コンジャンクション 下


「本日はお招き、ありがとうございます! すっごく、楽しみにしてきたんですよ!」
「こんばんは」
 太陽のように暖かい、無邪気な笑みをたたえた石原医師とともに、まずは藤蔭医師が姿を見せた。ジェットが自分でも気づかないまま、ごくりと生唾を飲み込む。それを横目で見ながら、アルベルトは努めて冷静に、招待客の第二陣を迎える。
「こちらこそ、お忙しい中おいでいただいて感謝します。しかし、お二人がご一緒だったとは…」
 彼としては一応にこやかに挨拶を交わしたつもりだが、途中でそののどは痙攣し、これ以上言葉を紡ぐことを拒否した。身体というものは正直なものである。
「いや、すぐそこで偶然会ったんですよ。ところで、他の皆さんは?」
「コズミ博士はもうおみえになっています。あとは…」
 必死に声を絞り出そうとしても、如何せん、どうしようもない。見かねたピュンマが勇気をふりしぼってその後の言葉を継ごうとしたとき。
 不意に、空間がふわりと揺らいだ―。
「ああよかった。どうやら間に合ったみたいね」
「終業時間五分前にいきなり電話が入るんだもん。それもすっごくめんどくさい、長電話! 電話してくるんなら、用件ちゃんとまとめとけってのよ」
 ほんの一瞬前まで誰もいなかったその場所に、まるで特撮映像のように鮮やかに姿を現したのは―。
「周!」
「クロウディアまで! お前ら、どうしてそう心臓に悪い登場の仕方するんだよっ」
 朝からろくろく口を聞く気力もなかったジェットが、何故かクロウディアの顔を見た途端、威勢のいい怒鳴り声を上げた。これも一種の条件反射というヤツであろうか。
「だってしょうがないでしょ! ちんたら電車だのタクシーだの使ってたら、ぜええええっっったい、遅刻してたに違いないんだからっ」
「それにしたって時と場所を考えろっ! ちゃんと言っといただろう! 今日はお前らと初めて顔を合わせる人間だっている…っ…て…」
 自分の言葉の意味するものの恐ろしさに気づき、ジェットはその場に凍りついた。ちなみにそれは、他の連中も同じことである。
 いくら覚悟していたとはいえ、まさかしょっぱなからこんな常識外れの事態になるとは誰が想像できたであろう。六つの首が、ぎしぎしときしむ音さえ聞こえるようなぎこちない動きでゆっくりと動き、恐怖に見開かれた六対の目が同じ一点を凝視する。
 そこには、石原医師と藤蔭医師が、身じろぎもせず立ちすくんでいた。
 驚愕そのものの表情で、声すら出すことができない石原医師。
 さすがの藤蔭医師も、その漆黒の瞳をほんの少し見開いて、じっと周とクロウディアを見つめている。周もまた、そんな二人に気づいたのか、少し遅れてこの先客たちの方に視線を移した。
 真っ向から見つめ合う、鈍色と漆黒の瞳。今にもその間に青白い火花が飛び散りそうな気がして、アルベルトは自分の手をぎゅっと握りしめた。
 しかし。
「…もしかして、島村先生でいらっしゃいますか? 初めまして。藤蔭と申します。先生のお噂は、かねがね皆さんから伺っておりました」
 すっと差し出された、繊細で形のよい手。藤蔭医師が、穏やかな微笑とともに握手を求めたのだ。ちらりとそれに目をやった周の顔に、同じく微笑が浮かぶ。
「こちらこそ、初めまして。いつぞやはここの連中がたいそうお世話になったそうで…私からもお礼を申し上げます。藤蔭先生、ありがとうございました」
 間髪入れずにのびたその手が、しっかりと藤蔭医師の手を握る。あらためて見つめ合った二人の顔は、これ以上ないというくらい友好的であった。
「…さすが、女傑同士だぜ」
 いつのまにか隣にやってきたジェットがそっと耳元にささやくのに、アルベルトはぼんやりとうなづいた。…確かに、肝が据わっている。あんな非常識な現われ方をした相手ににっこり微笑んで握手を求めるなど、並の人間にできることではない。周の方も…あの女にこんなまともな挨拶ができるなど、今の今まで夢にも思っていなかった。
「今夜お目にかかれて、とても光栄です。でも、今の私は医者として診療に携わっているわけではなく一介のの会社員ですから、『先生』ではなくどうぞ、『周』とお呼び下さい」
「わかりました。では私のこともどうぞ『聖』と…」
 どうやら、出会った途端に戦闘開始、という事態は避けられたようだ。だが、これがいつまで続くものやら。いや、続けば続いたでそれは自分たちが一番恐れていた展開ではないのか。
(俺は、一体どっちを望んでるんだ…? 二人が決裂して大喧嘩をやらかすことなのか、それともこのまま仲良くなってくれることなのか…)
 張りつめすぎて麻痺しかかった脳髄にいつも通りの冷静な思考を期待することなど、所詮無理な話だったのだろう。交錯するさまざまな思い、めまぐるしく形を変える感情の渦に、アルベルトがかすかな眩暈を感じ始めたとき…
「おう、みんな来てたのか! 石原君、忙しいところをすまんのう。女性陣も勢ぞろいじゃな。今夜はみんな、いつもにも増して艶やかで…わしらにとっては願ってもない目の保養じゃわい。なあ、コズミ君」
「全くじゃ。『いずれ菖蒲か杜若』…と言ったところじゃろうて。いやいや、皆さんまことにお美しい。もちろん、ここにおいでのフランソワーズ嬢も含めての話じゃぞい」
 リビングから顔を見せたギルモア博士とコズミ博士の歯の浮くような台詞がアルベルトを正気に戻した。二人とも、普段なら絶対に口にしないような言葉を平然と、しかも大声で喋りまくっている。どちらの頬もほんのりと赤く染まっているところを見ると、一足先に食前酒の一、二杯は聞こし召しているらしい。
(人の気も知らんで…呑気な爺さん連中だ)
 忌々しげな顔つきをみられないようにそっぽを向き、銀と青の『死神』は心の中で一人、毒づいた。
 だが、老博士二人がこんなふうに浮かれてしまったのを酒の所為だと咎め、呑気だと非難するのはあまりにも酷というものだろう。今夜集った女性たちは皆それぞれに美しく、しかもパーティーということでいつも以上に華やかに、そして艶やかに装っているのである。
 周がまとっているのはかなり濃い目のグレー、しかし光の当たり方によってさまざまに色を変える生地のパンツスーツに、インナーは黄金色とベージュの中間のような色合いのタンクトップ。その表面に無数の細かい光の粒がきらめいているのはラメが織り込まれている所為だろうか。大振りのピアスとチョーカーもお揃いのゴールド、デザインは下のほうをやや太く、そして心もち膨らませたティアドロップ…というか、リング型。その、太くなっている部分には何やら黒い石でコーティングが施され、ご丁寧にダイヤモンドが一粒、埋め込まれている。小粒だが、周囲を黒に囲まれているためその輝きは嫌でも目立つ。一見シンプルではあるが、見れば見るほど凝った細工、そして着こなしであった。
 藤蔭医師はというとごく平凡なベージュのテーラードスーツ、しかし胸からウエストにかけてさり気なく入ったシェイプが、その肢体の美しさを嫌味にならぬ程度に際立たせている。その下にまとった黒いブラウスはシルクだろうか、周のスーツ、そしてインナーとはまた違った光沢が彼女の一挙手一投足をこれ以上ないというくらい優雅に見せていた。アクセサリーは周ほど派手ではなく、その耳に光るイヤリングは白い宝石を立て爪で囲っただけの、周のそれよりもさらにシンプルなデザインだったが、よく見るとその宝石というのが片方だけで優に一カラットはあるダイヤモンドだったりする。スーツの衿元に飾られたカメオのブローチも、彫刻というよりはさながら精密なミニチュアールのようで…これまた、ごくオーソドックスなデザインであっても組み合わせ次第で充分人の目を釘付けにすることができるという見本といっていいだろう。
 だが、少なくとも第一印象で一番人目をひきつけたのはクロウディアに違いない。豊かな銀髪を頭の上で可愛らしい二つの団子状に結い上げた彼女の衣装は、鮮やかなピンクのチャイナドレスであった。その色の選び方には、誰もが感服するしかなかったであろう。これ以上濃かったらたちまち下品になってしまいそうな、そのくせ少しでも淡い色ならこの少女自身の存在感に圧倒されてあっという間に存在感を失ってしまったと思われるちょうど中間点を選ぶのは、並みのセンスの持ち主には到底できまい。しかも、ドレスの全面に、生地と同じ色合いの細かな刺繍が入っているとなれば、その豪華さと派手さの点で他に一頭身以上の差をつけているとみなされても当然かもしれない。
「クロウディア、すごく素敵よ。とっても似合ってるわ」
 フランソワーズの素直な賞賛の言葉に、少女は嬉しそうににっこりと笑う。
「ありがとう、フランソワーズ。これね、今日初めて着たんだ。だからちょっと、不安だったの。どっかのガンコオヤジがまた『お遊戯会』なんて莫迦なことをほざくんじゃないかと思ってさ」
 挨拶代わりの軽い嫌味とともに挑発的な視線を向けられたガンコオヤジ―もとい、アルベルトは正直それどころではなかったのだが、傍らのジェットに脇腹をつつかれ、はっとしたようにクロウディアの方を振り返った。
「あ…ああ、お前も来てたのか、バカ娘。しかし今夜はまたえらく派手な格好だな。手品師の助手のアルバイトでも始めたのか」
「ひっどーい! これ、一応オーダーメイドなのよ! 生地からデザインから、全部あたしが選んだんだから!」
「いつまでも張々湖飯店ユニフォームの縫い直しじゃ嫌だ、なんて言い出してね。でも正直、こっちはひやひやものだったわよ。だってこの子、チャイナドレスの生地だってのに、レースだのシフォンだの、そんなのばっかり選ぶんだもの。『もうちょっとしっかりした布地にしなさい』って言ったら、今度は綸子だの佐賀錦だの西陣織だの…琉球紅型の反物引っ張り出してきたときには、ついつい『振袖じゃないのよっ』って怒鳴っちゃった」
「やだ、周! 余計なこと言わないでっ」
 ぷっと頬を膨らませたクロウディアに、再度フランソワーズが声をかける。
「でも、本当に素敵よ、クロウディア。だからご機嫌直して、リビングに行きましょう。貴女の好きなフルーツカクテル、ちゃんと用意してあるのよ」
 少女をなだめながらリビングへ向き直った彼女のスカートが、春風に舞う花びらのように揺れる。思い切って広く開けた襟ぐりをレースで縁取り、袖の部分だけをほんのりと透けるシフォン仕立てにした真珠色のブラウスは、フランソワーズとしてはかなり大胆な衣装だった。合わせたボトムは布地を惜しみなく使った淡いエメラルドグリーンのフレアスカート。大昔に流行ったサーキュラースカートに似たシルエットは下手をすれば時代遅れにもなりかねないが、何故か彼女が着ると完璧なまでにシックで、エレガントに見える。ただし、先ほどの議論で見事に言い負かされ、慣れないスーツとネクタイに時折ため息をついている今夜の主役が、これだけ揃った美女の中、彼女の姿だけをずっと目で追っていることには、残念ながら本人は気づいていないようだ。
「さあ、これで全員揃ったんじゃからそろそろ始めるとしようかの。ジョー、誕生日おめでとう!」
 ギルモア博士が再びほろ酔い加減の大声を張り上げ、いよいよ問題のパーティーは幕を開けた…。

「おい…何か、えらく予想と違ってないか?」
「ああ。どうしてこう静かなんだろう」
「結局、わてらの考えすぎだったってことかネェ」
「それでもいい。平和が一番」
 ひそひそとささやき合う「ミッション5・16」秘密メンバーたちの声がさざなみのように広がっていく。信じられないことだが、パーティーは拍子抜けがするくらい和やかで、和気藹々としたものだった。初対面の者同士も多い集まりとて、最初は礼儀正しい各自の自己紹介があちこちで交わされたのは当然としても、そのうち、酒が回り始めたのか皆打ち解けて会話も弾み、いつも通りの賑やかな、悪く言えばやかましい宴会になりつつあっても、彼らが心配したような事態が勃発する気配はこれっぽっちも感じられなかった。周も藤蔭医師も終始にこやかで、参加者それぞれと親しげに言葉を交わし、笑いさざめいている。むしろ、はしゃぎまわるクロウディアとイワンをおとなしくさせることの方が遥かに大変だった。アルベルトを始めとする六人の、あの心配は何だったのだろうと思わせるくらい、それはごく当たり前の、楽しく幸せな誕生日パーティーであった。
 さらに時間が経ち、参加者たちがいくつかのグループに分かれて談笑し始めたとき、周と藤蔭医師を筆頭に女性たちだけが固まってしまったときにはさすがに肝を冷やされたが…。
「あれからそろそろ三十分か…どうやら喧嘩の線は消えたようだな」
「しかしあんまり仲良くなられてもよ、後が怖いぜ」
「よいではないか。『仲良きことは美しきかな』。別に、二人揃って能力比べをするわけでもなし、酔っ払ってその辺にあるものを見境なく空中遊泳させるわけでもなし…」
「そりゃ、イワンのやることヨ。周はめったに酒に酔ったりしないアルからね」
「わからないぞ。藤蔭先生がちょいちょいと彼女の『気』でもいじくりまわしたら、さすがの周もトリップしちゃうかもしれないよ」
「そんな、悪い未来を口に出すのはよくない。言霊の力は恐ろしい。たった一言が、その場にいる全員の運命を変えること、よくある」
「まあ、今のところ無事であるのだからして、それでよしとしようではないか、諸君」
「…そうでもねぇようだぜ、グレート」
 ジェットが顎をしゃくった方を見れば、ジョーと石原医師があれこれとかいがいしく女性グループの世話を焼いて…というか、こき使われていた。しかし、二人にはそんな自覚はまるっきりないのだろう。ジョーはフランソワーズや周、そして藤蔭医師やクロウディアに囲まれているだけで心の底から嬉しそうだったし、石原医師もとりどりの美女たちの間で大いに照れまくりながらもまんざらではない様子である。酒や料理を運んだり、空になった器を下げたり。どこか、貴婦人たちに仕える下僕、もっと言えば飼い主にうるさくまとわりつく子犬を思わせるようなその姿に、男たちの間からはまた違った意味でのため息がもれる。
「我輩の記憶に間違いがなければ、確かジョーは今夜の主役だったはずだがな」
「いつものこったろ。あいつ、自分の誕生日だろうが何だろうが、ちょっと目を離すとすぐに誰かの『お世話係』になっちまうんだよ。去年はイワンのベビーシッター、一昨年は爺様コンビの介護ヘルパーやってたな、確か」
「石原先生もまめだねぇ。さっき周とクロウディアが現れたときにはあんなにショック受けてたのに」
「まさに電光石火の立ち直りだな。…まあ、いい。あの人はあの人で、俺たちの及びもつかない大人物かもしれん」
「でも、わては正直、前言撤回したい気分アルよ。いつだったか、石原先生を『人間ができてる』って言うたアルケド…要するに、ジョーと同類だっただけなんアルネ…」
「二人とも、レーサーと医者辞めても黒服で充分食っていけるような気がするのは錯覚かな…」
「そういや、『西王母』のウエイターが突然辞めちまったそうで、ママがえらい苦労してはったっけ…パートでよけりゃ、あの二人を紹介してやりたくなってきたアル」
「『張々湖人材派遣サービス』か…いいかもしれんな」
 口々に言い合う内容は、考えようによってはかなり失礼なものばかりだったが、そんな話が出てくるというのは、彼らの緊張もややほぐれてきた証拠かもしれなかった。アルベルトがちらりと自分の腕時計を見ると、パーティーの残り時間はもう一時間を切っている。もちろん、続いて二次会だの三次会だのが始まる可能性は大いにあるし、まかり間違えば徹夜の大宴会になるかもしれないのだからまだ決して油断はできないが、もし…。
(もしもこのまま、最後まで行ってくれたら…)
 本当に、針の先でつついたような小さなものであったにせよ、ようやくこの用心深い男の心の中にも、一粒の希望の光が眩しく輝きだしたようであった。
 そしてこの光は、時間が経つに連れ、どんどんその明るさを増していったのである。
「いや〜、今日は本当に楽しいですねぇ。周さんもクロウディアちゃんも絶世の美女と美少女だし、気さくで優しくて、最高ですよ! ご招待いただいて、心の底から嬉しいですっ。島村クン、そして皆さん、ありがとうございます!」
「石原君、そんなに言われたらこちらの方が照れてしまうじゃないかね。わしらこそ、いつも君には世話になっておるのに…」
 すでに時計の針は深夜を回りかけていた。しかし案の定、予定時間を過ぎてもパーティーは延々と続き…今はすでに三次会か四次会くらいになっているはずだが、もはやそんなことを気にするものは誰もいなかった。
 あれから程なくしてジョーと石原医師も「黒服」の役割から開放され、いつのまにか人々は男性組と女性組とにわかれ、それぞれ大いに盛り上がっている。
「ところでジョー、周たちの様子、どうだった?」
「何か物騒な会話してなかったか? 酔い覚ましにぱあっと暴れようとか、腹ごなしにサイコキネシスで空の散歩に出ようとか…」
「雰囲気が険悪になるとかいうことも、なかったアルかね?」
「やだなあ、みんな何言ってるんだい。そんなこと、全然なかったよ。ね、石原先生」
「そうですよ! 話といえばいかにも女性らしい、ファッションとか料理の話題だけで…」
「周と藤蔭先生は学生時代の話でも盛り上がってましたよね。二人が通ってた高校、すぐ近所同士だったんだって」
「…周の場合は高校じゃなくて、高等女学校の間違いじゃないのか?」
「アルベルト、それ禁句」
どうやら、彼女たちはあくまで和やかに「女同士のおしゃべり」を楽しんでいるらしい。ことここに至って、ようやく「ミッション5・16」のメンバーたちも―さしものアルベルトとジェットでさえ―自分たちの心配が杞憂に終ったことを素直に喜び合う気分になっていた。となれば、ここしばらくの鬱屈を一気に晴らそうとつい酒を過ごし、へべれけになるまで酔っ払いたくなるのは人情として当然である。
その中で、最後まで正気を保っていたのはおそらくアルベルトであろう。ぼんやりとした意識の中、女性グループの間から上がったいかにも楽しそうな、華やいだ笑い声に心の底から安堵し、あんなにも神経質になっていた自分たちが滑稽に見えて知らず知らずのうちに口元を緩ませたことは覚えている。だが、それを最後に彼の記憶もまた、遥かなる忘却の淵へとゆっくりと沈み込んで行ったのであった。

 ところが世の中、そう甘いものではないのはすでに皆様ご承知の通りである。最後のおまけに、かの美女たちの「真実」の会話をここに忠実に再現しておこう。
「はぁ、それにしても島村クンってよく気がつくわねぇ」
「うちのマゴの取柄はそれだけだからね。ほかはもう、まだまだ甘ったれのコドモもいいとこよ」
「ひどいわ、周。いくら何でも、そんなことはないと…思うけど…」
「おお、未来のマゴ嫁が怒ったぁっ」
「周っ!」
「まあ周さん、そんなに若い子をからかうものじゃないわ。後が怖いわよ」
「呼び捨てにして下さって結構よ、聖さん。よかったら私も貴女のこと聖って呼ばせてもらうから」
「あら嬉しい。じゃあ、そうしましょうか」
「あたしも、聖って呼んでいいの?」
「もちろんよ。私も貴女のことクロウディアって呼ぶわ」
 どっと起こる笑い声。
「でもさ、気が利くって言ったら聖と一緒に来たあのお医者さんもすごいよね。えっと…石原…秀之だっけ、秀雄だっけ」
「ああ、石原秀之クン? 確かにあれは島村クンと充分タメ張れるわね。でも彼、あれで腕はすごいのよ。まあ、その分性格が見事に春爛漫だけどさ。…いい人よ」
「もしかして、聖の恋人?」
「まさか! 年考えてよ、年! あの人、私よりひと回り年下なんですもの。確か今年で三十…いや、三十一になるのかな?」
「でも、それを言うならうちの『ママ』も『パパ』より年上だよ?」
「あらそうだったの。…失礼だけど、幾つ違い?」
「私のほうが二歳年上なの。でもまあ、うちの場合はあの男が精神的オヤジだから」
「…それにしては結構熱血青年だったけどねぇ…実は例の『治療』のとき、彼とは危うく戦闘状態になるところだったのよ」
「本当に? だったら、遠慮しないで思う存分やっちゃえばよかったのに。あいつとのサシの戦闘訓練って、運動不足解消にはもってこいよ」
「へえ…そうなんだ。よーし、『奥様』のお許しが出たんなら次の機会には一つ、派手にやってみるかぁ!」
「やっちゃえやっちゃえー!」
 物騒な方向に盛り上がる三人を見て、フランソワーズの頬に一筋の汗が流れる。
「あ…あの、それにしてもびっくりしたわ。周と藤蔭先生がこんなに気が合うなんて」
「確かに。お世辞抜きで、彼女とは初めて会った気がしないの。この年になってこんなに話の合う人に会えるなんて、すごく幸運だわ」
「私もよ。これをご縁に、これからもちょくちょく会いたいわね。よかったら一度私たちの家にいらっしゃいよ。都心からは少し遠いけど、泊まる部屋ならいくらでもあるから」
「嬉しい! でもそれならいっそ、女同士の旅行なんかもやってみたくない?」
「いいわね、それ! この四人だけで一度、温泉にでも行こうか」
「温泉…? 私、日本の温泉って行ったことないわ」
「フランソワーズ、それ本当? …もう、ジョーったら一体何してるのっ。好きな娘を温泉に連れて行ったこともないってわけ? これだからガキは困るってのよっ!」
「まあまあ周、抑えて抑えて。だったらうんと豪華な旅行にすればいいじゃない。男連中が、地団太踏んで悔しがるような…ね」
「その話、乗った!」
「でも、旅行って結構荷物がかさばるのよね。あれさえなければ天国なんだけどなぁ」
「いいわよ、だったら荷物持ちにうちのマゴ連れてけば」
「そんな…いくら何でも四人分の荷物なんて、ジョーが可哀想…」
「あの子だけで足りなきゃ、もう一人のドイツ人も引っ張ってきゃいいのよ」
「そんならジェットも一緒の方がいいな。からかうと楽しいんだもん」
「そうなると、石原先生がやきもち焼いちゃいそうですね」
「フランソワーズまで、やめてよ…私と彼とは決してそんなんじゃないんだから」
「やぁだ、聖ったら恥ずかしがりー! でもだったらさ、いっそ全員荷物持ちで誘っちゃえばいいじゃん」
「ええ? クロウディア、私達はもともと『女同士の旅行』の話をしてたのよ?」
「泊まるとこ別にすりゃいいのよ。ねえ周、確か箱根に会社の保養所があったじゃない。バンガロー形式の」
「ああ、あの…築三十五年、いー加減ガタがきて啓吾も莉都ももてあましてるボロ屋」
「あそこならかなり広いし、大の男だって五人や十人、余裕で寝られるわよ。多少の隙間風や雨漏りだって、サイボーグなら気にもしないでしょ」
「ちょっとクロウディア! じゃあ、ギルモア博士やイワンはどうするのよ!?」
「二人はあの、眼鏡のお爺ちゃん家に行ってもらえばいいじゃん。さっき聞いたよ。ギルモアたち、いろいろ理由をつけてしょっちゅう遊びに行ってるんだって」
「でも、石原先生だって生身だし…」
「張々湖にキャンプファイヤーの一つもやってもらえば大丈夫よ。どーせなら帰り際にあのバンガローもきれいさっぱり燃やしてもらえば啓吾や莉都も大喜びするわ。解体費用が浮いたって。うちの会社もさ、最近の不景気で一般管理費の締めつけ厳しくなってるのよね」
「それにしたって、あんまり乱暴すぎるわ…! ねえ周、貴女からも何とか言って!」
 フランソワーズの抗議もどこ吹く風、顎に手を当てて何やら考え込んでいる周。
「ふむ…悪くないわね、その話」
「周!」
「まあまあフランソワーズ、貴女ちょっと飲みが足りないのよ。…クロウディア、何か作ってあげて」
「オッケー」
 傍らの酒瓶をあさり、何やらカクテルを作り始めるクロウディア。と、その肩を叩く藤蔭医師の白い指。
「何? 聖」
「どーせ景気づけの一杯なら、これ混ぜちゃいなさい。フランソワーズって、意外とお酒強いんでしょ?」
 その酒の銘柄も確かめないまま、クロウディアは素直にそれに従う。やがて、フルーツを一杯に浮かべたグラスがそっと、フランソワーズに差し出された。
「これでも飲んで、もう一度よく考えてみてよ。絶対、悪い話じゃないからさ」
 立ち上るフルーツの甘い香りに誘われ、フランソワーズは何のためらいもなく口をつける。
「あ…美味しい」
「さ、ぐーっとあけて、ぐーっと。お代わりも幾らでもあるわよ」
 最初は恐る恐る、しかしすぐにグラスを威勢良く傾け、一気飲みするフランソワーズ。周がそっと藤蔭医師に訊く。
「ちょっと聖…一体、何混ぜるように言ったの?」
「スピリタス。アルコール度数98度、世界で一番強いお酒じゃなかったかしら」
「うわーっ、貴女も思い切ったことするわねぇ」
「ぶっ倒れたらそんときゃそんときよ。ここには医師免許持った人間が二人…ううん、石原クン入れれば三人もいるんだからどうにでも対処できるわ。ま、ベースはさっきのフルーツカクテルみたいだから多分大丈夫でしょ。それに、元はと言えばこんなモンうかうかパーティーに出すやつが一番悪い」
「でもそれ、確かさっき聖がジョーに言いつけて持ってこさせたんじゃなかったっけ…?」
 ひそひそとささやきあう彼女たちの姿はさながら三人の魔女。そして、彼女たちの傍らにはグラスを飲み干したその格好のまま、しばし固まってしまったフランソワーズ。が、しばらくののちにきっと上がったその水色の瞳はしっかりと据わっていて…。
「よーし、わかった! あたしも女よ! その話、乗った!」
「おおおおおっ!」
 沸きあがる三人の歓声。それはまさしく、純真で無垢な乙女が闇にうごめく魔女たちの毒牙にかかり、その仲間に引きずり込まれた瞬間であった…。

 ちなみに、アルベルトの最後の記憶に残っている「華やいだ笑い声」というのはこのときのものである。自分の不安を完全に払拭してくれた邪気のないさざめきと思えたそれこそが、まぎれもない魔女たちの哄笑であったと気づかなかったことを、あとになって彼は死ぬほど後悔するのだが、それはまだ少し先の話であった。

 「狂星」と「暗黒星」。今までその存在すら知られていなかった最強、最悪の二つの星々によるコンジャンクション。その意味を知りたいと思う占星術師など、広い世界のどこを探しても、おそらく一人もいないに違いない…。

〈了〉
 


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