジェロニモを見上げる。
「あぁ・・・・だが、感心しないな・・・」
「何のこと?」
 ピュンマはワザととぼけてみせる。ジェロニモが言いたいことなど顔を見ればわかる。
「さっきのオマエのやり方だ」
 ジェロニモは不愉快な表情を崩さない。
「問題ないよ。博士だって承知してくれてることさ」
 涼しい顔のピュンマ。
「だが・・・賄賂だ」
「賄賂の・・・どこがいけないんだい?」
 ピュンマの眉間に少しだけシワ寄った。
「あの金で誰かが不幸になるのかい? 重油だってあの程度だったら 分けてもらえる量だったんだ。僕らが買ったところで困る人は誰も居ない・・・。 それに」
「それに?」
「重油が手に入らなければ僕達は戦い続けることが出来なくなるんだ。 そのことを君はちゃんと理解しているのかい?」
 ピュンマはいつに無く強い口調で彼を責めた。
「目的を達成するために手段を選べるほど僕達は恵まれていないんだ」
「だが・・・」
 ジェロニモも反論を試みるが、良い言葉が見つからず口ごもる。
「もちろん綺麗事を言うつもりは無いさ。だけど、僕らがここで立ち往生して、ブラックゴーストの活動を止められなかったら、 こんなちっぽけな平和さえ守れないんだ」
「もっとも僕は正義の味方を気取るつもりはないけれど・・・」そう付け加えるとピュンマは苦々しく笑った。

「目的を達成するためには手段なんて選んではいられないんだ。特に戦いの中ではね・・・・」

 まるで自分に言い聞かせるかのように、彼は再び同じ言葉を口にした。
「僕は敵というだけで罪の無い人をたくさん殺してきたんだ・・・。 金だけで解決できるんだったら、それは幸せなことさ」
 唇を噛みしめながら語る彼に、ジェロニモはもう返す言葉が無かった。










 ブラックゴーストの攻撃に負傷した007が戻ってきたのは夜もすっかり遅くなってからのことだった。









 そして、3日後――








 彼らはビルの屋上でハチ型爆弾を迎え撃つことになった。
 1匹1匹の戦闘能力は他愛も無いもので改造された彼らにとっては容易に叩き潰せる敵だが、  とにかくその数が多い。次から次へと湧いて出てくるハチの集団に、結果的に彼らは苦戦を強いられた。
「この数じゃこなしきれねぇ!!」
 撃っても撃っても一向に減る様子の無い敵に002が忌々しげに叫ぶ。005は彼方に見える石油コンビナートの方を 振り返ると、ある決意をした。
「俺に考えがある、ついてこいっ!」
 周囲に有無を言わせることなく、005がハチを抱え走り出した。







 005の走る背中を追いかけながら、008は言い知れぬ不安を覚え始めた。
 周囲の景色は3日前に見たもので、だとすれば005の向かう先はきっとあのコンビナートに違いない。
(まさか・・)
 彼の中で燻っている不安が徐々に大きく膨らみ始めた。
<008、確かにお前の言う通り、俺たちには手段を選んでいる暇など無い! 俺もやる。見ていてくれ。俺のやり方を!>
 脳に伝わる005の通信で008は全てを悟った。

(ヤメロ! せっかく手に入れた燃料なんだぞ!!!)

 そう思うがなぜか声にならない。冷や汗だけが背中を伝う。

 彼らが石油コンビナートに到着すると、振り向きざま005は次の指示を出す。




「ニードルモードで穴をあけるんだ!」




 スーパーガンから放たれる金属の針が次々とタンクに穴をあけていく。 周囲から次々と重油が流れ出し辺りは独特の異臭に包まれる。 吸い込んだ空気が肺を刺激し、むせそうになった瞬間、




「火だ!!!!!!」




 威圧的とも思える005の叫び、反射的に006が炎を吹く。




「やめろぉ!!!!」




 悲痛なまでのピュンマの叫び声、しかし全てが遅すぎた・・・。









ず・ど・ど・ど・どどどーーーーーーん!!!






 壮絶な爆発音と立ち上る炎。凄まじい風圧で熱風が押し寄せた。あれほどの大量のハチは一瞬にして燃え尽き、 焼けた身体が地面を覆い尽くしていった。全ての締めくくりを意味するかのように、005は抱きかかえていた ハチを憎々しげに拳で破壊した。
 燃え盛る炎を前にピュンマは崩れ落ちそうな気分を保つのが精一杯だった。







―― 石油コンビナートの爆発で被害を受けた重油の量は・・・・


 昼に起きた謎のコンビナート爆発事件はその後のニュースでも大きく取り上げられた。 幸い、彼らの破壊工作の目撃者はおらず、大量に発生した大型のハチとともにミステリアスな 事件として取り扱われているようであった。

 ジェットがイライラした手つきでリモコンのスイッチを押す。
 テレビの画面が暗くなった。

「どうするよ、重油」
「せっかく手に入れたアルのに」
「・・・・すまん」
 ジェロニモは大きな身体を申し訳なさそうに縮め、居心地悪そうに何度も椅子に座りなおす。
「まぁ、背に腹は替えられなかったんだし、ああでもしないとハチを仕留められなかったのも事実だし」
 ジョーが必死でジェロニモをかばう。
「そうよね。ハチにやられてしまっては元も子もないアルネ」
「でもさ・・・・」
「重油どうする?」











「「「「「「はぁーーーーーーーーー」」」」」」








〈了〉



 以前「Metal Chamber」掲示板にて、キリ番踏んだわけでも何でもないのに「HOIHO様の58がもっと読みたい!」と図々しくも叫んだ管理人。なのに慈悲深いHOIHO様はそれをちゃんと覚えてて下さって、畏れ多くもこんな素晴らしいお話を書いて下さいました。あああ〜っ、ありがとうございますうううぅぅぅっっっ(←絶叫)!!!
 「目的を達成するために手段を選べるほど僕達は恵まれていないんだ」…きっぱりとこう言い切るピュンマ様の脳裏をよぎったのはムアンバの苦難の歴史か、はたまた過酷な現実か。内乱の中、果敢に戦い、生き抜いてきた猛者としてのクールなピュンマ様に、管理人卒倒致しました(かじって正気に戻したのはボクでちよ<案内人)。
 そのお言葉に、優しい巨人ジェロニモ様は何を思われたのでしょうか。しかしながらジェロニモ様もやはり歴戦の勇士。襲い来るハチの大群になす術をなくしかけたそのとき下した決断、そして行動には迷いなどこれっぽっちもなかったのですね。
 …と、ここまでならば読む者の心を揺さぶるまぎれもないシリアスだったのに、最後でそれを一気に覆すあの台詞、そしてあのため息には大爆笑。管理人、今度は呼吸困難に陥りました(…もうボクには面倒見切れまちぇん<案内人)。

 HOIHO様にはあらためて厚く御礼申し上げます。本当にどうもありがとうございました。
 



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