スカール様の憂鬱 〜決算編〜 2


 実はこのパピ、五ヶ月ほど前にスカール様が日本においでになったときに拾ってきた野良…いえいえ、一人暮らしの犬だったのでございます。
「ああ…あの日は確か雨だった…しかも時刻はそろそろ深夜になろうかという頃で…」
 傘下の企業(もちろん軍需産業部門あり)との会合を終え、続いて夕食の接待などお受けになって本格的会席料理を存分に堪能なさったスカール様は、専用の超豪華リムジンでホテルにお戻りになる途中、偶然この犬を見つけられたのでございました。
「うおおおおっ! 五ヶ月前っちゅーたら日本は冬だぞ! 真冬だぞ! しかも真夜中! しかもみぞれ交じりの雨! その中でこの子はたった一人、びしょ濡れのどろどろになってぶるぶる震えながら泣いていたのだっ。うおおぉぉぉ〜っ! 今でも俺はそれを思い出すと…思い出すとおおおぉぉぉっ!」
 以来、スカール様がことあるごとに発作的なフラッシュバックを起こして滂沱の涙にむせぶたび、拝聴する幹部連から末端の一戦闘員に至るまで、基地中がもらい泣きの渦に包まれるのでした。世界征服を企む悪の秘密結社にしては随分と情けない話でございますが、これも仕方ないことなのかもしれません。何しろスカール様というお方は、人間だったら何ぼ死のうが鼻もひっかけない反面、可愛らしいものには目がなく、特にふかふかのぬいぐるみ系小動物にはひとたまりもなく玉砕なさってしまうのでございます。「勇将のもとに弱卒なし」とも申しますし、思うにこれはBG団員に共通する性格なのでございましょう(いやだからそれ、かなり使い方間違ってるからっ→自分)。

 ですがそんな心理分析はちょいとおいといて。とにかくホテルへの帰路、真冬の夜の雨に濡れてぴぃぴぃ泣いているチビ犬を拾ったスカール様はホテルへたどり着くやいなや、迎え出たフロントマンには洗面器を持ってくるよう、一方つき従う側近にはペット用シャンプーとリンスを買ってくるよう命じ、ご自分はその犬をしっかりと抱きかかえたまま、脱兎のごとくお部屋のバスルームへ駆け込んだのでございました。
 そして大急ぎでズボンを脱ぎ捨てている間に届いた洗面器とペット用シャンプーリンスをしっかと握り、上は腕まくりに下はパンツいっちょのお姿も凛々しく、おん自らそのびしょ濡れどろどろのチビ犬をシャンプーし、ドライヤーで丁寧に乾かしてやったらば。ああ、やったらば。
 何という奇跡。つい今しがたまでのびしょ濡れどろどろ、生き物というよりは即刻生ゴミとしてゴミ箱にぶち込まれても仕方のないほどに薄汚れたワン公が、ふっくりふかふか、なめらかかつ柔らかい極上の毛皮に包まれた、可愛らしい小型犬に変身していたのでございました。
 しかも。
「どこの何方かは存じませんが、お風呂に入れて頂いてどうもありがとうございますでち。おかげさまでようやくあったまってさっぱりしましたでち。あんがとでちた」
 きちんとお手々、いえ、前脚をついてぺこりと頭を下げたのが、結局は最後のトドメだったといえましょう。瞬時にしてスカール様のお目には星をちりばめたハートマークが点滅し、しばしのちにはこのチビ犬、日本の首都東京でも指折りの超高級ホテルの最上階スイートルームのリビングでスカール様と差しつ差されつ、レミーマルタン・ルイ13世などまったりと味わいながら、ぽつりぽつりと身の上話など始めていたのでございました。
「あんね、ボクもね…。生まれたときから一人暮らしだったわけじゃないんでちよ…」
 ブランデーグラスでは飲みにくかろうとスカール様が出してやった取って置きのロイヤル・コペンハーゲンのお皿に注がれたルイ13世をぺちょぺちょと舐めながら、犬が語ったところによれば。
 この犬、もともとは東京都内のとあるオバサンの家で飼われていたそうなのですが、この飼い主がまた大酒飲みのヘビースモーカー。しかも本業そっちのけで深夜遅くまでパソコンに向かい、ネットサーフィンやチャットに狂いまくった挙句、クソ面白くもないサイトまで立ち上げてあれやこれやと書き散らしたヨタ話を公開しては一人悦に入っていたという完璧な人間のクズ。そしてついにはその不摂生極まりない生活がたたってさっさとあの世に行ってしまったそうで…。
 唯一の頼りの飼い主を失ってしまったチビ犬、ついでに住んでいたお家からも追い出され(注・現代日本の法律では、動物を遺産相続人にすることはできません)、行く場所も帰る場所もなくしてあの冬の雨降りしきる道端で泣いていたというわけなのです。
「申し遅れまちたがボクの名前はパピ、犬種はパピヨンでち。どういう因果かは存じませんが、袖すり合うも他生の縁、今夜一晩で結構でちから、どうかこちらに泊めて頂くわけには参りませんでしょうか…」
 語り終えたチビ犬が再びぺこりと頭を下げたときには、すでに涙と鼻水で顔中ぐちゃぐちゃになさっていたスカール様が、そんな小さな命を見捨てるはずがございません。次の瞬間、チビ犬はスカール様のたくましい腕の中にしっかりと抱きしめられていたのでございました。
「えええええぐっ。えぐっ。(←しゃくりあげてる)今夜一晩なんて、えぐっ。水臭いことを言うなっ…!ぐすぐす(←鼻すすってる)。身寄りがないなら俺がお前を飼ってやるっ。一緒に俺の家…じゃなかった、基地へ行こう、な…ちーんっ(←鼻かんでる)」
「ほ…本当でちか!?」
「おう! 痩せても枯れてもBG団総帥、このスカールに二言はないわぁぁぁっ!」
 そしてめでたくチビ犬はスカール様にくっついてこのBG秘密基地へとやってきたのでございました。そして「スカール様の愛犬」として基地中のアイドルとなり、同じ犬どころか人間すらも羨む贅沢三昧の日々を送ることになったのです…。

 ですがどんなに贅沢な暮らしをしていたところで所詮はワン公、こうしてスカール様におつき合いして篭の中でじっとしているなどさぞかし退屈なことでございましょう。なのにこのチビ犬―いえいえパピときたら、いつまでたってもちっともつまらなそうなそぶりを見せません。篭の中に入っていたお気に入りのおもちゃ(といってもそれは、直径一センチほどの極太綿ロープ、そのきれっぱしの両端をほつれないよう固く結んだだけの単純な手作りおもちゃです。ちなみにこれを作ってくれた整備兵は「パピのお気に入りのおもちゃを作った」功績により、それまでのヒラから一気に小隊長に出世致しました)をときどきかじりつつ、それでもそのつぶらな黒い目はじっとスカール様と机の上の書類を見つめております。
 スカール様も少々不思議に思われたのでしょう。しばしのち、再びお顔を上げてパピを見つめ、そしてお尋ねになりました。
「おい、パピよ。パピ坊よ。お前、こんなクソ面白くもない書類と睨めっこしている俺を見ているだけで楽しいのか? 遠慮はしなくていいんだぞ。退屈になったらすぐにでも、表に出して…」
 ですがパピ、少しも騒がず。
「やだなぁ。ボクがご主人様に遠慮なんてするはずないじゃありまちぇんか。だって、一番初めにご主人様、『決して遠慮はするな、パピ坊よ』って言ってくれたでしょ?」
「う…うむ。確かに俺は…そう言ったがな…」
 あっさりとやり込められてしまったスカール様、次にはちょっと意地悪な質問をしてごらんになります。
「ならパピ坊。お前にはこの書類の意味がわかるというのか? あー?」
「もちろんでちよ!」
 戸惑って口ごもりでもするかと思えばパピ、張り切ってこうお答え申し上げたのでございました。こうなったらスカール様とて引っ込みがつきません。
「ほーぉ。では今俺が見ているのは何と言う書類だ?」
「はい。それはK社のB/S、すなわち貸借対照表でち。それから、その下にあるのはP/L、損益計算書でちね。それから、ついさっきまではご主人様、D社のB/SとP/L、及び本年度の取引高一覧表と業界の平均実質成長率一覧表をご覧になっていましたでち」
「ふ…ふーむ…」
 あろうことかスカール様、わずかに鼻白んでおられます。よりにもよってBG総帥ともあろうお方がこんな、吹けば飛ぶよなチビ犬に言い負けていてはメンツに関わるというもの、そのお声がほんの少し、ムキになってこられました。
「ではパピ坊。さらに訊くが、この書類の数字に表れている問題点は何だかわかるか…? だとしたら大したもんだぞ。もし見事言い当てたら、ご褒美に特選松坂牛の骨をやろう。どうかな?」
「うーん…。本当のこと言うとね、ボク…、松坂牛より米沢牛の方が好きなんでちけど…ううん、それよりご主人様。ご主人様の大事な書類をボクなんかが見て、本当にいいんでちか?」
「うむ。もちろんだ。こちらにきて好きに見るがいい」
 スカール様の専売特許、威厳を込めたマ〜ヴェラスかつ濃ゆい一言を耳にしたパピ、喜々として篭から飛び出して参ります。そして、スカール様のお膝にちょこんと陣取るやいなや。
「ん〜っと、これがK社のB/SとP/L、それから本年度新製品開発実績と営業記録…」
 ぶつぶつつぶやきながら、積み上げられた書類のあちこちに鼻を突っ込み、前脚と口を器用に使ってさまざまな書類を引っ張り出して…しばらくののち。主人のお顔をそのつぶらな瞳でしっかりと振り返り、声を潜めてたった一言。
「ご主人様…この会社、やってまちね? …所得隠し」
 何とBG直営会社が知恵と策略の限りを尽くして厳重かつ巧妙に隠匿していたはずの秘密が、こともあろうにこんな小さなワン公に、あっさりと見抜かれてしまったのでございました…。





「うおおぉぉっ! パピ坊! どうしてわかったっ! それはここの社長である俺と経理部長、そして我がBG裏資金管理部以外には極秘にしてあるはずなのに…っ」
 顔面蒼白になったスカール様のお耳に、パピの冷静な声が響きます。
「…そんなの、財務諸表と附属明細書見ればすぐにわかりまちよ。大体このK社って、○証一部にも上場してる大企業、しかもその営業成績は極めて良好で、新製品だってたくさん作ってばんばん売ってるじゃないでちか。事実、売上高総利益率や売上原価率は同業他社中トップクラスでしょ。なのに売上高経常利益率になるとがくんと落ちて、売上高当期利益率はギョーカイでも最低クラス。つまり、原価以外の諸経費や営業外損失、特別損失なんかが異常に膨れ上がってるってことで…普通、こんな経営してたら役員全員即刻クビになって当たり前でち! なのにここ、昨年度の役員が全員そのまま今年度も留任してるし…となれば会社ぐるみで何かやってるなって、誰でも気づきまちよっ! …はぁ。困りまちたねぇ…」
 がっくりと肩を落とし、大きなため息をついたパピ、再び篭の中に戻ってぷい、とこちらに背を向け、しょんぼりと例のおもちゃをかじり始めます。その後姿があまりに哀しそう、寂しそうでスカール様はつい…。
「あ、あのなパピ坊。お前のようなよい子には、こんな不正は許せないことかも知れんがな、一応我々は『悪の秘密結社』だから…」
 精一杯の犬なで声、いえ猫なで声で愛犬のご機嫌を取ろうとなさいます。しかし…。
「がうがうがうがうっ! 違いまち! ボクが言ってるのはそんなことじゃありまちぇんっ。十億や百億の所得隠しが何でちか。そんなの大企業にとっては立派な常識、経営陣のたしなみってもんでしょうに。裏金の一つも作れない根性なしの経営ちてたらこの先、業界団体のパーティーその他のイベントに行ったって、みんなにバカにされて遊んでもらえなくなるでちよ! じゃなくてねぇ…」
 いつのまにかパピのつぶらな瞳からは涙が一粒こぼれ落ちておりました。
「どーちてこんな、すぐバレるような会計操作ちかできないのっ! ボクもう、情けなくて悲ちくて、泣いちゃいたいくらいでちよっ!」
 言いつつまた涙がこみ上げてきたのでしょうか。小さな両手…いえ前脚でその両目を覆い、黒く湿った可愛いお鼻をくすんくすん鳴らしながら篭の中でひっそりと肩を震わせるパピの哀れさ、そして不憫さはまたもスカール様の一番弱いところを、千枚通しどころか出刃包丁で一突きにしたのでございました。…こーなったらもう、おしまいです。
「あああ〜、パピ坊、泣くなっ! 俺が悪かったからっ! 今度からちゃんと気をつけるからっ!」
 ご自分も半泣きになりながら必死に篭の中のチビ犬をなだめるスカール様。ですがパピはいつまでたってもこちらを向いてくれません。万策尽き果てたまさにそのとき、スカール様の頭の中に素晴らしい考えがひらめいたのでした。
「そうだパピ坊! だったらこのあとはお前も俺と一緒にお仕事しないか? お前は俺が見込んだ通り、いやそれ以上のお利口さんだ。今後の経営戦略を立てるに当たって、是非お前の知恵を貸してくれいっ」
「え? それ本当っ!?」
 たちまち機嫌を直してがば、とこちらを振り向いたパピ。その背中ではふさふさの尻尾が千切れんばかりに振られております。
「もちろん本当だとも。もう一度俺の膝に来るがよい。さ〜、これから先どうするか、一緒に考えような〜」
 たちまちすっ飛んできて再びスカール様のお膝に陣取ったパピ。その後ろドタマを眺めつつ、スカール様は心の中でこっそりつぶやかれたのでした。
(やれやれ。どんなに小利口といっても所詮犬は犬、ちょっと甘い言葉をかけたらころりと機嫌を直しよった。…でもまぁ、そこが可愛いと言えばちょ〜可愛いのだがな♪)

 ですがそれはスカール様の大変な誤解でございました。実はこのパピ、スカール様の、いえいえ全人類の想像を絶した、とんでもないワン公だったのでございます…。
 


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