第五章


 統治体ラヴォール駐屯基地は、夜の中に黒々と浮かび上がっていた。床も壁も冷たい石造りの、所々むき出しのコンクリートで補強された廊下をあちこち引き回されて、たどり着いた取調室。そのあたりのことは、よく覚えていない。アジトの次の記憶は、灰色の床に横たわった頬に当たる、凍るような石の感触。
 …身体のあちこちが痛い。口の中が切れ、血の味で一杯。…遠くで、誰かが叫んでる。聞き慣れた、懐かしい声。
 不意に、髪の毛を掴んで引きずり起こされ、今度こそセレインははっきりと正気を取り戻した。思うや、頬に飛んでくる平手打ち。悲鳴を上げながら、奇妙に冷静に、納得する。…ああ、こんなことされてたんじゃ、口の中がずたずたになるのも、無理はないわ。
「セレイン!」
 名前を呼ばれて振り返ると、彼女よりもさらに過酷に責めつけられ、傷ついたあの人がいた。その姿を目にした途端、セレインののどから激しい悲鳴がほとばしった。
「何てことするのよ! あんたたち、一体何の権利があって!」
「権利、だと?」
 部屋の隅、一つしかない椅子にふんぞり返った男が、ゆっくりと立ち上がる。他に、ここにいる兵士は四人。二人ずつ、しっかりと、セレインと恋人の四肢を押さえつけている。そいつは、この中では一番の高級将校なのだろう。軍服のあちこちに、これ見よがしの、グロテスクなほどにたくさんの飾りがついている。
「なかなか、味な言葉を知っているね。…え、お嬢さん」
 にやにや笑いながら、男の靴がセレインの顔を蹴り上げた。
「やめろ! …その娘はまだ、未成年なんだぞっ!」
 抗議の声を上げる青年のみぞおちを、男は今度は膝頭で蹴り飛ばした。
「未成年だの権利だの、言葉だけはたくさん知っているようだな。だが、お前たちはその意味を知らない。使い方もだ。そんな言葉にふさわしいのは、善良な、おとなしい市民だけなんだよ」
「…あんたこそ、言葉の使い方を間違えてるぜ。善良だと? おとなしいだと? 言い直せよ。統治体の息がかかった奴らとな!」
「それが、何故いけない」
 男はあくまでも落ち着き払い、優越感にどっぷりとひたった笑みを浮かべた。
「我々は、この惑星を救うために来たんだよ。この寒い、冬の惑星へな。…ふう。こうしているだけでも身体が凍りそうだ。私はこれでも、地球の高緯度地域の出身だからまだ寒さにも耐えられるが、赤道近くの国で生まれた者などは毎日泣いているよ。それなのに、ここに来たのは何の為だと思っているのかね」
 男が顎をしゃくうと、兵士の一人が思い切り青年の腕をねじ上げた。彼は苦痛に顔を歪めながらも何とか耐えたが、かわりにセレインの、息も絶え絶えな悲鳴が響いた。
「やめて! やめてやめて!」
「あんたたちは、この惑星を侵略する為にやってきた。…そして、ラヴォールを俺たちの手から奪い取り、好き勝手なことをしてるんだ…」
 ぎしぎしと骨のきしむ嫌な音の中、彼はそれでもはっきりと言い切った。
「偉そうに。我々の助力がなかったら、今ごろこの惑星は滅びていたよ。銀河中から集まった、あのならず者どもの思うままにな。自分たちでは何もできなかったくせに、大きな口を叩くんじゃない」
 男の言葉が終わらぬうちに、鈍い音が響く。青年の腕が、折れたのだ。途端、セレインは凄まじい力で兵士たちを跳ね飛ばし、恋人のもとに駆け寄り、彼をかばうようにしてきっと男を睨みつけた。
「大きな口を叩いているのはどっちよ! …私たちが何もできなかっただって? よくそんなことが言えるわね。そう仕組んだのはあんたたちじゃない。リコゼッタを殺して! ラヴォールをめちゃめちゃにしたのは統治体じゃないの!」
「何?」
 男は怪訝そうにセレインを見やった。
「お前たちは知らんのか。リコゼッタ暗殺の犯人はラヴォール人だぞ」
「何だって?」
 セレインの目が、大きく見開かれた。背後の青年もはっと身体を固くしたのが、気配でわかる。その様子に、男はかえって驚いたようだった。
「本当に何も知らんのか。リコゼッタは、ある研究を進めていた。ラヴォールの勢力を伸ばすために利用しようとしてな。もともとの発明者は家族もろとも殺された。リコゼッタの計画に反対したからだ。リコゼッタはその後も独自のチームを組んで研究を続け、人体実験だって、何度もやったというぞ。ラヴォール人を使ってな。そして最後は、その実験体の一人に殺された…これが真実さ」
「嘘よ!」
 セレインは叫んだ。子供の頃からずっと、英雄と信じてきた人間。その真の姿がそんな、残酷で愚かなものであるはずがない。唇の端から血をにじませながら、傷ついたのどで彼女は必死に叫びつづけていた。
「嘘なものか。…まあいい。信じるかどうかはお前らの勝手だ。どうやら私は、少々喋りすぎたようだしな」
 部下たちの咎めるような視線をごまかすように大きな咳払いの音をさせ、男はあらためてセレイン達の方に向き直った。
「ろくでもない支配者を持ったろくでもない惑星でも、私たちは懸命に守ってきた。その、せっかく守ってきたものを貴様らのようなテロリストに破壊されたくはない。…さあ、話してしまえ。残りの仲間はどこにいる? そいつらの名前は? それさえ聞けば、お前たちの命まで取ろうとは言わん」
「知らないね」
 そのときまで片腕を押さえ、低い呻き声をもらしているだけだった青年が、吐き捨てるように答えた。
「俺たちのアジトがお前らに襲われたのはとうに仲間たちの耳に入っているさ。みんな、もうとっくに安全なところに逃げちまっているだろうよ。いざというときの最後の『巣』は、各自一人一人が自分だけの秘密にしているから、俺たちにだってわかりゃしねえ。…時間の無駄だ。もう、よしにしようぜ。…殺すなら、さっさと殺せよ」
 言いながら、彼はゆっくりと身を起こし、セレインの前に出た。すっかり痩せてしまったけれどもまだ彼女をかばうには充分に広い背中にしがみついていると、こんな状況だというのに不思議な安心感がわいてくる。
(もし、ここで殺されてしまっても)
 うっとりと目を閉じ、セレインはぼんやりと考えていた。
(彼がいれば大丈夫なんだわ。何が起こっても、たとえ、死んでしまったとしても、とにかく彼がいれば大丈夫。…そう、大丈夫よ)
 将校が、莫迦にしたように鼻を鳴らすのが聞こえた。その手が腰の銃にのび、至近距離からぴたりと照準を青年の胸に合わせる。引き金にかかった指に、ぐっと力が入る。
 ジュッ…と、何かが焼けるような音。焦げ臭い臭い。恐る恐る開いたセレインの目に、恋人の肩からにじむ血の赤と、頬のすぐ脇の壁に開いた、焼け焦げた穴の黒が飛び込んできた。
(大丈夫だよ)
 そっと振り返り、青年が微笑んで見せる。セレインももう、さっきのように叫んだりはしなかった。
 引き金が引かれるたびに、細い、青白い光がほとばしる。何本かは二人の身体からすれすれのところでそれて背後の壁を焼き、何本かはわずかに、だが確実にその腕を、足を、顔をかすめて紅い筋を作った。その中で、彼らは身じろぎ一つせず、ただ、手と手をしっかりと握り合ったまま、静かに相手を見返していた。やがて、将校が諦めたように肩をすくめる。
「…どうやら、完全に開き直っちまったらしいな」
 銃を戻しながらの、いまいましそうな舌打ち。
「ま、死ぬってのは一番簡単なことだから無理もないかもしれん。…だが、それならそれでこっちにも方法はあるんだ」
 隣に控える兵士の一人に軽い目配せ。部下はすぐにうなづいて、音もなく部屋を出ていく。にやりと笑いながらそれを見送った将校が、セレインたちの方に近づいてくる。その目がひたと自分に注がれているのに気づき、セレインは小さく縮こまって恋人の背中に顔をうずめた。
(大丈夫だよ)
 再びささやいた、青年の力強い声。が、そのときにはもう、男は二人のすぐ目の前まで来ていたのだ。
「死ぬのが怖くないのなら、生きるのは、どうかな…?」
 言うや、男の足が、青年の折れた腕を蹴り上げた!
「う…ぐっ」
 さすがにこらえきれぬ悲鳴を上げて、その身体が横に転がる。同時に、将校はセレインをがっちりと押さえこみ、後ろに下がりつつ、彼女の口をこじ開けた。
「おい」
 顎をしゃくった上官にうなづきかけ、部屋に残っていた兵士たちが青年を再び押さえつけた。青年の片腕は異様な角度に捻じ曲がり、ぶるぶると震えていた。
「そのまま、固定しとけ」
「あ…あ」
 両頬を太い指でがっちりと押さえつけられたセレインには、声を立てることもできない。
 そこへ、さっき出ていった兵士が戻ってきた。足早に将校に近づき、小さな瓶を差し出す。将校は、満足そうにうなづいた。
「これが何だかわかるか? …水銀だよ」
 瓶の蓋は開いている。将校が、そちらのほうへぐいとセレインの顔をねじ向けた。その目配せとともに、兵士はゆっくりとセレインの口元に瓶を近づけていく。
「知ってのとおり、水銀はのどを潰す。確か、この娘は歌手だったな」
「や…やめろっ!」
 叫んだ青年の腕は、ねじれたまま後ろに回され、身体ごとロープでぐるぐる巻きにされている。
「人の心配なんかしている場合か。君だって、そのまま放っておけば片腕は一生使えない。声をなくした歌手と二人、元ゲリラという肩書きつきでどう生きていくか…見物だな」
 固い、冷たい瓶の感触が唇に触れる。セレインは目だけを懸命に動かして、苦悩に顔を歪ませている恋人に訴えた。
(大丈夫よ! 何があったって、あたしは後悔しない。あたしは、何も喋らないわ。だから貴方も…貴方も話さないで。何も…そう、何も!)
 しばしの沈黙。誰もが皆動きを止め、次の展開を息を詰めて見守っている。
(お願い! 迷わないで。悩まないで。こうなるのも、覚悟していたことじゃない。…仲間を裏切ることだけはしちゃ駄目なのよ! あんなに熱っぽく…真剣にラヴォールのことを考え、この惑星に殉じようとしていた仲間たちを!)
「…わかった。もう、やめてくれ」
(え…?)
 恋人が、喘ぐようにつぶやいた、その言葉。一瞬、意味がわからなかった。がくん、と力の抜けたセレインの身体が、ほんの少し、自由になる。頬を押さえていた将校の手が、離れたのだ。
「ようやく素直になってくれて嬉しいよ。我々だって、こんな可愛いお嬢さんののどを潰したり、前途ある青年の一生をめちゃくちゃになど、本気でしたいわけじゃないんだからね」
 少しずつ…少しずつ、交わされている会話が心に届いてくる。見苦しいくらい笑み崩れた将校の顔、唇を噛み、今にも舌を噛みきりかねない、思いつめて自暴自棄になった恋人の顔…彼らの言葉の内容が理解できた瞬間、セレインの凄まじい叫びが響いた。
「駄目よ! 話しちゃ駄目 何も…やめて、貴方! お願いだからぁ…っ!」
 そのあとは、意味をなさないただの喚き声。激しく身をもがくセレインを必死に押さえつけていた将校が、やがてうんざりしたように怒鳴った。
「この女を何とかしろ! 逆上しちまって手におえん!」
 兵士達があたふたと上官に加勢する。まとわりついてくる手の、指の。どれがそれを隠し持っていたのか、セレインには永遠にわからない。
 首筋に、ちくりと小さな棘が刺さったような気がした。痛い、とさえ思わなかったかすかな感触。が、それは一瞬のうちにセレインの意識を奪い、彼女は冷たい石の床の上に、ぐったりと崩れ落ちていった…

「あたしたち、裁判にかけられたわ。形だけのね。尋問も、統治体側の論告も相当厳しかったけど、所詮は全て、見せかけ…結局は、自らの罪を反省し、ゲリラ撲滅に協力したということで情状酌量。保護監察つきの執行猶予よ。あっという間に自由になり、釈放されたけど…もう、あたしたちを迎えてくれる仲間はラヴォールのどこにもいなかったわ」
 そこで、セレインは大きく息をついた。落ちた肩が、それとはわからぬほどに震えているのを、セイは無言のまま、痛ましげに見つめている。
「彼…ね。喋っちゃったのよ、みんな。あたしが気を失っている間に。求める情報を手に入れた掃討舞台は勇躍出動…そして、あたしたちの仲間はほとんど全員…殺されていた。残っていたのは『裏切り者』の烙印と、冷たい軽蔑の眼差しだけ」
 くすりと、セレインは笑った。眉をしかめ、泣いているような表情で。
「彼はしばらくの間、廃人同様だった…腕の方は、あの将校たちが手のひら返したような態度で丁寧に治療してくれたからすっかり治っていたんだけど、心は…ね」
 セイが、黙ってうなづく。いつしか少年はセレインの傍らにひたと寄り添って座り、彼女の手をしっかりと握りしめていた。
「ようやくもとに戻ったのは、一年近く経ってからよ。あたし、それを聞いてすぐに会いに行ったの。あんたも知ってる、アモールの支配人があたしの身元引受人になってくれて―あの人、孤児だったあたしを拾ってくれて、ずっと育ててくれたから―あたしの方は、それでも結構いい身分だったんだけど…彼の方は、すっかり変わってた」
 少年の手を、セレインの冷たい手がぐっと握り返す。細い指の先から血の気が消え、真っ白になるほどに。
「暗い目をして…うずくまって…あたしを見て、顔を背けたわ。ほんとはあたし、あの人を抱きしめたかったの。優しく背中をなでて、慰めてあげたかった。なのに、彼がそうするのを見た途端、あたし…!」
 言葉が途切れ、セレインは両手に顔を埋めた。肩が、背が、髪が震えている。セイが静かに、手を差しのべる。が、その指がセレインに届くよりも早く彼女はきっと顔を上げ、真っ直ぐに少年の紫の瞳を見つめ、言葉を続けた。
「あたし、罵ったのよ、彼を。『卑怯者!』『弱虫!』『裏切者!』ありとあらゆる、知っている限りの酷い言葉で。…彼は黙って聞いてた。反論一つ、弁解一つしなかった。あたしだけが、怒鳴ってた…」
 遠い目。視線を少年に向けてはいても、セレインは今、もっとずっと遠くを見ていた。そこにいるのは昔の恋人? いや、違う。彼女が見つめていたのは、彼女自身。
「とうとうあたし、いたたまれなくなって飛び出したわ。あたしが罵りたかったのは、本当はあたし。責めていたのは自分だった、ってことに気づいたから。彼を非難する資格なんて、あたしにはなかったのにね。彼に仲間を裏切らせたのは、誰でもない、あたしなのにね…」
 消え入りそうなつぶやきが、突然堰を切ったような叫びに変わった。
「あたし、自分を憎んだわ! どうして…どうしてあの時、死ななかったんだろうって。あたしがいなければ彼は喋ったりしなかったわ! あたしが、自分で死ねばよかったのよ! そうでなければ、いっそあの瓶の中身を一息に飲み干してしまえば…」
「セレイン! セレイン、もういい! やめろ」
 セイの手がセレインの両肩を激しく揺さぶった。はっと我に返ったように、セレインの目が少年に戻る。その彼女を、セイはきつく抱きしめ、耳元でささやくように繰り返した。
「誰も…誰も悪くないよ。ただ…相手の力が大きすぎただけだ。どんなにあがいたって、抵抗したって、個人ではどうしようもない大きな力が、この世にはある。悔しいけど…哀しいけど…確かに、在るんだよ」
「セイ…?」
 セレインが、驚いたように少年を見上げた。少年の声が、泣いているように聞こえたからである。しかしそれは気の所為に過ぎず、セイははっきりと、力強い口調でセレインに語り続けていた。
「大きな力に無理矢理押さえこまれ、自分の意思を…心をねじ曲げられる悔しさは、僕もよく知ってる。…許せない。一生かけても、僕は奴らを憎む。僕の想いを、力づくで奪い取ったあの大きな力を。…でも、だからといって自分が弱かったことを恨んじゃいけないんだよ。怒る相手をすり替えたって何の解決にもならないし、第一、そんなことをしたらそれこそ奴らの思うつぼだ。…そう、思わない?」
 そういって、にっこりとセイは笑った。つられてセレインの表情もほんの少し、和む。しかしすぐに彼女の顔はまた、悲しげに歪んだ。
「そうね…あんたの、言う通りだわ。でも、駄目なのよ、あたし。今でも、彼の顔を見ると、憎まれ口ばかり。彼の姿の向こうにいる、昔のあたしをどうしても、許すことができないの。…彼を苦しめることにしかならないのにね」
「大丈夫だよ」
 もう一度、セイは優しく微笑んだ。
「マスターはきっと、全部わかってるし…何よりも、セレインをまだ、この世で一番愛してる」




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