落とし穴 3


 そんなこんなで、ようやくピュンマが自由の身になれたのは、彼の滞在期間が残すところあと三分の一くらいになってしまった頃であった。
 もともと今回は、日本での日程のほとんどをメンテナンスに費やさなくてはならないだろうと覚悟していたとはいえ、できることなら仲間との休暇も楽しみたいと思っていたピュンマは張り切ってベッドから起き出し、以来イワンの世話やフランソワーズの手伝い、ジョーとの買出しや車の整備、果ては張々湖飯店のアルバイトに至るまで、八面六臂の大活躍を見せていたのだが…。

「しかしピュンマの奴、経過観察が終ってからこっち、ずっと働きづめじゃないか。…あれで果たして、休暇といえるのかね?」
「そやナァ…でも、国の方じゃまだ内戦後の復興に手間取ってはるようやし、日本にいるわてらには想像もつかんような苦労がいろいろあるんとちゃうやろか。わてらがこうして平和に暮らしている間、ピュンマはずっと戦場にいたようなもんアル。思うに、こんな何でもない日常をみんなと一緒に過ごすことが、ピュンマにとっては何よりの骨休めになってるんじゃないやろかねェ」
 これはとある夜、閉店後の張々湖飯店の厨房で、熱い烏龍茶をすすりながら世間話をしていたグレートと張々湖の台詞である。
「まぁ、確かにそれはそうだろうが…でも、一日二日はどこかに遊びに出してもやりたいじゃないかよ。国で待ってる同僚たちに土産だって買いたいだろうし」
「ジェフはんとかリタはんたちにアルか?」
 ふと目を上げた張々湖に、グレートは大きくうなづいて。
「ああ。話を聞いた限りじゃ、みんなすごくいい連中らしいし…それに、そのリタって女の子とはさ…」
「おお、そうアルそうアル」
 そこで意味ありげににんまりと笑いあった二人。そう、ピュンマ自身はリタのことを単なる仕事仲間としか告げていないのだが、そこはそれ、蛇の道は蛇。ピュンマとリタとのことは、もうとっくに00ナンバー全員の知るところとなっていたのである(噂の出所はおそらくアルベルトあたりか?)。
「それじゃ今日はすぐ家に帰って他のみんなとも相談するヨロシ」
「おう。善は急げだ」
 そして大急ぎでギルモア邸に戻った二人が、ピュンマが席をはずした隙に、みんなにその話をしてみれば。
 誰しも思うところは同じだったとみえて、たちまち全員がその話に乗ってきた。
「…それじゃぁ、明日」
「誘ってみるのはジョー、お前がやれ。車を出した方が何かと都合がよかろう」
「リタはんへのお土産も買うんやから、フランソワーズも一緒の方がいいアルね」
「でも、それじゃイワンの世話が…」
「イワンのことなら心配せんでええ。一日だけなら、わし一人で充分じゃ」
(ソウダヨ。ボクノコトナラドウゾ、ゴ心配ナク)
「よし。これで決まりだな」
 あっという間に相談はまとまり、次の日早速実行されることになった。

 翌朝、朝食の席でジョーからドライブに誘われたピュンマが喜んでうなづいたのはもちろんである。そしてその一時間後、フランソワーズを交えた若者三人組は颯爽とドライブに出かけたのだが…。
「…そういえばピュンマ。国のみんなにお土産とか買わなくていいのかい? 今日は僕らがどこでもつき合うよ。行きたいところがあったら遠慮なく言ってよね」
 他愛ないお喋りの合間を縫ってジョーがさり気なく水を向けた、ここまでは作戦通りである。しかし、それに対するピュンマの返事は、ジョーとフランソワーズにとって全く予想外のものであった。
「え…ホント? いいのかい? 嬉しいなぁ。じゃあ、お言葉に甘えて、連れてってよ、秋葉原」
「秋葉原ぁ!?」
 途端、顔を見合わせるジョーとフランソワーズ。だが、ピュンマの希望とあれば仕方がない。ジョーが首をかしげながらぐっとハンドルを切ったのを、助手席のフランソワーズがどこか不安げに見つめていた。

 多少予定とは食い違ってしまったとはいえ、とりあえず着いたぞ、秋葉原。一番初めに目に入った駐車場に車を停めて外に出た途端、ピュンマはあちこちの路地を歩き回り、ちんまりとした電子部品の店ばかりを丹念に見て歩く。やがてようやく思い通りの店を見つけたのか、入り口に積んであった買い物籠を手に取ったかと見るや、狭い店内の棚一つ一つを、まるで舐めるようにチェックし始めた。
「えっと…このスパークプラグは…うん、こっちのがいいな。あ、エンジン用プラグもある! ニクロム線は…あと、ホーンケーブルとマルチリフレクターユニットに…」
 ぶつぶつわけのわからないことをつぶやきながら、あれこれと品物を選んでいくピュンマ。と、店の奥のささやかなレジからその様子を見守っていた初老の男が声をかけてきた。
「…ほう。そこの黒人さん、目が高いねぇ」
 言われたピュンマより一瞬早く振り向いたジョーがかすかに眉をひそめる。が、ピュンマは全然気にする様子もなくて。
(いいんだよ、ジョー。だって僕はまぎれもなく黒人だもの。…それにこの人、別に差別とかするつもりで言ってるんでもないみたいだし)
 ささやいているうちに、男はのこのことレジから出てきた。
「ふぅん。品物の選び方が一味違うよ、この人は。どれもこれも微妙に型が古い、そのくせ性能は最新型に匹敵するモンばっかりだ。採算性と有効性を考えりゃ満点だぁな。何でもかんでも最新型で統一するのは野暮野暮。今のこのご時世、たった一つ型番が古くなりゃあ値段はぱっと下がる。性能は大して違わないのにだぜ。だったら、そういうのを上手に使って、安くて高性能の機械を組み立てるってぇことこそが粋ってもんさ」
 買い物籠の中身をまじまじと見つめられてそう言われては、さすがのピュンマも赤面するしかない。
「え…そんな、ご主人…。僕はただ、あんまり予算を持ってないから、だから…」
「だからよ、それが粋だって言ってんだよ。近頃は、金にあかせて最新部品ばっか買いあさりやがって、そのくせ技術は大したことねぇ…てな客ばかりでくさくさしてたんだ、おいらもよ。それにあんた、外人さんだってぇのに日本語もぺらぺらじゃねぇか。よく勉強してんだなぁ…よし、黒人のあんちゃん! おいらあんたが気に入ったぜ! この店の部品、どれでも定価の二割引にしてやっから、持ってけ泥棒っ!」
「ほ、本当ですか!?」
 すでに二人の会話は異次元、ファイバーランプのきらめきと発熱するニクロム線の優しい光に満ち溢れたパラダイスに飛んでいる。その傍ら、フランソワーズがそっとジョーの脇腹をつついた。
(ちょっとジョー…いいの? ピュンマったら、みんなへのお土産どうするつもりなのかしら)
 すでに自分もかなり不安になっていたジョーは、その言葉を聞くやいなやぱっとピュンマの袖に手を伸ばす。
(ね、ピュンマ…君の趣味の材料はともかく、みんなへのお土産はどうするの)
「へ…? 『お土産』って…今買ってるじゃないか」
「は…?」
 たちまち、目が点になるジョーとフランソワーズ。
「僕の国はまだ送電設備が整ってないから、自家発電機がないと何もできない。おかげでうちの発電機は毎日毎日フル稼働のオーバーワーク気味でね…他の機械もみんなそうさ。だけど、部品の調達がまた思うように行かなくて、ジェフも仲間たちもすごく困ってるんだ。せっかく日本に来たんだもの、できるだけ多くの部品を買ってってあげれば、きっとみんな、すごく喜んでくれるよ」
 …それはわかる。よくわかるが、しかし…。
「だってピュンマ、リタ…さんへのお土産も選ぶんだろう?」
「ああ、リタへのお土産はもうここに取ってあるよ。ほら、ヒューズとプラグ、それにケーブルもこんなにたくさん。彼女は備品管理も担当してるから、しょっちゅうみんなに『あれが壊れた、これが壊れた』って言われててんてこ舞いしてるんだ。特にこんな消耗品はあっという間に在庫切れになっちゃうからね…」
「ちょっとピュンマ!」
 完璧に論点がずれた話を延々と語り続けるピュンマに、ついにフランソワーズがキレた。
「貴方ねぇ、彼女へのお土産だったらもっとちゃんとしたものを買ってあげてよ! いくら仕事に役立つからって、好きな人からの海外旅行のお土産に、電子部品の山をもらって喜ぶ女の子がどこにいるっていうの!」
 一喝されてきょとんとしたピュンマの顔が、たちまち真っ赤になる。
「え…『好きな人』って…。どうして君たちが知ってるんだい!? あ! さてはアルベルトだな! …もう、普段あんなに口が堅いくせに、どうしてこういうことは喋っちゃうかなぁ…。あの、『お喋り死神』め!」
 そのとき、遥か遠いドイツの空の下でアルベルトがくしゃみをしたかどうかは知らない。だが、三人の会話を聞いていた男―いや、店主が再び図々しくも割り込んできた。
「何だいあんちゃん。そんなモンを彼女への土産にするつもりだったのかい? …いや、そりゃうちの品物はよ、どいつもこいつも保証つきの一級品ばかりだが…コレへのプレゼント向きたぁちっと、言えねえやな」
 ぴんと小指を立てながら、にやにやと笑う店主。ピュンマの顔が、さらに赤くなる。
「で、でもご主人。さっきも言ったけど、僕は本当に予算がなくて…これ以外のお土産なんてとても…」
 それでもなお、予算が足りないのを理由に何とか逃げようとするピュンマ。だが、そんなことでひるむ店主ではない。
「男がそんな肝っ玉の小せぇこと言っててどうするよ。―あ、それからおいらのことは『おっさん』か『オヤジ』で充分だ。『ご主人』なんて呼ばれたひにゃ、ケツがむず痒くなっていけねぇ―あのな、金がねぇなら上野か浅草あたりの問屋街に行ってみな。女が喜びそうな首飾りだの洋服だのカバンだの、折り紙つきの極上品をバナナの叩き売り並みの値段で売ってるぜ。ちょっと待てや。地図描いてやる」
 考えてみれば、電子部品屋のオヤジにファッションやアクセサリーの問屋街を教えてもらうというのもおかしな話だが―ともあれ、買い込んだ部品を詰めた段ボール箱と描いてもらった地図を手に、三人はそのまま上野に向かったのであった。

「洋服や靴は、試着してみないと微妙にサイズが合わなかったりするし、バッグ類は意外とかさばるのよね。あれだけ荷物ができちゃったんですもの、買うならやっぱりアクセサリーがいいんじゃないかしら」
 フランソワーズのこの言葉に従い、とりあえず目についたジュエリーショップに入ってみる。
「わあ…すごい」
 店内に一歩足を踏み入れた途端、異口同音に感嘆の声を漏らした三人だったが、その心情は微妙に違う。
「あ、このペンダント、可愛い! こっちのリングはちょっと大人向きかしら。でも、たまにはこういうのをつけてみたっていいわよね」
 うきうきとはしゃぎながら店中をあれこれ見て回るフランソワーズ。一方の男二人は、入ったその場で呆然と口を開け、ただただ立ちすくんでいるばかりである。
「ねぇ、ピュンマ…。何だか、目がちかちかしない?」
「うん…。眩しすぎて、頭もくらくらする…」
 ピュンマもジョーも、この手の店にはほとんど入ったことがない。したがって、二人の感覚ときたら、「宝石がたくさんついているもの→綺麗で派手」「シルバーやゴールドなど貴金属を主にしたもの→シックで地味」程度のものである。可愛いだの大人向けだの、そんな微妙なニュアンスなど、逆立ちしたってわかるわけがない。まして、
「ねぇピュンマ。リタさんってどんなものが好きなの?」
 こんな難問をぶつけられたりしたら、それだけで脳内の補助電子頭脳がショートしてしまいそうだ。
「あの…え…と…。うーんと…あー……わからない」
 こんな調子では、品物を選ぶ前に日が暮れてしまう。フランソワーズが小さなため息をつき、肩をすくめた。
「ん、もう! それじゃ、私がよさそうなのをいくつか選んであげるわ。でも、そのうちどれにするか、最後は貴方が決めるのよ。わかったわね、ピュンマ!」
「はい…」
 びしりとそう言われ、小さくなって待つこと一時間。ようやく候補を絞り込んでくれたフランソワーズのあとに続いていくつかの陳列ケースを見て回る。しかし、どれもこれもピュンマの目にはみな同じように見えて―。
 だが、最後に指し示されたものを目にした途端、ピュンマの口から小さな声がもれた。
「あ…!」
 それは、プラチナでイルカをかたどったチョーカー。水面から大きく跳ね上がったポーズのその尻尾に、小さなティアドロップ型のダイヤがついているのは水の滴をあらわしているのだろうか。
「これ…素敵だね」
「でしょう?」
 フランソワーズも、してやったりという表情になる。
「実は私も、それが一番いいな、って思ってたの。やっぱりピュンマはそれを選んでくれたのね。嬉しいわ!」
 見れば値段も手ごろ、無理をしなくても充分買える価格である。
「ありがとう、フランソワーズ! これに決めるよ。…じゃ、お金、払ってくるから」
 店員を呼んで包んでもらい、レジへと向かえば何故かジョーがその後ろにとことことついてくる。ピュンマは眉をひそめ、こっそり脳波通信を送った。
(ねえ、ジョー。僕の方はもう決まったんだからさ、フランソワーズにも何かプレゼントしてあげれば? せっかくこんなところに来たんだもの。…女の子ってさ、みんなこういう…アクセサリーとか、好きなんだろう?)
(え…? うん…。でも僕、何を買ってあげたらいいのか、わからないし…)
(何言ってんだよ! 君の場合は、買ってあげたい相手が一緒にいるんじゃないか! たった一言、「気に入ったのがあったらプレゼントするよ」って言えばいい話だろう!)
(な…何だよ! 君にそんなこと言われたくないよ! 自分だって、フランソワーズに選んでもらったくせに)
(でも、最後に決めたのは僕だよ!)
 何も知らぬ者が見れば、ただレジで支払いをしているだけの二人連れの客。一言も言葉を交わさないまま、こんな不毛な言い争いが繰り広げられているとは誰に想像できるだろう。…ちなみに、二人の脳波通信はそっくりそのままフランソワーズにも筒抜けであった。
(やれやれ…あの二人、どっちもどっちだってことに、どうして気づかないのかしら)
 再び、ため息をついたフランソワーズ。だが、こんなことで腹を立てていては男となんかつき合えない。
 結局、言い負かされたジョーが先ほどのピュンマと同じくらい真っ赤になった顔でおずおずと近づいてきて―何度もつっかえ、どもりながらも何とかその台詞を言ったとき、フランソワーズの顔にも満面の笑みが浮かんだのであった。
(…はい。よくできました。合格よ、ジョー)

 そのあともあちこちを見て回り、思う存分買い物を楽しんだ三人が帰途に着いたのは夕方近くになってからであった。
「…少し、風が出てきたね」
 独り言のようにつぶやいたジョーにかすかにうなづきかけたフランソワーズの首筋には、大粒のアクアマリンのチョーカーが輝いている。「何かほしいものがあったらプレゼントするよ」―あれだけ苦労してやっとそう言ったくせに、いざ品物を選ぶ段階になった途端、ジョーはフランソワーズの好みも聞かずに加速装置並の速さでこれに決めてしまったのだ。きょとんとしたフランソワーズが理由を尋ねてみれば、「だってこれ…君の瞳の色にそっくりなんだもの…」と、またまたしどろもどろの説明。こうなるともう、「勝手にやってくれ」としか言いようがない。
 だが、そんなことはともかくとして。
「あ、ジョー。ちょっと車止めて!」
 ギルモア邸まであともう三十分足らずとなったところで、突然ピュンマが叫んだ。そこは、小さな港。船着場の両端から延びる堤防がかなり長く続き、ちょっとした散歩コースになっている場所である。
「いきなりどうしたんだい、ピュンマ」
 堤防脇に車を停め、ジョーが怪訝な表情になる。
「ごめん…でもちょっと、海が見たくなって」
「じゃあ、少し降りて歩きましょうか。まだ時間は大丈夫でしょう、ジョー」
 海際の所為か、風はかなり強くなっていた。波も高く、時折派手に堤防にぶつかって盛大な波飛沫が上がる。三人の他に歩いている人影といえば、少し離れたところをはしゃぎ回っている幼稚園児くらいの男の子と、その妹らしいよちよち歩きの女の子を連れた母親くらいのものであった。
「これ、周ちゃん! そんなところに登らないの! 危ないじゃない!」
 海が見たいのか、何とか堤防によじ登ろうとする男の子を叱りつける母親の声が聞こえる。微笑ましい光景を横目で見ながら、三人も堤防にそって、ぶらぶらと歩いてみた。
「…不思議なもんだなぁ」
 しみじみとつぶやくピュンマに、ジョーとフランソワーズがふと顔を上げる。
「僕の国―ムアンバはほとんど内陸国だから、海岸線なんて、ほんのちょっぴりしかないんだよ。当然、一度も海を見ずに一生を終わる人間も多い。僕も…多分、そうなるはずだった。だけど、BGに捕まって、改造されて…それ自体はものすごく―今でも―辛いことには違いないけど…でも、そのおかげで僕は海の世界を知り、海が大好きになった。君たちに会えたこともそうだけど、僕はそれを真実、幸せに思ってる。辛くて、哀しくて―できるなら消してしまいたい過去なのに、そのおかげで幸せだと思えることもあって―不思議だよね、本当に」
 その言葉に、ジョーもフランソワーズも思い当たることがあったのだろう。しばし誰も、何も言わなかった。だがやがて、ジョーがようやく何かを言おうとしたそのとき。
「きゃあああぁぁぁっ!!」
 不意に響いた絶叫に、三人は弾かれたように振り向いた。

 


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