何日君再来 4


 そしていよいよ「決戦の金曜日」ならぬ土曜日。秀桜学園高二Aの三バカトリオ―じゃなかった、仲良し三人組が授業終了と同時に帰り支度を完了し、ホームルームの間中、学生鞄の持ち手を握りしめつつやきもきしていたのは言うまでもない。
 いつものごとく、ホームルームはあっという間に終わるはずだった。
 しかし―。
「よし、今日はこれで終わり!」
 待ちに待った中村教諭の宣言とともにクラス全員が立ち上がったとき、もっさりとした担任教師はふと、思い出したようにつけ加えたのである。
「…あ、そうだ。藤蔭! 安部先生が呼んでらしたぞ。帰る前に社会科研究室に寄ってほしいそうだ。確かに伝えたからな。忘れるなよ!」
 そのあとはお決まりの「ごきげんよう」の大合唱。中村教諭が出て行くやいなや、巻き起こる歓声、「さよなら」の挨拶もそこそこに、我先にと教室の外へと飛び出して行く生徒たち。
 そんな中、ただ一人呆然と立ちすくんでいたのはもちろん聖である。
(…冗談じゃねーよ…安部センセだってぇ!? よりにもよってあのオバちゃん、何でこんな大事な日に、人のこと呼びつけたりするんだいっ!)
「聖…?」
 煕子と瞳子に両脇からそっと声をかけられて、聖ははっと我に返る。
「ねぇ、大丈夫? 初音ちゃんに呼び出されたんじゃ、バっくれるわけにもいかない…よね?」
「うん…学校のことじゃなくて、『家庭の事情』ってやつかもしんないしぃ…」
 二人の声にいつもの元気がなく、どこか遠慮がちなのも当然である。社会科の日本史担当、安部初音教諭は聖の父、光一郎の妹―聖にとってはまぎれもない、実の叔母だったりするのだった。しかも生徒指導部長、理論派のバリバリとくれば、いかに姪とはいえ、一介の生徒に太刀打ちできる相手ではない。
 不安げに自分を見つめる二人の視線に、聖は覚悟を決めた。
「しょーがない。行ってくる。…悪いけどさ、十五分だけ待っててもらっていい? 今ちょうど十二時半でしょ。四十五分になってもあたしが戻らなかったら、二人とも先に楽音堂に行ってて」
「え…いいの、聖」
 訊き返した瞳子に、聖はきっぱりと言った。
「うん。だって、あんたたちまで巻き添えにするわけには行かないもん」
 そして、まだ何か言いたそうな二人を置いて、聖は悲壮な覚悟で教室をあとにしたのであった。

 社会科研究室は中等部校舎の三階にある。そこにたどり着くまでには、どれほどの中学生の熱い視線、密やかなざわめきの嵐にさらされなければならないことか。
(あー、うざってぇ)
 これだけでも、自分を呼び出した安部教諭―叔母への怒りにはらわたを煮えくり返らせていた聖であった。
「…失礼します」
 今にも怒鳴りつけたい気持ちをこらえ、精一杯平静な声をかける。おそらく、今の聖の背中には、超巨大な猫の霊が覆い被さっていることだろう。重い鉄製の引き戸を開ければ、安部教諭がたった一人で聖を待っていた。
「あの…お呼びだと伺いましたが、何の御用でしょうか、安部先生」
 父と叔母たちは、年齢がかなり離れていたと聞いている。とはいえ、安部教諭もすでにもう四十を二つか三つは越えているはず。だが、軽やかなショートカットに細身のパンツスーツを小粋に着こなしたその姿は、とてもそんなふうには見えなかった。毎日、中高のやんちゃな女生徒どもを相手にしていては、のんびり年を取る暇もないのかもしれない。それに、生徒指導部長といういかめしい肩書きにもかかわらず、安部教諭は以前からかなり進歩的な自由主義者であり、若者たちの流行にも敏感な人だから、きっとそんなことも影響しているのだろう。事実、姉亡きあとの聖にとって、彼女は親戚中で一番話しやすい、身近な存在になっていたのである。
 しかしそれも、この学校に入学するまでのこと。いかに実の叔母姪ではあっても、教師と生徒という関係になってしまったからにはそれなりのけじめをつけなければいけない。これはもう、聖が入学式のその日から、当の安部教諭に骨の髄まで叩き込まれた鉄の掟であった。
 だが―。
「あら聖。意外と早くやってきたのね。普段から糸の切れたタコみたいなあんただから、とっ捕まえるのは大変だと思ってたのに。…うん、やっぱり中村先生に頼んで正解だったなー♪」
 何か、様子がおかしい。家族だけでいるときならともかく、学校内でこんなぶっちゃけた物言いをする安部教諭など、今まで見たことがない。
「安部先生…?」
 一応まだ丁寧に、聖は問い返してみる。ここでこちらまで調子に乗って地を出したりしたらあとでどんな鉄拳制裁が待っていることか。中学入学以来四年半、身体を張って学習してきた方からすれば、油断は大敵である。
 なのに、そんな聖の気遣いになどお構いなく―。
「あー、今日はもう、ここはあたしとあんたの二人きりだからね。そんなかしこまらなくていいって。それよりあんた、これからちょいとあたしにつき合ってよ。…おばーちゃんち。義姉さん―あんたのお母さんにはもう、了解とってあるから」
「えええええっっっ!」
 被っていた猫も一瞬にして雲散霧消、とっさに大声を出してしまった聖を咎めるのはあまりに酷というものであろう。
「ちょっと叔母ちゃんっ! 言うに事欠いていきなり何言い出すのよっ! あたしにだって都合ってモンがあるんだからっ! それも、ばーちゃんちぃ? 冗談じゃないよっ!」
 別に祖母を毛嫌いしているわけではないが、正直、少々苦手というのが本音である。何しろ祖母の鎮女は「一族の長」だけあってその「気」―今風に言えばオーラか―の強さが半端ではない。「能力」を持たぬ人間ならおそらく何も感じないだろうが、まがりなりにも一応それらしきものを持つ聖にとっては、たとえ一緒にいるだけでもその強烈な「気」に圧倒されてしまい、自我を保つのが精一杯、ヘタをすれば自分の「気」を完全にすり減らして数日間は使い物にならなくなるのが当たり前なのだ―って、そんなことはどうでもいい。
(よりにもよって、どーして今日なんだよっ!)
 もう何ヶ月も前から指折り数えて発売日を待っていたユーミンのニューアルバムと特大ポスターがかかっているとなれば、悪あがきの一つもしたくなるのが人の常。たとえこのまま祖母の家に引きずられていく運命には逆らえないにしても、せめてその前に楽音堂には寄って行きたい。だがそんな聖の思いなど、安部教諭にわかるはずもなく―。
「あんたねぇ、いくら何でもその言い草はないでしょう。まがりなりにも実のばあちゃんだろうにさ。可愛い孫にそんなこと言われたって知ったら、お祖母ちゃん落ち込んで、ヘタすりゃぽっくり逝っちゃうよ? 年寄りには、精神的ショックが一番よくないんだから」
(あのばーちゃんが、そんな可愛らしいタマかよっ)
 言い返したいのを鋼の自制心で無理矢理押さえつけ、一応「お願い」などしてみる。
「わかった…。でも叔母ちゃん、ちょっとだけ…ちょっとだけ教室に戻ってきていい? あたし今日、瞳子や煕子と一緒に帰る約束しちゃったから…そのこと言ってきたいの」
「松宮さんや後三条さんと? だったらあたしも一緒に行くわ。こっちももう、すぐに出られる準備してあんたのこと待ってたんだから」
「げ…」
 瞬時に強張った表情を、安部教諭が見逃すはずがない。
「何よその顔。…さてはやっぱり逃げようとしてたね。実の叔母を甘く見るんじゃないよ。今日ばかりはあたしだって譲れないんだ、首に縄つけてでもおばーちゃんとこ、連れてくからねっ!」
 もはや聖に返す言葉はない。瞳子や煕子をすっぽかすのは心苦しかったが、安部教諭を連れて戻るよりゃ遥かにマシ。何と言っても、秀桜学園の校則では登下校途中の寄り道は絶対禁止なのだ。これからみんな揃って楽音堂に寄るなんてことがバレたら―それも生徒指導部長に―もう、二人には首でも括って詫びるしかない。だったら、このまま黙って出て行った方がまだ申し訳が立つ。
(そうだよね…一応二人には、十五分たったら先に行ってて、って言っといたんだし…)
 しばしうつむいて絶句したのち、再び顔を上げた聖はもう、完全にヤケクソになっていた。
「…すみません。私が悪うございました。おとなしく叔母ちゃんの―いえ、先生のお供をさせていただきます」
「おー、良い子良い子。最初っから、素直にそー言えばいーのよ」
 ぎりぎりと歯を食いしばった聖に、安部教諭がにっこりと笑いかけた。

 学校から祖母の家までは、電車を乗り継いでおよそ三十分かかる。大したことはない距離ではあるものの、聖の家からはちょうど反対側に当たるため、帰りはゆうに一時間以上かかることだろう。道中ずっと仏頂面の聖だったが、それを思うとますます気分が重くなってきた。こうなったらもう、一分一秒でも早く祖母の用が終わることを祈るしかない。
 しかし、さしもの仏頂面も祖母の家の門をくぐるまでのことだった。
「きゃあ、お姉ちゃあんっ!」
 安部教諭―いや、初音とともに一歩玄関に入った途端、転がるように飛び出してきたのは、もう一人の叔母、初音の妹にあたる御法(みのり)の娘、せいるである。まだ五歳になったばかりの小さな従妹は、くしゃくしゃの笑顔を浮かべて思い切り聖に飛びついてきた。
「まあ、せいる。お姉ちゃんたちがおうちに上がれないじゃないの。ほら、早く離れて。…姉さん、聖ちゃん、いらっしゃい」
 せいるのあとに続いて、当の御法叔母が姿を現した。いつもながらのしっとりとした和服姿が奥ゆかしい。今日の装いは、冬を意識してかやや灰色がかった淡い紅紫(それとも、淡蘇芳といった方がいいだろうか)を地色にした江戸小紋。しかしこの御法叔母という人、もう三十代も半ば過ぎだというのにまだまだ華やかな朱鷺色や浅黄色もよく似合う、若々しさと品のよさ、そして泰然自若とした落ち着きが見事に溶け合った淑女なのである。いつも活動的なパンツスーツを溌剌と着こなし、歯に衣着せぬ物言いをする初音叔母とはえらい違いだ。もっとも、しとやかで品がいいだけでは女子校の教師など務まらないだろうけれども。
「お母さん、もう奥で待ってるわ。…さ、どうぞ」
 なおもまとわりつこうとするせいるをさり気なく遮りながら、御法がスリッパを勧めてくれた。それに履き替え、聖と初音は家の奥へと進む。
 都内にしてはかなり広い、純和風の屋敷。今ここに暮らすのはは御法夫婦とせいる、そして鎮女の四人だけだ。長男の光一郎は「能力のない跡取り」という立場を疎ましく思ったのか就職と同時に家を出てしまったし、初音も比較的若い時期に安部家に嫁いでしまったため、結局末っ子の御法が婿養子を取り、夫貞輝(さだてる)とともに藤蔭家を継いだ形になっている。
 はしゃぎまわるせいるをあやしながら、曲がりくねった廊下をさんざん歩き回り、ようやくたどり着いた一番奥の座敷で、祖母は待っていた。
「お待たせしました、お母さん。…やっとつかまえたわよ、このタコ娘」
 一足先に座敷に入った初音が、聖の背中をぐいと前に押し出す。
「ああ。初音も聖も、わざわざ呼びつけて悪かったねぇ」
 座卓の向こうに座った祖母は、満面の笑顔で迎えてくれた。御法と同じ和服姿ではあるものの、こちらはかなり渋めに、くすんだ青緑色(木賊色)の紬。年相応というやつなのかもしれないけれど、聖などの目から見れば、「ババアなんだからこそ、もうちっと派手な色とかも着てみろよ」とでも言いたいところ。しかしそんなことはどうでも、久しぶりにやってきた孫娘を前に、鎮女の表情はいかにも優しげかつ嬉しげであった。一方聖はというと、早くもこの祖母の圧倒的な『気』の圧力に押されて半ば窒息しそうになっていたりする。
 だが、ここまできて逃げ出すわけにも行かない。仕方なく、勧められた座布団に腰を下ろし、きちんと姿勢を正して祖母に一礼する。
「どうも。…お久しぶりです、お祖母ちゃん」
 そこへ、御法がお茶を運んできてくれた。薄焼きの美しい茶碗を三人の前に置いたあとは、まだ聖や初音にまとわりつきたそうなせいるをそっと促して、そのまま座敷を出て行く。
「いやあぁぁ…んっ! もっと、お姉ちゃんたちと遊ぶのおっ」
「お話が終ってからね。…今日はお姉ちゃんたち、お祖母ちゃんの大事なお話があるからいらしたのよ」
 母子の声が、ゆっくりと遠ざかっていく。やがてそれがすっかり消えた頃を見計らって、鎮女が一つ、小さな咳払いをした。
「…それじゃ、話に入ろうかね。ところで初音、お前はどの程度聖に話しているんだい?」
「いえ、まだ何も。どうせなら、全てお母さんの口から話してやった方がいいかと思って」
 初音の言葉に軽くうなづいた鎮女が、今度は聖に向き直る。
「今日お前に来てもらったのは他でもない。実は一つ、頼みごとがあるんだよ」
「え…?」
 聖の体が固くなった。今まで、あれこれ理屈をつけて祖母の「手伝い」をさせられたことは何度もあるが、こんな改まった形で頼みごとをされるなんて、多分―生まれて初めてだ。
「お前も聞いてるんじゃないのかい? 今、学校に出ている『幽霊』の噂」
「あ…あ、あれ」
 とりあえずうなづいたものの、それは聖たち高等部の生徒にとってはまるっきりの他人事、それ以上何も言えるわけがない。
「どうやら、ただの噂じゃないね。今あそこには、確かに何かがいるよ。…この間、お峰さん―校長先生に頼まれて私も学校に伺ってみたんだけどねぇ」
「えええっ!」
 ついつい、上げてしまった大声。しかし、言われてみればそれも当然、予想できることだったのだ。今まですっかり忘れていたが、祖母と今の校長…佐田峰子先生とは女学校時代の同級生だったはず…なのだから。
 祖母と初音にまじまじと見つめられ、しまったと思うよりも前に、聖の口は勝手に次の台詞を紡ぎ出していた。
「じゃ、あれはやっぱりおばーちゃんだったわけぇ!? 銀ねずの着物にくすんだ臙脂の羽織…」
 楽音堂で予約券をもらった日の帰りに見かけたあの人影がまざまざと頭の中に蘇ってくる。あの時感じた嫌な予感はやはり当たっていたわけだ。
(あ…やっぱ、逃げ出しときゃよかった…)
 だが、自分の言葉を聞いた途端に眉をひそめた祖母を見れば、そうそう呆然とばかりもしていられない。
「何だい聖。お前、知ってたのかい? …だったら、声の一つもかけてくれればいいものを。ああ、本当に情の薄い孫だよ、あんたって娘は」
 そこでよよと泣き崩れられては、黙ったままというわけにもいかなかろう。
「ご…ごめん、おばーちゃん…。でもあたし、あのときは友達と一緒だったしぃ…」
 しどろもどろに弁明を試みる聖になど目もくれず、祖母はまだ、袂を目に押し当てている。
「ん、もう! お母さん、聖からかうのもいい加減にしなさいよ。話が進まないじゃない」
 肩をすくめてそう言ってくれた初音が、このときばかりは菩薩に見えた。
「…何だい。たまに会った孫と楽しく遊んでるってのに邪魔するのかい。あーあ、お前も冷たい娘だね、初音」
 たちまちけろりと言い返す祖母。…そうか、遊んでるつもりだったのか。あれで。
(やっぱ、一筋縄じゃいかねー相手だわ、うちのババアは…)
 心の中でため息をついた聖になどお構いなしに、次の瞬間祖母はしっかりと立ち直り、先ほどの話の続きを語り始めていた。
「…お峰さんに呼び出され、校内に入った途端、尋常じゃない気配を感じた。ありゃまさしく古い人間の霊―それも、かなり強い執着を持った地縛霊だよ。幸い、さほど邪悪な意図を持ったものじゃないから、放っておいても大した障りはないだろうが…先生方の立場としたらそうも行かないんだろ、初音」
 初音が沈痛な面持ちではっきりとうなづき、話を引き取る。
「高等部ではそうでもないみたいだけど、中等部ではもうかなりの噂になってる。聖も経験あると思うけど、あの年頃の女の子ってのは特にその手の気配に敏感だからね。目撃者は増える一方、そればかりか、見てない子たちまで完全に怯えちゃってねぇ…ここだけの話、その幽霊が怖いからって登校拒否になってる子もかなりいるのよ。今あたしがつかんでいるだけでも、三学年併せて十五〜六人はいるね」
「そんなにぃっ!?」
 聖は目を丸くした。そこまで深刻になっているのなら、昼休みの中学生どもの陳情もうなづける。今までのらりくらりとはぐらかしてばかりいた自分が、急に冷酷無比、情け知らずの上級生に思えてきて、聖は何だか、えらく申し訳ない気持ちになってしまったのだが―。
 だがそれも一瞬のこと。次の祖母の台詞を聞いた途端、そんなしおらしい気持ちは跡形もなく吹っ飛んだ。
「…だからさ、ここは一つ、お前がその霊を祓ってくれないかねぇ。あたしが行ってもいいんだけど、今回の件はとても、一日二日で片がつくものじゃない。いくら卒業生とはいえ、こんな部外者の婆あがうろちょろするより、今現在あそこに通っているお前の方が、何かと都合がよかろ」
「何だってえええぇぇぇっっ!」
 よりにもよって、何てことを言い出すんだ、このババア…。聖の頭に、かっと血が昇る。
「ちょっとばーちゃんっ! そりゃ、あんまり乱暴すぎるよっ。いくらあたしが現役だからって…いや、藤蔭家の人間だからって…そんなの絶対無理! 無理無理無理無理っ!」
「どこが無理なんだい。お前はれっきとしたあたしの孫、立派な藤蔭の『能力者』じゃないかい。できないはずがあるもんかね」
「だってぇぇぇっ!」
 いくら藤蔭の人間とはいえ、聖の能力は決して大きくはない。今はともかく昔ならば、「能力なしの一般人」とみなされても仕方のないレベルなのだ。祖母の手伝い程度ならともかく、単独でそんな、「かなり強い執着を持った地縛霊」など祓えるわけがない。
「あたしは何にもできないもん! 霊なんか、祓ったこともないもん! そんなの、おばーちゃんが一番よく知ってるでしょーにっ!」
「そりゃ、誰だって初めはそうさ」
 聖の絶叫も何のその、祖母はゆっくりと茶をすすって。
「だけどお前だってそろそろ十七…昔なら立派な一人前の年齢だよ。そろそろ、真面目に『修行』することも考えなきゃいけない頃さね」
「そんなん、横暴っ!」
 聖とて、望んでこの家に生まれてきたわけではない。たまたま生まれて、たまたまちょっとした「能力」を持っているだけのこと、なのにいきなり修行だなんて言われても困る。滅茶苦茶困る。
(大体、あたしの力なんてあるかないかもわからないようなモンじゃんよ! そうだよ…あたしは、違うんだ…お姉ちゃんとは…)
 夢中になって言い争ううちに、ふと浮かんできた姉の面影。哀しい思い出。
「まさかばーちゃん! あたしをお姉ちゃんのかわりにしようなんて考えてるわけじゃないだろねっ!」
 怒鳴りながら、何故だか涙が滲んでくる。…そう…あたしは…なれない。お姉ちゃんのかわりになんて、絶対に―!
 そこでついつい、余計な言葉が口をついて出てしまったのは、聖が余程動揺していたということなのだろうか。
「あたしはお姉ちゃんじゃない! お姉ちゃんみたいな能力も持ってない! それどころか…あたしはお姉ちゃんみたいな藤蔭の『正当な』娘でさえもないんだから! 死んだお父さんが浮気して、予定外に生まれちゃっただけの、外の子…なんだからっ!」
「聖っ!」
 悲鳴のような声でいきなり叱りつけたのは―初音だった。
「あんた、まだそんなこと気にしてるの? そんなの、どうだっていいことじゃない! どんな事情で生まれようが、あんたはまぎれもなくばーちゃんの孫で、御法やあたしの大事な姪っ子、立派な藤蔭の娘なんだ! そんな、いじける必要なんてこれっぽっちもないんだよ!」
 凄まじい迫力に気圧されて、聖の言葉が止まる。ふと、初音の表情が変わった。
「まさか…雪江義姉さんが…あんたにそんなこと…言ったの? 自分のお腹を痛めた娘じゃないからって…辛く…あたってるの?」
 自分の言葉、そしてそれが引き起こした反応に戸惑いながらも、聖はぶんぶんと首を横に振る。
「そんなことないっ! 絶対ないっ! お母さんは…優しい…。あたしを、心底大事にしてくれる…今は…」
「『今は』って…。聖、あんた…」
 ああ…また、失言だ―。はっと口を押さえた聖に、初音が再び何かを言いかけた、まさにその瞬間。
「…ほう。じゃ、昔はそうじゃなかったんだね。どういうことだい。もっと詳しく、話してごらん」
「お母さん!」
 振り返った初音に、鎮女はあくまで平然と。
「こういうことは、思いっ切り吐き出しちまった方がいいんだよ。聖だって、言いたいことをお腹にためたままで毎日暮らしてるのは苦しかろう。…だから、今みたいなことになるとつい、ぽろりと本音が出ちまうのさ。…言ってごらん、聖。ばあちゃんも叔母ちゃんも、今ここでお前が言ったことは決してお母さんには話さないから」
 


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