旧家の風格 3


 ちょっと目を離した隙に、よりにもよって塀の外へとふわふわ漂い出てしまったチビ犬を追って全速力で駆け出したジョー、ジェット、そしてアルベルト。彼らの肝を何より冷やしたのは、パピの「××しゃぁ〜んvv」という台詞だった。はっきりとは聞こえなかったものの、それはどう考えても誰か親しい相手に対する呼びかけ。…と、いうことは。
(まさか、隣近所の顔見知りでも見つけたんじゃないだろうな!)
(…かもしれない。パピちゃん、町内の人たちにはとっても可愛がられてるみたいだし)
(冗談じゃねぇ! 普段どんなに可愛がってるワン公だろうが、文字通り『空から』飛んでこられたりしたひにゃ誰だって大パニックだ! まして万が一心臓の弱いヤツや年寄りだったらそのまま成仏しちまったっておかしかねぇぞ!)
 そんな脳波通信を交わす自分たちこそ半分パニック状態に陥っていることには全く気づかぬまま、弾丸のごとき勢いで外へと飛び出した三人だったが。
「…はぁ?」
 そこに繰り広げられていたのはまたしても、信じられない光景であった…。

「内田しゃぁ〜ん、北村しゃぁ〜ん、新年おめでとうございますでち〜vv 今年もどうじょ、うんと、うんとよろちくお願いしますでち〜」
「パピちゃん、こちらこそだよ〜♪ 今年もお兄ちゃんとたくさん、たくさん仲良くしておくれねーvv」
「ほらパピちゃん、おじちゃんもいるぞ〜。わざわざお迎えに出てきてくれるなんてありがとうなぁ。嬉しいよ〜vv」
 三人の前方十五メートル、一般道路のド真ん中でパピを抱きしめ、いかにも嬉しそうにそのふかふか毛皮に頬ずりしているのはまだ二十代半ばと思われる若い男。その隣から手を伸ばし、これまた愛しげにチビ犬をなでている男は少し年配、五十代始めというところだろうか。パピもまた、そのふさふさ尻尾をぶんぶんぐるぐる振り回しつつ、彼らの頬やら指やらを夢中になってなめている。これじゃ一体何のためにあんなに焦って飛び出してきたんだか、わけがわからない。
 しかしそれ以上にわからないのは、彼らがどこからどう見てもかなりのエリートビジネスマンとしか思えないことだった。仕立てのいいスーツをさらりと着こなし、いかにも高級そうな鞄や靴をさりげなく身につけたその姿はまさしく切れ者の企業戦士そのもの、そんな男たちがたった一匹のチビ犬相手に相好崩しまくりの目尻下げまくり、ついでに甘々メロメロデレデレの猫なで声(いやこの場合は犬なで声か…?)で語りかけ、戯れているのを目の当たりにしては、同じ男としてこっちの方がこっ恥ずかしくなるっちゅーか何ちゅーか。
 しかしいくらこっ恥ずかしかろうが赤面しようが、当初の目的を忘れるわけにはいかない。
「オイコラこのバカ犬っ! 人をあんなにびっくり仰天させておいて、何のんびりと遊んでやがるんだよっ!!」
 真っ先に己が使命を思い出し、容赦なく怒鳴りつけたのはもちろんジェット。このあたりはさすが00ナンバー屈指の先制攻撃担当、斬込隊長の面目躍如である。
 けれど―。
「な…っ…何だ、君たちは!」
 いきなり怒鳴りつけられ、はっと顔を上げた若い男が素早くパピを年配の連れに渡し、そのまま一人と一匹をかばうように一歩前に出て身構えたではないか。かたやパピを手渡された男の方もすかさず体を捻り、半分こちらに背を向けて―もし不測の事態でも起ころうものなら全身でこのチビ犬を守らんと必死の形相で睨みつけてくる。これにはさすがのサイボーグ戦士たちといえども目を白黒させて。
「あ…いえ、僕たちはですね…決して貴方方やパピちゃんに危害を加える気なんか…」
 しどろもどろなジョーの弁明に、パピの舌っ足らずな声がかぶさる。
「大丈夫でちよ、内田しゃん♪ しょの人たちは聖ママの大事な大事なお友達で…ボクをママのおうちの子にお世話ちてくれた人たちなんでち」
「えっ!? そうなの、パピちゃん?」
 途端、若きエリートビジネスマン(…らしき男)はぎょっとした様子で姿勢を正し、深々と三人に頭を下げた。
「大変失礼致しました! 実は私、株式会社まほろば証券個人営業第二部、内田翔太と申します。本日はこちらの藤蔭様にお年始のご挨拶をと、上司と罷り越した次第でございまして…」
 続いて年配の男の方もいまだパピを抱いたまま最敬礼。
「私は同じくまほろば証券個人営業本部長の北村孝義と申します。知らぬこととはいえ、ご無礼何卒お許し下さいませっ」
 さらに二人が丁寧に差し出した名刺を見れば、同じ名前と肩書がしっかりはっきり印刷されてたりなんかして。となれば、今度はこちらがぎょっとする番である。
(お、おい…『まほろば証券』つーたらもしかして…『まほろば銀行』系列の…?)
(う、うん。あの…日本で一、二を争うメガバンク…)
(銀行だけじゃないぞ。まほろば証券自体だって確か、○証第一部上場の大企業じゃ…なかったか?)
 すっかり毒気を抜かれて顔を見合わせるジョー、ジェット、そしてアルベルト。
 そりゃまぁ、藤蔭家ほどの資産家ならば証券会社とのつき合いがあったところで不思議はないし、どうせ取引するならより経営基盤がしっかりした大会社を選ぶのもごく当然の理ではあるが。
(だけど違う…何かが違う。そんな、気がする…)
 三人の胸中に申し合わせたように湧き上がってきたかすかな違和感。とはいえ今はそれをのんびりゆっくり検証するヒマなどあるわけない。
 結局彼らはそのままなし崩し的に、北村と内田、そしてパピとともに再び藤蔭家の門へと向かったのであった。

 それから五分後―。
「奥様、聖様、それからパピちゃん―新年おめでとうございます。どうか本年も我がまほろば証券をよしなに、よしなに…」
「こちらこそ…」
 玄関先で丁寧な年始挨拶を交わすエリートビジネスマン二人と藤蔭母娘、ついでにパピ。そのさらに奥、廊下の陰には他の仲間たちやギルモア博士が不安げに息を殺しているのが気配でわかる。他人の家に訪れた来客の挨拶を盗み見るなど不躾極まりないことは重々承知しているものの、先程のパピの件が一体どうなったのか、皆心配でたまらないのだろう。
 でもってジョー、ジェット、そしてアルベルトはというと、まさか北村と内田を押しのけて自分たちだけ家の中に上がりこむわけにもいかず、結局彼らの後ろにつっ立ったまま様子を眺めているしかなかった。
 しかもその間、例の違和感はますます大きくなっていく一方で―。
 例えば、雪江と藤蔭医師が上がり口に正座しているのはこういう場合当然のこととして、どーしてパピが彼女たちの真ん中、それも半歩ほど前で両前脚を偉そうに踏ん張ってお座りしてなきゃならんのだ?
 北村と内田だってそうだ。確か、ビジネスマナーにおける最敬礼とは上体の傾斜角度四五度、一国の元首その他の非常に身分、地位の高い人間が相手の場合でも九十度―のはずなのに、彼らのお辞儀はそれよりもはるかに深く―さながら体力測定の立位体前屈並である。これではまるで―。
 胸の中の違和感が徐々に不気味さを増していく中、極めつけの出来事が起こった。
「こちらはわが社からのほんの気持ちでございます。どうぞお収め下さいませ」
 言いつつ内田が丁寧に差し出した菓子折らしい紙包み、しかしその上にはもう一つ、幾分小ぶりの包みがちんまり乗っかっていて。
「あとこちらは内田と私からパピちゃんに。パピちゃん、ド○ーマンのビーフジャーキー大好きだったろう。おじちゃんたちからのプレゼントだよ〜」
 北村がにこやかに言葉を添えた瞬間、違和感は完全に不吉な予感へと変貌した。しかもこの予感、おそらく一〇〇%以上の確率で大当たりしてしまいそうな…。
(オイ…いくらお得意様だからって、飼い犬にまで手土産持ってくるか、フツー?)
(しかし相手は藤蔭家とあのワン公だからな…人類の常識や一般の社会通念なぞは通用しないかもしれん。大体、並の人間だったらアイツがぷかぷかふわふわ宙に浮いてるのを目撃した時点で大声上げてその場にへたり込んでるのが当然だぞ? なのに…)
(だけどあの人たちは間違いなく一般の…それも大企業の会社員だよ? そんな人たちまでが、まさか…)
 しかし、百戦錬磨のサイボーグ戦士たちをここまでうろたえさせていることなど、当の「一般人」たちはまるで気づくふうもなく。
「まぁまぁ、いつもお気遣いありがとうございます。…そうだ、今ちょうどお汁粉をたっぷり作ったところなんですよ。もしよろしければお二人もどうぞご一緒に」
「いえそんな、とんでもないっ! 私どもはほんのご挨拶にお伺いしただけで…それに、ただ今こちら様にはお客様がおいでになっているようですし…」
「いえ、皆さん私どもにとっては家族同然の方々ですからちっともご遠慮なさる必要はありませんわ。さぁどうぞ」
「北村しゃぁ〜ん、内田しゃぁ〜ん、ちょっとでいいからあんがちてってよぉ。ねぇ〜」
 「お得意様」一家から口々に誘われ、北村と内田が戸惑ったふうに顔を見合わせた。

 そんでもって結局、00ナンバーサイボーグたちとかのエリートビジネスマン二人は、ともに再び奥座敷へと案内され、仲良く座卓を囲むことと相成ったわけだが。
「皆さん、お待たせ致しました。お汁粉の他にも磯部巻きやピザ風お餅を用意致しましたので、どれでもお好きなものをどうぞ」
 藤蔭医師の言葉に、アルベルトが露骨にほっとしたような表情になった。それを目に留めた女医がくすりと笑ったところをみると、この気遣いはひとえにこのドイツ人のためだったらしい。しかし実はもう一人、北村もアルベルトと同じ顔になっていた。どうやらこちらの営業本部長氏もかなりの辛党のようである。しかし他の面々は歓声を上げつつ汁粉の椀と取り皿を受け取り―甘辛両方の味を存分に堪能するべく、やる気満々とみえる。
 ちなみにイワンの前にもちゃんと子供用の可愛らしい塗り椀が置かれ、幼い赤子がのどに詰まらせやすい餅の代わりに直径一センチほどの小さな白玉を浮かべた特製汁粉がほっこり湯気を立てていた。もちろんパピも先程のビーフジャーキーやら犬用ビスケットやらでお相伴、すっかりご満悦の様子である。
 初対面の気恥ずかしさからか、最初のうちこそお互い仲間内でひそひそささやき合うばかりだった来客たちも、北村と内田がうまい具合に話のきっかけを作ってくれたおかげで(さすが営業マン←笑)少しずつ言葉を交わし始め―しばらく後にはそれなりに打ち解け、会話も結構はずんできていた。もっともそれは、誰彼構わずじゃれついたり甘えかかったりして皆の気持ちを和ませたイワンとパピのせいもあるだろう。かの「常識外生物」二体とて、ときには人類に貢献することもあるらしい。
 そんな中。
 たまたま内田の隣に座ったたジョーは、汁粉や磯部巻きに舌つづみをうちつつも、時折隣席をちらちらうかがってしまうのを止めることができなかった。いまだ心に引っかかっている「不吉な予感」の正体は多分ロクでもないものに違いないが、その反面「怖いもの見たさ」という厄介な欲求の方も、どうにも抑えることができない。
 気がつけばジェットやアルベルトを始めとする他の仲間たちやギルモア博士さえもが、楽しげな談笑の合間をぬって北村と内田に視線を走らせている。パピと彼らの「こっ恥ずかしいスリーショット」を目撃したしないに関わらず、あの違和感と不吉な予感はどうやら全員に伝染してしまったようだ。
(なら、仕方ない―)
 一瞬きつく唇をかんだジョーは、とうとう思い切って内田に話しかけた。
「あの…内田さん?」
「はい、何でしょう?」
 いかにも幸せそうに汁粉をぱくつきつつも間髪いれずに応えてくれた内田の、屈託のない笑顔がまぶしい。…だがしかし、質すべきことは質さねばならぬ。
「あの…こちらの…藤蔭先生の御宅が内田さんや北村さんのお得意様なのは僕たちにもよくわかりました。ですがあのぅ、パピちゃんは…? お二人のパピちゃんへの接し方は、ただの『お得意様の飼い犬』に対するものとは到底…思えないんですけど」
 しどろもどろの台詞につられ、皆の視線が申し合わせたように内田、そして北村に集中する。この異様な雰囲気にはさしもの上司と部下も一瞬顔を見合わせたが、すぐさまどちらからともなくぷっと噴き出して。
「いやぁ、ご慧眼、まことに畏れ入りました。え…と…島村さん? お察しのとおり、現在こちら様と弊社との取引は全てこのパピちゃんが仕切っておられるんですよ」
(あ、やっぱり)
 聞かなきゃよかった…とばかりにギルモア家の人々の肩ががっくりと落ちる。藤蔭家の特殊事情はこの半日でそれなりに学習・納得したつもりだったが、まさか単なる取引先に過ぎない一般人―しかも日本有数の大企業の社員である北村や内田までもがこうもあっさりこの異次元空間に馴染んでしまっているとは。
(僕たちサイボーグの環境適応能力って…もしかして、普通人以下…?)
 ジョーがひっそり心の中でついたため息など知る由もなく、北村の話は続く。
「藤蔭様が私どもの大得意先であることは今さら言うまでもございませんが、加えてご先代の光一郎先生は弊社の顧問弁護士でもいらっしゃいました。私は以前法務部におりましたものですから、先生にはそれはもういろいろと助けていただいて…営業畑に移りましてからも公私共にどれだけお世話になったことか。…ですから先生のご逝去後、残された奥様と聖様のご生活は不肖この北村が何としてでもお守りするのだと、誠心誠意こちら様の資産運用に励んでまいったつもりでございます」
「本当にねぇ…。世間知らずの私と当時まだ中学生だった聖がたった二人ぽっちになってしまったというのに、それまでと変わらず何不自由なく暮らしてこられたのはひとえに北村さんのおかげですよ。…ありがとうございました」
「そ、そんな奥様、勿体ない!」
 そっと目頭を押さえた雪江に、がば、と平伏した北村の声も、それまでの明るさとは打って変わって心なしか涙に震えているようだった。そんな上司の姿に内田もぐすん、と大きく鼻をすすり上げる。もはやそこには00ナンバーたちの入り込む隙はない。
「ですが資産運用と申しましても、お客様の財産を私ども証券会社が勝手に動かすことなどできません。どんな有望株式、信頼性一〇〇%の金融商品といえども、売買の前にはお客様にその詳細をきちんと説明し、ご承諾をいただかなくてはならないのです。…で、聖様がお小さい頃にはその手のご判断は全て奥様がなさっていたのですが、ご成人後は聖様が代わって対応して下さるようになりまして…」
「私も年を取りましたからねぇ…いつのまにか、株式状況だの為替の動向だの、そういう難しいお話についていけなくなってしまったんですよ」
 再び雪江がおっとりと口を開けば、北村もまたそちらに深々と頭を下げる。
「とはいえ聖様はお医者様、人の命を預かる大切なお仕事の最中にお時間を頂戴するなどさすがの私にも憚られまして…そのため最近ではお取引自体が半ば開店休業状態、正直それが悩みのタネでした。そんなとき、聖様がご自身の代理候補としてパピちゃんを紹介して下さったのです」
「北村さんたちには申し訳ないことですが、私も経済は専門外ですし、ご説明を伺っても内容がよくわからないことも多くて…だったらいっそパピにやってもらった方がずっと話が早いと思ったんですよね。この子ときたら本当にお利口さんで、特に経済や会計分野の知識にかけては完全に私より上ですもの」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ先生っ!」
 傍らに寄り添ってきたチビ犬を優しくなでつつ、例によってとんでもないことをさらりと言ってのけた藤蔭医師に、とうとうピュンマが絶叫した。
「確かに、証券売買をするならより経済的知識を持った者の方が有利というのは僕にもわかります。でもそれ以前にパピちゃんは『犬』なんですよっ!? 北村さんも、何とも思われなかったんですか!? 妙だとかおかしいとかまずいとかっ!」
「いや、そりゃぁ最初は私も驚きましたがね」
 北村が大きくうなづいてくれたのを見て、ピュンマがほっと安堵の息をつく。どうやらこの営業本部長氏も、人として最低限の常識だけは持っていたらしい…が。
「ですがいざパピちゃんと話を交わしてみればそんな懸念は五分で吹き飛びました。パピちゃんの知識と洞察力は大したものです。特に今後の日本、いえ世界経済の展望に関する読みの深さときたらこの道三十年の私ですら兜を脱ぐほどで…。この子、いえこの方なら充分に聖様の代わりが務まると確信致しました」
(だからそこで納得しないで下さい…)
 次の言葉は声にはならず、涙目とともに再び―しかし今度は落胆の―大きなため息をついたピュンマ。しかし北村はあくまでも笑顔で。
「その日のうちに、私は藤蔭様の担当をこの内田と交代致しました。パピちゃんと仕事をするならば、私よりも彼の方がはるかに適任だと思ったからです。いや、何しろ彼ときたら我が個人営業部の若手随一の精鋭である上に社内でも有名な犬好き、『子供の頃から犬に育てられた』というのが自慢の男でございますからして…」
「え…それはちょっと大袈裟ですよ、部長。僕の家は元々両親が無類の犬好きで、ずっと犬を飼っていたというだけです。そりゃまぁ、確かに共働きでもありましたから、両親が忙しいときには飼い犬たちが僕ら兄弟の遊び相手になってくれましたが、とてもとても部長にそこまで言っていただくほどのことでは…」
 途端、頬を真っ赤に染めて頭をかいた内田に今度は00ナンバー全員から「だからそこで照れてんじゃねーよっ! …てーか、そんな担当替え断るだろフツーッ!!」と声なき声の脳波通信、嵐のごときツッコミが入ったのは言うまでもない。だが所詮生身の北村や内田には、悲しいかなそんな魂の叫びなど聞こえるはずもなく…。
「しかし内田君、いつだったか君が見せてくれた小さな頃の写真、あれは壮観だったじゃないか。君たち三兄弟と犬たちのザコ…いや昼寝、あれは正直どれが人間でどれが犬だかさっぱりわからなかった」
「やだなあ、あのときも申し上げたでしょう、部長。尻尾があって毛皮に覆われているのが犬、そうでないのが人間。ですがあんなふうに犬たちとザコ寝していたおかげで、僕たちは夏でも冬でも風邪一つひいたことがないんです。それだけは…ちょっと自慢かな」
「まさに犬たちが自分の毛皮と体温で君たちを守り育ててくれたわけだねぇ…いい話じゃないか。…あ、いや、話が脱線してしまって申し訳ありませんでした。しかしながらまぁそのようなわけでして。お蔭様で内田もパピちゃんにはたいそう仲良くしていただいておりますし、取引の方も至極順調に進んでいるのですよ」
「私どもも本当に助かっております。こんな素晴らしい子をお世話して下さったギルモア先生や皆様方にはどんなにお礼を申し上げても足りませんわ」
「ボクだって、ママやおばあちゃまの子になれてとっても幸せでち。これもみんな皆しゃんのおかげ…このご恩は決ちて忘れまちぇんでち」
「私どもも全く同感でございます。皆様、本当にどうもありがとうございました!!」
 気がつけば自分たちだけであっさり自己完結の大団円、両手をついて一斉に深々と頭を下げた藤蔭母娘と証券マンコンビ、そしてパピ。だがギルモア博士やメンバーたちとしてはそんなふうに礼を言われても困る。滅茶苦茶困る。
「こちらこそ…このバカ犬、いえパピをそんなに可愛がって下さって感謝致します。ですが先ほどの彼―ピュンマが申し上げたように、大切な資産の運用を第三者―それも犬に任せるというのはかなり…もしかしたら法律的にも問題なのではありませんか?」
 言ってもムダとは知りつつも、ついつい話を蒸し返してしまったアルベルト。しかし北村とてこの道三十年の海千山千、びくともするものではない。
「そのご懸念はもっともです。他者の財産を勝手に売買して不当な利益を得たとなれば間違いなく窃盗罪あるいは横領罪に問われますからね。しかしながらこの場合の売買益は全て、パピちゃんではなく本来の持ち主たる奥様や聖様のものになるわけですから…それにどのような法律であれ適用対象は自然人あるいは法人、すなわち人間のみ。つまり、パピちゃんのようなわんこちゃんに関しては犯罪自体が成立不可能かと」
 そらそーだ。…さしものアルベルトもぐっと言葉に詰まる。と、そこへすかさず内田が言葉を継いだ。
「大体、パピちゃんが不正行為で私服を肥やそうなんて真似、絶対するはずありません! 実は先日も某銘柄がまさに買い時、ここは思い切って一気に買い占めたらどうかとご提案したのですが…何とパピちゃんは『今しょれだけの資金を動かちたりちたら市場を混乱させかねまちぇん。ボクんちの利益のために日本経済を歪めるような真似はしちゃいけないでち』と…。私はそのとき、心底己れを恥じました。いかにお客様のためとはいえ、市場全体の和、投資家全ての公正な取り分を侵すような行為は決してしてはいけないのです。それを教えて下さったパピちゃんこそまさに投資家の鑑、不肖この内田、一緒に仕事をさせていただけるだけで無上の光栄と存じております!」
「…やっぱり、銭の花は白くなくちゃいけまちぇんからねぇ。ボクはただ、ごく当たり前のことを言っただけでちよ」
 いやだから、こんな「○腕繁盛記」かぶれのワン公に日本経済を左右するような大金を任せていいのかと…っ! 00ナンバーとギルモア博士の背中にあらためて冷たい汗が流れ落ちる。それにひきかえ、北村と内田の方は益々意気軒昂の絶好調。
「何よりも、パピちゃんに全てを一任するというのはまぎれもなくこちら様のご家庭の事情、奥様と聖様のご意向によるものに他なりません。…と、なればっ!」
 ついにはすっくと立ち上がり、拳を握り締めた営業本部長氏。
「そのようなご事情に配慮し、お客様一人一人にきめ細やかな対応をすることこそ弊社のモットー、我がまほろば証券マンの心意気というものでございます!!」
 高らかに宣言した北村に、内田が大きな拍手を送った。
(…これだけ異常な状況を「家庭の事情」で片づける気かよこのオッサン)
(お客様第一主義もここまでくるとわけがわからんな)
(…つーよりすでに単なる顧客サービスの域超えてねーか、コレ)
 またもや密やかな脳波通信が乱れ飛ぶ中、北村はさらに感極まったか、握った拳を大きく上に突き上げて。
「まして、この程度のことで驚くような根性なしでは到底藤蔭様のお取引相手は務まりませんっ!!」
 その一言には、まさしく北村の三十年間が凝縮されていたに違いない。こうも見事な「根性持ち」となるまでに、この営業本部長氏は一体いかなる苦難を乗り越え、死線を潜り抜けてきたのだろう。それを思うとさしものサイボーグ戦士たちの目頭も熱くなる。
 しかし、ちょっくらそれは置いといて。
 どれだけ長いつき合い、そして先代との縁があるとはいえ、一族自体とは全く無関係の一般人、それも大企業のエリート社員にここまで言わせるとは恐るべし藤蔭家。もしかして、これも藤蔭医師を始めとする一族の「能力者」たちの力故なのか…?
 しかし父親が亡くなったときにまだ中学生だった彼女がそこまでしたたかだったとは考えにくいし、母親である雪江の方は能力など全く持たぬ普通人である。―ならばやはり?

 ―猫も百年生きれば化ける。

 山川草木鳥獣虫魚、あるいは命なき無機物でさえ、長い歳月を経るうちにはいつしか人の子を圧倒するような独特の雰囲気、魂を宿すものだ。ならば人の子が代々の命をつなぎ、それぞれの思いを込めて築き上げてきた「家」とて決して例外ではあるまい。ましてこれほどの旧家―おまけに何やらとんでもない親戚連中と得体の知れないバケモノぎゅう詰めの蔵と常識外生物たるワン公つき―とくれば、圧倒どころか近寄るもの全てを引き寄せ、己れの中に取り込んでしまうくらいのことは平気の平左でやりかねないかも…。

 高揚いまだ覚めやらず雪江との昔話に盛り上がりまくりの北村、そしてすっかり「保育士兼飼育係」と化してイワンとパピの相手に夢中になっている内田をよそに完全に沈黙してしまったギルモア家の人々。と、その様子に気づいたらしい藤蔭医師が。
「あら? 皆さんどうなさいました?」
 優しく声をかけてくれたそのとき、その背後に皆は―。
 この世の森羅万象どころか大宇宙の全てを呑み込まんと渦巻く巨大なブラックホールを確かに見た、と思った。



 ちなみにそれから数日後。
 今回の「年始回り」でめでたく機嫌を直したものの、あまりにパピとはしゃぎすぎたせいか翌日から予定外の「夜の時間」に突入したイワンは今もなお、あの楽しかった一時を夢に見つつ、幸福かつ平和な眠りの中にいる。
 だから―。
 その年始回りで「旧家の風格」とやらを嫌と言うほど見せつけられた他の仲間たち、そしてギルモア博士までもが手分けしてあちこちの神社仏閣教会を走り回り、「どうかあのブラックホールがこの日本を、いや世界を呑み込むことだけはありませんように」―という切実な祈りを捧げていたことなど、この赤子にはさっぱりあずかり知らぬことだったのであった。

〈了〉
 


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