前略、道の上より 1


 二人がそこを訪れたのは、本当にただの偶然だったのだ。



 九月に入ったとはいえ、まだまだ残暑厳しいある夜のこと。たまたま寝つけなかったジョーが、水でも飲もうとひっそり階下のキッチンへ降りて行ったところ、偶然同じように眠れなかったジェットがリビングでぼんやりと雑誌を眺めているのに出くわした。
 思いがけない仲間を見つけて喜び合う二人。ただ、そのうち一人がジェットである以上、程なく「ビール飲もうぜ!」の一言が出てきたことだけは偶然ではなく必然というべきだったのかもしれない。

 しかし。

 あいにく今夜のギルモア邸の冷蔵庫には350ml入りの缶ビールが一本しか入っていなかった。そう、またもやもう一つの偶然、その日はちょうど、馴染みの酒屋の定休日に当たっていたのである。
(うっかりしてたわ…明日になったらすぐに注文しておかなくちゃ)
 昼間そう言って肩をすくめていたフランソワーズの姿を思い出し、顔を見合わせてため息をつく二人。だが、ここでくじけては男がすたる(←いや、すたらないすたらない。…すたらないってばオイ!)。
「ち、仕方ねぇ。だったら買いに行くぞ! ジョー、支度してこい!」
 そこでジョーがジェットを止めなかったのは、どうせ何を言っても無駄だと悟っていたからなのか、それとも彼もまた、決してアルコールが嫌いなタチではなかったからなのか。どちらにせよ「同じ穴のムジナ」であることだけは間違いあるまい。
 …何はともあれそのようなわけで、ムジナ二匹…もとい、不良青少年二人はビールを求めて夜の街へと出て行ったのであった。

 海辺の一軒家であるギルモア邸とはいえ、車で十五分も行けば結構賑やかな街に出る。深夜営業のスーパーだろうがコンビニだろうが何でもござれだ。
 うまい具合に、街へ入ってから五分もしないうちに一軒のコンビニが見つかった。中心部の繁華街からはやや離れているとはいえ、中々大きな店構えだし品物も豊富そうである。早速車を停めて外に出た…と、そこまではよかったのだが。
「…何だぁ?」
 いざ店に入ろうとした段になって、きょとんとした表情で固まってしまったジェット。それもそのはず、入り口の真ん前にはどう見ても小学校高学年から中学生くらいの子供たち十人近くが輪になってしゃがみこみ、スナック菓子やペットボトルのジュース片手にわいわいがやがや騒いでいたのであった。
(おい、ジョー…。日本って、こんな時間にこんなガキどもが出歩いててもいい国だったっけか…?)
 とまどい気味の脳波通信で問いかけられても、同じく目を点にしていたジョーが満足な答えなど返せるわけもない。
(そそそ、そんなことないよっ! 絶対ないっ! あ、でも…最近じゃ塾帰りの小中学生がコンビニの前でたむろしてたりすることもよくあるみたいだし…もしかしたらあの子たちもその口じゃないかな?)
(それにしたってもう真夜中だぜ!? えーと、ちょうど午前零時半か。そんな時間までやってる塾がどこにあるってんだ! …ったくもう、何してやがるんでぇ、ヤツらの親はよっ!)
 律儀にも自分の腕時計を確認しつつ、忌々しげな舌打ちをもらしたジェット。もっとも、日本国民の子育て方針をアメリカ国民が心配しなければならない筋合いなどこれっぽっちもないはずなのだが、店の入り口を占領されていたのでは中に入ることができない―こっちの方は国籍民族などには関係なく、結構深刻な問題ではないだろうか。
「ガッデム!」
 吐き捨てるようなつぶやきとともに肩をすくめたジェットが、大きく前に踏み出した。ジョーの頭に、とてつもなく不吉な予感が走る。
(ちょ、ちょっと、ジェットっ!)
 慌ててジェットに飛びついて引き止めようとした、その時にはもう遅かった。
「おい、てめぇら! タマるのは構わねぇがな、ちったぁ場所を考えろ! 邪魔なんだよ! 店に入れねぇじゃねーかっ!」
 世界に冠たる不良の「聖地」、N・Yはウェストサイド仕込みのドスの効いた声はハンパじゃない。一瞬にして黙り込んだ子供たちの目が、一斉にジェットを振り向いた。
「けっ! わかったんならさっさとどきやがれ!」
 肩をいからせ、子供たちの輪の真ん中を一気に突っ切ろうとしたジェット。と、一歩前に踏み出したその脚がふと止まり、長い前髪に隠された眉がかすかにひそめられる。
 一方のジョーもまた、それは同じことで―。

 二人の動きを止めたのは、振り向いた子供たちの「目」に他ならなかった。

 どうせ、こんな時間にこんな場所でたむろしているような連中が素直に謝るとは思っていない(偏見と言われるかもしれないが、怒鳴られておとなしく謝るくらいなら、最初から道を譲っているだろう)。だけど、それならそれで怒るとか睨みつけるとか、何らかの反応を見せるはずだろうに。
 二人をじっと見つめているいくつもの目は、どれもこれも何の感情も浮かべてはいなかった。
 反省の色などあるはずもなく、かといって突然の怒鳴り声に話の輪を乱されてふくれているわけでもない。
 何をするでもなく、不思議そうにじっとこちらを見つめているだけの―暗く、ただ澄みきっているばかりの瞳。

 いっそ、ぶちキレて襲いかかってきてくれればまだマシだったかもしれない。
 そうでなければせめて反抗の叫び、罵声の一つも浴びせてくれればどれほどほっとしたことだろうか―。

 なのに、何も言わず。瞬きもせず。ただじっと自分たちを見つめている、汚れのない瞳、瞳、瞳―。

 どこまでも透明な極上のガラス玉でこさえた義眼に囲まれてしまったような、何とも居心地の悪い雰囲気に、ジェットもジョーも言葉すら失ってしまったそのとき。

「てめぇら! またお客様の邪魔してやがったな! 一体、何度言ったらわかるんだ! たむろするのは勝手だが、お客様の邪魔したらただじゃおかねぇ、俺は確かにそう言ったよな! 忘れたなんざ、言わせねぇぞコラァ!」
 店の自動ドアからひょいと顔を出した店員の一喝に、子供たちの目が瞬時にして感情を取り戻す。同時にジョーの茶色の瞳もほんの少し、見開かれた―。
(この声…聞いたことが、ある―!)
 店内の明かりを背にしてこちらを睨みつけている店員の顔立ちは逆光になってよく見えない。コンビニの制服を着ているのがかろうじてわかる程度である。ジョーが必死に目を凝らすよりも早く、子供たちの中から一つの大柄な影が立ち上がった。
「だって兄ィ! こいつらがいきなり俺たちのこと、怒鳴りつけやがったんだ!」
 しかし店員は聞く耳を持たない。
「何だ? お客様の所為にするつもりか、タケシ! ケッ! そんなのてめぇらが店の入り口の前でだらだらぐちゃぐちゃくっ喋って通行の邪魔コイてたからだろうが! いいからさっさとどけ! 今度トラブりやがったら出入り禁止にしてやるぞ!」
 叱りつけられた子供たちは、しぶしぶながらようやく場所を移動した。とはいえやはり店の脇、ちょっと離れたところで再び車座になって騒ぎ出す。その様子に小さな舌打ちをした店員がそのまま外に出てきて、ジェットとジョーに深々と頭を下げた。
「大変失礼致しました。あいつらには俺からよく言っておきますから、どうか許してやって下さい。さ、どうぞどうぞ」
 言いながら愛想笑い一杯の顔を上げた、その、店員は―!
「ヤ…ヤス! お前、ヤスじゃないか!」
 自分でもびっくりするほどの大声を出してしまったジョーに、店員もまたその団栗眼を大きく見開いたのであった。
「お、お前…! ジョー!? ジョーかよおい! 生きてたんだな!」
 そう、その店員こそかつてのジョーの不良仲間、「ハナキズのヤス」その人であった―。

 たちまちどちらからともなく抱き合って再会を喜び合う二人に、ジェットはただただその青い瞳を大きく見開いているばかりである。気がつけばあの子供たちもまた、呆然とした表情でこちらの方を眺めていた。
 それに気づいたヤスが、最後にもう一度大声を張り上げて―。
「いいかてめぇら! コイツは俺の大事なダチなんだ! こっちの外国の人だって、ダチのダチなら同じこった! もう二度と失礼な真似すんじゃねぇ! 第一コイツは俺の何倍も強えーんだからな! ヘタに手ェ出してとんでもねぇ目に遭ったって俺は一切知らねぇぞ、覚えとけ!」
 そのときジョーの表情がかすかに変わったことに気づいたのはおそらくジェットだけだったろう。しかしそんなことはともかく、二人は店員―ハナキズのヤスの大歓迎を受け、半ば押し込まれるようにして店の中に入っていったのだった。

「悪りぃな、今相方が商品補充のために倉庫に行ってんだ。ヤツが戻ってくればよ、レジ任せてちったぁゆっくり話せるから」
「そんな、気なんか遣わなくていいよ、ヤス…それより何年ぶりだい? 一体あれからどうしてたんだよ!」
 深夜のこととて店内には他の客は誰もいなかった。それをいいことに、レジを挟んだジョーとヤスの間にはたちまち思い出話の花が咲く。ジェットもまたレジにもたれ、二人の話に聞くともなく耳を傾けていた。
「いや、それがさぁ…。実は俺、あのあとセコイ傷害事件起こしてチョーエキ喰らっちまってよぉ。でもって、ムショから出てきたときに保護司からここの店長っつーか…オーナー紹介してもらってさ、以来ずっとここで働いてんだ。もう三年…いや、四年になるかな? それよりお前こそどーしてたんだよ」
「うん、僕もあれからいろいろあってね…。今はギルモア博士っていう科学者の助手になって、このジェットや他の仲間と共同生活してるんだ」
「そっかぁ。それじゃこの人はジョーの同僚なんだ。ジェットさんっスか? 俺、花岡安夫っていいます。よろしくお願いしまっス!」
「あ…いや、こちらこそ」
 少々遅ればせながら、ジェットとヤスが初対面の挨拶よろしくお互い深々と頭を下げたとき、レジの背後の従業員控え室からもう一人のかなり若い店員が、品物を一杯に乗せた台車を押しながら店に入ってきた。
「花岡チーフ、すんませんでした! カップラーメンの在庫が切れてて、探してたらえれぇ時間食っちまって…」
「おう、いいってことよ、村田。カップラーメンなら明日の朝配達来っから心配すんな。…ああ、こんだけありゃ充分もつだろ。じゃ、悪いけど棚への補充頼むわ」
「はいっ!」
 元気のいい返事とともにうなづいた店員が、ヤスとともにレジを占領しているジョーとジェットに気づいてふと怪訝な表情になる。それを察したのか、ヤスがジョーの肩をポン、と叩いた。
「あ、コイツさぁ、俺の昔のマブダチと、またそのダチ。さっき偶然買い物に来てくれたんだ。…言っとくがな、ダチとはいえ俺みてぇなムショ帰りじゃねーぞ」
 「ムショ帰り」という物騒な言葉にはっと振り向くジョーとジェット。だが村田と呼ばれた若い店員は屈託のない笑顔を浮かべたばかりである。
「わかってますって。それよりチーフ、そんなら控え室の方がゆっくり話できるんじゃないですか? 今ならお客様もあまりいないし、俺一人でも何とかなるっスよ」
「お、そーか? すまねぇな。何かあったら遠慮なく声かけてくれや!」
 村田に向かって軽く手を上げたヤスに案内されて、ジョーとジェットは従業員控え室に入った。狭い部屋だが一応小さなテーブルとソファ、そしていくつかのパイプ椅子、ついでに冷蔵庫や湯呑み、ガラスのコップなどもちゃんと取り揃えてある。
「ま、そのへんテキトーに座って、座って…ペットボトルの烏龍茶しかねぇけど、いいか?」
 言いつつ、ヤスは手際よく冷蔵庫からボトルを取り出し、コップに注いで二人の前に置いてくれた。そして自分はというと、同じく冷蔵庫から取り出した小ぶりのペットボトルを手に椅子に腰かける。
「失礼して俺はこっちな。マイボトルだぜ♪」
 早速ラッパ飲みしたボトルの中身は今流行のミネラルウォーターだった。
「ありがとう。何か、気を遣わせちゃって悪いね。さっきの人も…レジ、一人で大丈夫?」
「久しぶりの再会じゃねぇか。そっちこそ、気にすんなよ。村田の方も大丈夫さ。何てったってこの店の連中全員、お互い兄弟同然のつき合いしてんだから。もし何かあったら遠慮なく声かけてくるだろうからよ、全っ然心配ねぇんだぜ」
 にこやかにそういわれて、ようやくジョーの口元もほころぶ。
「そうかい? それなら…」
 ジェットと二人、出されたコップの中身を一気に半分ほど飲み干す。夜中とはいえ少々蒸し暑い中、冷えた烏龍茶は涙が出るほどうまかった。
と、ふとジョーが真顔になって。
「でもさ、ヤス…言いにくいん…だけど、いくら気兼ねのない仲だからって、その…昔のことまでみんなに話してるの?」
「ああ、みんな知ってるぜ」
 慎重に、言葉を選びながらの問いかけを軽くいなされ、顔を見合わせてしまったジョーとジェット。そんな二人を見たヤスが、いたずらっぽくにやりと笑った。
「ここに就職するとき、オーナーに言われたんだよ。『本当にやり直す気があるんなら、みんなに何もかも打ち明けて裸のままで飛び込んでみろ』ってさ。『うちの連中は俺が厳しく仕込んだから、過去のことで他人を差別するようなヤツは一人もいねぇ』って。俺も最初は悩んだんだけどよ、ま、とあることがあって覚悟きめてな。働き出したその日に打ち明けたんだ」
「そりゃ…大した度胸だな…。しかも今はチーフなんだろ? アンタ、すげぇや。立派なもんだ」
 ジェットのつぶやきに、ヤスの顔がほんのりと赤くなる。
「ありがとさんっス。でもやっぱ、最初のうちはちびっと辛かったっスよ。確かにみんな、あからさまな悪口や陰口なんざ一言も叩かねぇ。分け隔てなんかも一切なしで、ごく普通に接してくれた。でもそりゃあくまでも仕事上だけでね。プライベートになるとやっぱ、どことなく…『触らぬ神に崇りなし』っての? よそよそしくなっちゃってさぁ。正直、『オーナーの言うことなんか聞かなきゃよかった』って思ったこともあったっス」
「だけど今はそんなこと、全然ないじゃないか! そうだよ…さっきの…村田さんだって全然…それとも、彼のあんな態度も仕事中だけなのかい?」
 ジョーの声が高くなった。茶色の瞳が今にも泣きそうに潤んでいる。それに気づいたヤスが、その両手をぶんぶんと盛大に振り回した。
「ち、違うよジョー! そんなのあくまでも最初のうちだけだってば! そんな顔で人のこと見るなよっ! あのな、実はそのあと、ちょっとした事件があって…」
「事件?」
 かすかに目を細めて不審げに聞き返したジェットに、軽い調子でうなづき返すヤス。
 だが、続いてその口から飛び出したのは、とんでもない台詞であった。
「コンビニ強盗に、ぶち当たっちまったんだよ」
 


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