スカール様の慟哭 〜腹黒わんこ寝返り編〜 2


 さて、先ほど横山くんも言っておりましたように、パピを心配するスカール様のご様子ときたら、それはもう尋常ではございませんでした。
 例によって執務室の机に山積みとなった書類や壁一面に埋め込まれた通信用ディスプレイにひっきりなしに浮かび上がる各支部幹部からの着信アラームその他一切を完全無視してただひたすらに部屋中をうろうろノソノソ歩き回り、時折発作的にその場にしゃがみこんで頭を抱え、ぐすぐすと鼻をすすり上げていらっしゃるばかり―とくれば、これこそ完璧にイッちゃってる犬バカの見本そのものでございますが、当のご本人にはそんな自覚などあるわきゃございません。…ってーか、これこそがバカのバカたる所以というものでございます。
 そんなところに、「パピちゃんはご無事ですよぉ!」と声を張り上げる横山くん、そしてその腕にしっかりと抱かれたご愛犬が戻ってきたのですからたまりません。たちまちにしてスカール様の涙腺は完全決壊してしまったのでした。
「お…お…おぉぉぉ〜、パピ坊ぉぉぉっ…! よよよ、よく…よくよくぶぶっぶじじっ…ひくっ(←「よく無事で」と言いたい)。よかった…よかったな、パピ坊…。そしてよこっ! よこや…よくや…えぐっ。よか…よこ…よく…ぐすぐすぐすっ! えぐっ(←「そして横山、よくやった! とにかくよかった」と言いたい)」
 ちなみにこの涙腺決壊、某クリ○ックスティシュー丸々一箱を費やしてようやく補修作業が完了したのですが、泣くという行為もなかなか体力を消耗するもの、全てが終わったあとのスカール様は完全な放心状態、一番二番どころか十番ダシくらい取られてくたくたになったコンブか削り節、はたまた煮干かスルメのごとくへろへろになってしまわれたのでございました。
 通常のBG団員がこんなスカール様のお姿を目にしたならばたちまちのうちに同じく錯乱して一緒になって取り乱すか、でなければこんなアホウを総帥とあおぐ組織自体に愛想をつかして、銃殺覚悟でトンズラこくか二つに一つなのでしょうけれども。
 幸か不幸かこの場に居合わせたのは、気配りにかけてはBG一、二を争う横山くん、かつまた飼い主を手玉に取るワザにかけては天才的な手腕を誇るパピの連合軍でございます。当然、どちらもこの程度で動じるようなヤワな神経は持っておりません。
「スカール様、どうぞお気を確かに! パピちゃんも重々反省しておりますし、ここでスカール様が元気をお出しにならないと、今度はパピちゃんがしょんぼりしてしまうでありますっ」
「ご主人様、心配かけて本当にごめんちゃいでした。もう二度としまちぇんから、許ちてちょうだいでち」
 はい、ここで皆様、上記の横山くんとパピの台詞をよくご覧下さいませ。一見何でもないこの慰めの言葉の中に、実は上司(あるいは飼い主)をマインドコントロールするための裏ワザがしっかり散りばめられているのでございます。
 えー、まず裏ワザのポイントその一。今回の責任は誰が見ても、パピへの伝言を忘れたスカール様にあるのですが、横山くんもパピも「悪かったのはパピ」というスタンスで話をしております。つまり、そうすることによってスカール様の罪悪感をさりげなく取り除こうとしているわけですね。
 ポイントその二は、横山くんの「今度はパピちゃんがしょんぼり」という一言でございます。大抵の犬バカは、たとえ自分がどのような苦境の中にいようとも、愛犬にだけはいつも幸せでいてほしいと願っているもの、ましてスカール様のように、すでに犬バカ通り越して「ワン公依存症(←よーするにアル中、ヤク中と同レベル)」までイッちゃってる飼い主の場合、たとえ自分が明日をも知れぬ重病人であっても、愛犬の前では最後の力を振り絞り、ことさら陽気にどじょうすくいだの阿波踊りだのマツケンサンバだのを踊り狂ってしまうものなのでございます(おいコラァッ! いくら何でもそんな飼い主いるかああぁぁぁっ→自分)。ちなみにこれは、親バカが行くところまで行き着いたお父様お母様、あるいはマザコンのお坊ちゃま、ファザコンのお嬢様などにも見られる現象で…(大ウソ垂れ流すのもいー加減にしろ→自分)。
 そしてポイントその三は表情と仕草でございます。描写が遅れてしまいましたが、先の台詞を口にした際の横山くんは、自分もスカール様同様床に座り込み、両手をついて下方から心もち潤んだ上目遣いで必死に訴えかけていたのでした。また、パピはパピですかさずスカール様のお膝によじ登り、その細い前足をお肩にかけてドクロ仮面のほっぺをぺろん…。ま、ここまでやられてご機嫌を直さない上司、あるいは飼い主などまずいないでしょう。…てなわけで。
「うむ…そうだな…。俺がいつまでも気にしていてはパピ坊も辛いな…」
 ようやく、スカール様のドクロ仮面にもわずかながら笑顔が戻ってきたのでございました。そうとなればあとはもう一押しでございます。
「ではスカール様、ここは一つ仲直りに、パピちゃんと水入らずでピクニックなどにいらしては如何でしょうか。お弁当でしたら自分が今すぐお作りするであります!」
「わぁい! ボクもね、ピクニック行きたかったの♪ だって今日はとってもお天気がよくて気持ちいいんだもん。ね、ご主人様、行きましょうよぉ」
「うむ…そうだな…。では少しばかり外に出てみようか。横山、早速準備にかかれっ」
「はっ!」
「わぁい! ピクニック、ピクニック〜♪」
 かくしてすっかり元気を取り戻したスカール様は、横山くん手作りのお弁当を詰めたバスケットを手に、パピを連れてしばし基地の外にお出ましあそばすことにしたのでございました。
 それにしてもこの場合、部下と飼い犬の絶妙なチームワークを褒めればいいのでしょうか、それとも上司兼飼い主のあまりの単純さを嘆けばいいのでしょうか…(いやそれより山積みになった仕事はどーする気なんだろう)。

 作者の胸をふとよぎった不安も何のその、基地を出たスカール様とパピが目指したのは島の最南端、青く美しい海に向かって大きく張り出している岬でございました。実はこの島、どこもかしこもごつごつとした岩山だらけで木や草などはほとんど生えていないのですが、この岬の根元周辺にだけは―元来周囲に比べてやや窪んでいた場所だったらしく―長い年月の間にいつしか少しずつ土がたまっていき、やがては風に乗って飛んできた草の種なども根付いたとみえて、結構立派な草原が広がっていたりするのでございました。
 みずみずしい緑はそれだけで心を和ませてくれるもの、まして春ともなれば、名もなき雑草といえども皆一斉に花を咲かせます。もちろん、よく手入れされた花壇や庭園のような華やかさなどはございませんが、暖かな陽の光を一杯に浴びてそよ風に揺れる小さく可憐な野の花…というのも、何ともいえない趣のある光景なのでございました。
 そしてその中を元気よく跳ね回る、茶色と白にちょっぴり黒の混じった毛玉。
「わーい、すごいでち! お花がこんなにたくさん咲いてるでちよ! あ、ちょうちょも飛んでるでち。待て待て〜」
 楽しいピクニックにすっかり興奮してはしゃぎまわるパピの無邪気な姿をご覧になっているうちに、スカール様のまぶたは再び熱くなり、不覚にも涙をこぼしてしまわれそうになったのでした。
(ああ…こんな可愛らしい姿を見られるのもパピが無事だったからこそ…。よかった…本当に、よかったぁぁぁっ!)
 ですがここまできて涙ぐんでいるところなど、パピに見られるわけには参りません。小さく鼻をすすり上げ、割烹着…じゃなかった、マントの裾でそっと目頭を押さえたスカール様は、ごくごく平静を装って、わざと大きな声で叫ばれたのでございました。
「パピ坊! あまり遠くへ行くんじゃない! この草原の端も切り立った崖になっておるのだぞ、気をつけろ!」
「はいでち〜」
 元気のよいお返事が、風に乗って聞こえて参ります。それを聞いて満足げに微笑むスカール様にも春の陽はやわらかく降り注ぎ、そのドクロ仮面を艶やかに輝かせていたのでございました…。

 ピクニックのもう一つのお楽しみは何と言ってもお弁当です。草原のはずれ近く、崖のちょっと手前に腰を下ろし、バスケットのふたを開けるスカール様。もちろんその脇では、散々遊んですっかりお腹を空かせたパピがちょこんとお座りをして尻尾を振っております。
 横山くんが作ってくれたお弁当は、シャケとタラコと梅干のおにぎり、そして鳥のササミをゆでてほぐしたものでした。飲み物はペットボトル入りの○健美茶とミネラルウォーターです。ちなみにこれ、おにぎりと爽健○茶はスカール様の、ササミとミネラルウォーターはパピの分であることは言うまでもありません。突然決まったピクニックのこととてお弁当用の食材など全然用意していなかったでしょうに、わずかな時間でそれなりに体裁だけでも調えてくれたとは、さすがスカール様第一秘書兼おさんどんの横山くん、その手腕恐るべし!
「ふぅむ…いつものことながらなかなかやるな、横山…。うん、このおにぎりは絶品だぞ。塩加減といいにぎり方といい、そんじょそこらの料理人に引けは取らん」
「ササミもとってもおいちいでち。ちっかりゆでてあるのに真ん中だけはほんのり生で、お肉のジューシーな食感がちっとも損なわれていないのがさすがでち。横山のお兄ちゃんが作ってくれるゴハン、ボクはご主人様の肉野菜スープの次に大好きでちよ」
「『ご主人様』…?」
 突然スカール様に睨まれ、パピははっとして縮こまりました。
「…ごめんちゃいでち。間違えちゃいました。…お父ちゃん」
 どうやらスカール様、相変わらず二人っきりの時にはパピにご自分のことを「お父ちゃん」と呼ばせていらっしゃるようです。
「うむ、よしよし。間違えてはいかんぞ、パピ坊。…さ、それでは遠慮しないでもっと食べろ。あれだけ遊んだんだ、お腹が空いたろう」
 たちまちとろけるような笑顔を浮かべたスカール様に促され、再びササミをぱくつくパピ。…ですがときおり、そのつぶらな瞳がちら、ちらとこっそりスカール様を見上げ、何やら様子を伺っている模様です。もしかして何かよからぬことを企んでいる風情にも見えますが、そんな懸念は的外れもいいとこ、パピの心にはこれっぽっちの邪念もございません。ただ…。

 実はこのチビ犬には、横山くんからの極秘指令が飛んでいたのでした。

(お兄ちゃん…こうなったら『例の計画』を予定より早めた方がいいんじゃ…)
(それじゃパピちゃん、お部屋に戻ったら二人でスカール様に進言してみましょう)
 執務室に戻る途中、パピと横山くんがこんな会話を交わしていたのは皆様もご記憶かと存じます。しかしお部屋に戻った後のスカール様はあの体たらく、それを元に戻すだけで精一杯だった二人には、「例の計画の進言」をするヒマなど到底なかったのでした。
 そこで横山くん、ピクニックに出かけるスカール様とパピを見送りに出るフリをして、ひっそりこっそりパピのデカ耳にささやいたのでございます。
(パピちゃん…こうなったらピクニックの最中、折を見てそれとなくスカール様に進言を…よろしくお願いするであります)
 それを聞いたパピがしっかりうなづいたのは言うまでもありません。

(んーっと…。やっぱりお話するなら今を置いて他にはないでちね。ご主人様…ううん、お父ちゃんもかなりご機嫌よさそうだし…)
 パピのお目々がきらりと光りました。
「…ねぇ、お父ちゃん」
「んぁー? 何だパピ坊」
 最後の最後に取っておいた大好物のシャケのおにぎりにかぶりついたスカール様が、いかにも幸福そうな笑みとともに振り返ります。
「さっきは本当にごめんちゃいでちた…お父ちゃんや横山のお兄ちゃんにあんなに心配かけるなんて、ボクは何て悪い子だったんでしょう…」
「何だお前、まだ気にしているのか? もう父ちゃんは何とも思ってないぞ。これから気をつけてくれればそれでいいんだからな」
「はいでち。…でもね、お父ちゃん。最近パトロールちてるとね、あのトレーニングルームだけじゃなくて、基地内のあちこちが大分傷んできて、危ないところがたくさん増えたような気がするの。そろそろあの基地も限界なんじゃないでしょうか…」
「何?」
 怪訝な顔になったスカール様に、パピはここぞとばかりにすり寄ります。
「ねぇお父ちゃん、例の『お引越し計画』、もう少し早めることはできないんでちか? 横山のお兄ちゃんから聞いたんでちけど、トレーニングルームが壊れちゃったおかげで戦闘員の皆しゃんも困ってるんでしょ? あれからみんな、空いてる会議室や廊下の隅で柔軟体操だの腕立て伏せだの腹筋だのをやるのがやっとだって聞きまちた。そんな、雨の日の中高生の部活みたいな訓練ちかできないなんて、あんまり可哀想でちよぉ…」
 そうなのです。基地の老朽化は以前から幹部連の間でもかなりの問題となっておりました。ですが今更この基地を丸ごと建て直したりしたひにゃとんでもない額の費用がかかります。第一、建て直している間、基地内の人員や設備、あるいは備品その他は一体どこに行けばいいというのでしょう。腐っても天下のBG本拠地、そう簡単に仮住まいなど見つかるわけがございません。
 そこで、先の幹部会にて提出されたのが「お引越し計画」―現在の第二基地を新たな本拠地と定め、人員から機材から丸ごと全部移転させようという議案だったのでした。この第二基地の建物は、今の本拠地に比べて少々手狭ではあるものの築年数で言えばまだまだ新築もいいとこ、ちょっくら増改築すりゃ充分本拠地としての利用に耐えうる物件でございます。当然、議案は全会一致で可決されました。ただその増改築及び準備に要する時間を考えると、計画実行は早くても今年の秋口…という意見が大勢を占めていたのです。
「お引越しともなればいろいろ大変なのはボクだってわかってるでち。でも、はっきり言ってあの基地はもう限界でちよ。ボロボロになっちゃってるのはあのトレーニングルームだけじゃないでしょ。ほら、あの中央階段三階の踊り場に開いた大穴とか、枠組みが歪んじゃってシャッターが下りなくなっちゃった第七格納庫とか、柱をシロアリしゃんにかじられて天井が半分傾きかけてる化学兵器研究室とか…執務室から地下作戦司令部への直通エレベーターなんか、この間いきなり止まっちゃったじゃないでちか。あのとき、お父ちゃんとボグートおじちゃんが三時間もエレベーターの中に閉じ込められちゃって、ボク、とってもとっても心配したんでちよ。…ねぇ、何とかちてもっと早くにお引越しすることはできないの?」
 懸命になって訴えるパピのお目々には、いつしか大粒の涙が浮かんでおりました。確かにそこまでガタがきてしまったからにはいかに天下のBG団本拠地といえどもただのボロ屋、何が悲しゅうてそんな老朽家屋にいつまでもしがみついていなければならないのでしょう。これは誰がどう見ても、パピや横山くんの意見の方がごもっともです。
 ですが何故か、それを聞いているスカール様はひどく物思わしげな、難しい表情になってしまわれたのでした。
「…お父ちゃん?」
 きょとんとしたパピが、あらためてそのお顔を見つめます。…と、食べかけのシャケのおにぎりをしっかとつかんだそのお手が、力なくお膝の上に落ちたのでございました。
「うむ…パピ坊よ。お前の意見はいかにももっともである。俺だって、できれば今すぐにでも第二基地への引越しを決行したくてたまらないのだ。だが、それには一つ、大きな問題があってなぁ…」
「大きな…問題?」
 聞き返したパピへの返事は、大きな大きなため息です。そしてしばしの沈黙の後、スカール様はぽつりとこう、つぶやかれたのでございました。

「金がないのだ」
 


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