まあじゃんほうかいき 9


 さて。ここで誤解のないよう一言申し上げておきたいのだが、彼らは決して麻雀ばかりにうつつを抜かしていた、あるいは振り回されていたわけではない。その合間合間にはフランソワーズとクロウディアによる心づくしの昼食、そして夕食も存分に味わっていたし、さらにはティータイムだのおやつタイムだの、それなりの休憩はきちんと取っていたのである。ついでに言えば例の台風も予定通りこの地方一帯を直撃し、凄まじい風と雨でギルモア邸を翻弄していた。もっとも、いかな大自然の咆哮といえども地下にある研究室まではさすがに届かなかったし、地上の居住部分についてもジョー・ピュンマ・松井警視の苦労の甲斐あって、特に被害は出ていなかったが。
 なのに何故そのような場面の描写一切を省略し、麻雀場面ばかりを延々と書き綴っていたかというと―(そんなんあまりに話が長引きすぎたからに決まってるじゃんよ一体いつまで続くんだこの話っ…←己れの筆力のなさを棚に上げ、完全にへそを曲げてしまった作者)。
 だがいかに作者がへそを曲げようが何だろうが、このほんの暇つぶしに過ぎなかった麻雀タイムが思いがけず長引いてしまったことはどうしようもない事実だったりする。
 その原因としては、例の発電パネル破損、そして停電によるコンピュータークラッシュがかなり深刻だったことが挙げられよう。当初「少なくとも三〜四時間」と見られていたデータ復元だったが、実際始めてみればその倍以上の時間をかけたとてまだまだ終わる気配を見せなかった。
 加えてあの、人類の常識から完全にとっ外れた過酷な麻雀勝負の犠牲者の手当て・介護に取られた時間を考えればこの作業、三連休どころか一週間、はたまた一ヶ月を費やそうが到底終わりそうにないと思われても仕方のないところである。
 ま、そんなわけで。
 気がつけばいつの間にか時刻は深夜をとっくに回っており、コンピューターの保守作業が徹夜の大仕事なら、麻雀は麻雀で完璧な徹マン状態に陥っていたのだった。しかも保守作業の方はともかく、勝負の方はあれからひたすら盛り上がるばかり。最初からぶっ通しで打ちまくっている三人―うち周は取りあえず別格として―「一応(こんな注つけるのもなんか虚しくなってきちゃったよ…←作者)」生身であるはずの残り二人の体力もまた、まさに底なし、サイボーグさえもはるかに越えた魑魅魍魎と言われても仕方あるまい。
 だがそんな、百鬼夜行の即席ホーンテッド○ンション(○ーンテッドラボラトリーか?)と化した研究室にもついに希望の光が差し初める時がやってきた。
「…やれやれ、みんな、待たせたのう。どうやらやっと、こっちの作業も終わりそうじゃわい。すっかり時間を無駄にしてしまって、申し訳なかった」
 いかにもすまなさそうに身を縮めて、しかしほっとした微笑を浮かべてやってきたギルモア博士の顔にも徹夜の疲れなどは微塵も見られない。考えてみれば、こっちの作業は全てコンピューター任せ、ディスクの取り替えさえきちんと行っていれば、あとは休憩も仮眠も取り放題である。どうやら、老博士二人に全ての作業を担当してもらったのは正解だったようだ。
「まぁ、ギルモア先生、お疲れ様でございました。…本当に申し訳ありません。作業をみんな先生方にお願いして、私どもはずっと遊んでばかり…」
「いやいや、そんなことは気にせんでおくれ、藤蔭君。久しぶりに顔を合わせた君ら仲良しグループじゃ。たまにはこんなふうに親睦を深めたってバチは当たらんよ」
 ギルモア博士と藤蔭医師の和やかな会話に、周や松井警視の顔もほころぶ。
 しかし、残る青少年組―ジョーとピュンマにとってはとてもじゃないが、それどころではなかったりして。
「石原先生、大丈夫かなぁ…もう一時間近く昏睡から覚めないよ…」
「うーん…でも、一応周と藤蔭先生が『大丈夫』って言ってくれたんだし…」
 あのトリプルロンは石原医師にとってそれこそ「痛恨の一撃」だったに違いない。周の満貫、松井警視のハネ満、そして最後のトドメに藤蔭医師の九連宝燈を目にした途端、若き青年医師は一瞬にして意識を失い、そのままぶっ倒れた。
 もちろんその手当ては先のピュンマ同様、即座かつ懇切丁寧に行われたのだが―何せ担当したのが周及び藤蔭医師だったことが、この純粋な青少年二人の心に深い不安の翳を落としていたのである。
(今にして思えば、僕はまだ幸運だったのかもしれない。…だって、あのときの僕に応急手当をしてくれたのは石原先生だったもんな。かと言って別に、周や藤蔭先生を信用してないってわけじゃないんだけど…)
 傍らのジョーに余計な心配をさせないよう、ピュンマは一人こっそりと胸の中でごちる。そう、確かに周や藤蔭医師の手腕は目の前で昏々と眠り続けている青年医師に勝るとも劣らないだろう。だが、今の彼女たちの意識はその九割以上が麻雀に向いているはずで。…こんなことは口が裂けても言えないが、冷静かつ客観的に考えた場合、その治療方針というのは「死ななきゃそれでいい」程度のものなのではないだろうか。
 しかも、そんな取り留めのないことを考えているうちに、彼らにも再び運命のときが訪れようとしていたのであった。
「そうなの。じゃ、あと一、二時間でデータ復元は全て終了するのね、ギルモア」
「おう。つい先ほど、最後のディスクをセットしたでな。その読み込みが無事終われば、またすぐ本来の作業を開始できるわい」
「じゃ、これが最後の半荘になるんですのね。それじゃぁ、最後の最後くらい…」
 和気藹々とした語らいの最後、藤蔭医師が何気なく漏らした一言を耳に留めたジョーとピュンマの全身がびくりと震えた。
「ね、島村クン。貴方も一度くらい勝負に入らない? ずうっと仲間外れのままじゃ、あんまりつまらないでしょう?」
 …いや、この場合に限り、「仲間外れ」というのはこれ以上ないくらいの幸運、神の御恵みだったりするのだが。
「そうよジョー。自信がなけりゃ八番目にサポートについてもらえばいいじゃない。最後くらい、『祖母とマゴ』で楽しく遊ぼうよ、ねっ♪」
「そうだそうだ。いくら理屈を教えてもらおうが、やっぱ実戦を経験しないことにはな」
 ああ、どうしてこういうときだけ意見が一致するんだ周、そして松井警視…。
 口々に誘ってくれる三人の声を耳にしながら、ジョーとピュンマは観念したように目を閉じ、ゆっくりとそちらの方を振り向く。無理に浮かべた笑顔が引きつりまくっているのが痛々しかった。
 だがそれでも最後の「無駄な抵抗」をすることだけは忘れない。
「さ、誘ってくれてありがとう、みんな…でも、石原先生が目を覚ますまでは僕らがついててあげなくちゃいけないんじゃないかと…」
「石原クン? 別に大したことはなかったみたいだし、平気だと思うけど…どれどれ」
 あっさりと言いのけつつちょっと不安になったのか、藤蔭医師が一歩前に出た。そしてそのまま、横たわっている石原医師に近づき、脈をとる。
「あ、これなら大丈夫よ。脈も呼吸も両方正常に戻ってる。顔色もよくなってきたようだし、もう何にも心配いらないわ」
 …万事休す。今度こそ、逃げ道は完全に封じられた。しかし―。しかし、それでもなお。
(何があっても死ぬときは一緒だ)
「じゃ、やっぱり僕がサポートにつくよ。一通りのルールは教えたとはいえ、まだ説明してない役もあったりするし、ジョー一人じゃ心細いだろうからね」
 瞬時に言い切ったピュンマに、ジョーが目を丸くする。
「ピュンマ…」
 潤んだ茶色の瞳が「本当に、いいの?」と語りかけてくる。ピュンマはそれに、にっこりと笑いかけた。
(いいんだよ。ここまできたらもう、一蓮托生さ)
 ランダム周波数に切り替えた脳波通信の力強い一言。感極まった様子のジョーが、ぎゅっとピュンマの手を握った。
 が、同じくランダム周波の脳波通信で、しっかりこう釘を刺しておくことは忘れなかったところはさすがピュンマ。
(ただ…ね、ジョー。このゲームでは絶対に和がっちゃいけないよ。初めての実戦なのに悪いとは思うけど…いつかこの埋め合わせに、僕がもっとまともなメンツ集めた麻雀大会をセッティングするから!)
 ちなみにこのときピュンマの脳裏に浮かんだ「まともなメンツ」とは、張大人やギルモア博士、そして自分といったところだったろうか…。

 閑話休題。

 こうして、とにもかくにも最後の大勝負、ジョーとピュンマの…いや、そればかりかこの場の人間関係あるいは研究室、ひいてはギルモア邸全体の運命さえも賭けた世紀の半荘がつつがなく始まったのであった。

 初めての実戦とはいえ、前もって石原医師やピュンマから基本ルールを懇切丁寧に説明してもらっていたジョーの手際はそう悪くない。手牌の数がわからなくなって戸惑うことも、ツモってから捨てるまでの間にやたらと時間をかけて他のメンツを苛々させることもほとんどなかった。ただ、それでも時々何か思い悩むことがあるのか、ふと背後に座っているピュンマを振り返り、手牌のどれかを指さしながらひそひそとささやき合う(それとも脳波通信か?)ことだけは仕方なかったけれど。
 ついでに言えばその内容、こういう場合に交わされる通常会話とはまるっきり正反対だったりする。
(どうしよう、ピュンマ…發が二枚も揃っちゃったよ。どっちか捨てとかないと、あともう一枚ツモってきたりしたらまずいよね)
(うん、『白發中』―『三元牌』って呼ばれるこの三種の刻子は立派な役の一つだから…。よしジョー、それなら次とその次、二枚続けて捨てるんだ。一枚ずつ間を開けて捨てると八百長がバレる危険性がある。ここはさっさと三元牌をなくしてタンヤオかピンフを狙ったように見せかける方がいい)
(じゃ、こっちの三萬と五萬は? これも、もし真ん中の四萬がきたら順子になっちゃうよ?)
(いや、それより先にこの二筒と三筒を始末しなくちゃ。こっちは一筒と四筒、どっちがきても順子になっちゃうからね)
 本来ならば勝つためのものであるべき作戦会議なのに、わざわざ負けるために知恵を絞らねばならないというのはどうにも哀れというか不憫というか。だが、もしうっかり和がってしまったりしたらどうなるかは先ほどピュンマが身をもって証明したとおりである。
(あの二の舞だけは決して演じたくない―!)
 いつしか、ジョーとピュンマの額には脂汗がじっとりと浮かび上がっていた。

 そんな努力の甲斐あって、ジョー・ピュンマ組は何とか一度も和がらないまま勝負の終盤を迎えようとしていた。いよいよ残るは最後の最後の一回勝負、ちなみに得点はもちろん彼らが最下位、そして残る周・藤蔭医師、そして松井警視の差はそれぞれ三〇〇点から五〇〇点とくれば、ほとんど同点ともいうべき大接戦である。
(はぁ…。でもとにかくここまで無事にこられてよかった…。もうあと一回だから終わったも同然だね)
(うん、ここまで負けとけば、あとは役満でもしない限り逆転のおそれはない。だけど油断は禁物だよ。もし誰かに振り込まれたりして優勝戦線から脱落でもされたら大変だ。あともう少し、気を引き締めていこう)
 そっと目配せを交わし、うなづきあった二人。その姿は「ジョーとピュンマ」と言うよりも「戦場に立つ009と008」を髣髴とさせる。しかし、たかが麻雀で戦場並の覚悟を決めなきゃいかんってのも何なんだろうな〜(ため息←作者)。
 じゃらじゃらじゃら…。もう何十度目になるのだろうか、牌をかき回す賑やかな音が途絶えたと見るや勝負は始まった。メンツ各自が手牌を取り、あれこれ検証するわずかな時間。
 …そこに、不幸なアクシデントが起きた。
「ピュンマ! ジョー! トラブルじゃ! どちらか一人でいい、すぐこっちへ来てくれ!」
 突然駆け寄ってきたギルモア博士の切羽詰った声。たちまち、卓についていた全員が腰を浮かす。
「トラブル? 一体どうしたんですか、博士!」
 かすかに蒼ざめた頬で、ジョーが叫んだ。
「先の停電で、どうやらコンピューターのプログラム自体も一部損傷してしまったらしい。最後の最後でバックアップエラーが起きて、これ以上のデータ復元が不可能になってしまいよった。わしらもいろいろやってみたんじゃが、やはりコンピュータープログラミングは専門外でのう…じゃが、君たちならそちらの方についてもある程度わかるじゃろう」
「わかりました!」
 とっさに席を蹴って立ち上がったのはピュンマ。麻雀勝負真っ最中のジョーよりもまずは自分が…と考えたのだろうが、もし彼がいなくなってしまったらこの完全初心者少年はどうする…?
 端末機器へと走り寄ろうとしつつも一瞬動きを止めたピュンマに、ジョーがかすかにうなづいた。
(ピュンマ、僕は大丈夫だからすぐに行ってあげて! 何と言っても最優先事項はデータのバックアップだ。麻雀はあくまでもヒマ潰しに過ぎないんだから!)
 例によってランダム周波数に調整した脳波通信が必死に叫ぶ。刹那、ピュンマの瞳をよぎった不安の影。だが、次の瞬間彼はしっかりとこの健気な少年にうなづき返し、そのまま脱兎のごとくコンソールに走る。一方のジョーは、ピュンマの後姿を見送りながら心の中でこっそり、「頑張ってね、ピュンマ」とエールを送っていた。
 何はともあれ、ピュンマが行ってくれたのなら他の連中は完全に用なしである。いかな周や藤蔭医師とはいえコンピューター制御にかけてはピュンマには敵わないし、松井警視はここのコンピューターを扱った経験が一切ない(←当たり前だ)。
 となればこっちはこっちでこのまま麻雀勝負を続けるしか仕方がなかろう…てなわけであっさりゲーム再開。ジョーにとって、これまでで一番過酷な時間が始まった。
 


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