おさななじみ 下


 え? 松っちゃんと僕とのつき合い? うーん、もうどれくらいになるかなぁ。…ごめん、はっきり覚えてないや。でも、僕らの年齢とほぼ同じくらいだっていうのは間違いないよ。ふふ、そう。早い話が、生まれたばかりの頃から顔見知りだったってことさ。
 僕の家が医者だったせいもあるだろうね。何しろ祖父の代からずっとあの土地で開業してるし。最初は内科と小児科だけだったんだけど、親父が外科の診療も始めてからはご町内中の病気や怪我を一手に引き受けるようになっちゃったから…当然、松っちゃんのところも家族揃ってウチの患者さんだったわけ。
 だけどそれだけじゃないんだよ。実は祖父が初めて開業するとき、石原医院の建物を建ててくれた大工さんの棟梁が、松っちゃんのお父さんの師匠に当たる人でさ。もちろん元吉(げんきち)さん―っていうのがお父さんね―も、棟梁の一番弟子としてそりゃぁもうよく働いてくれたって。で、その後も補修とか修理とかは全部その棟梁のお世話になって―棟梁が亡くなってからは元吉さんが跡を引き継いでくれてるんだ。だって今や「松元の棟梁」といえばこの町一番の大工だもの。おかげであんなボロ家でもまだ充分住むことができる。あ、でもさすがに小児科の診療室だけは一昨年リフォームしたけど…あの時はすっかり君たちのお世話になっちゃったよね。本当にどうもありがとう。
 元吉さんもすごく感心してたんだよ。「あんな短期間でこれだけの仕事をするたぁ大ぇしたもんだ」って驚いてた。え…? そんな、お世辞なんか絶対言う人じゃないから! 君たちの手際が真実、見事だったってことさ。あの「松元の棟梁」を唸らせるほどにね。
 …ああいけない、話が脱線しちゃったな。まぁ、そんなわけで僕と松っちゃんは生まれたときから顔見知りだったんだけど、やっぱり本当に仲良くなったのは幼稚園に入ってからだねぇ。何せご近所様だから幼稚園も小学校もずっと一緒だったし。もっとも学年は松っちゃんの方が一年上…ってのはもう君も知ってるよね。
 子供の頃の松っちゃん? そんなの、今と同じに決まってるじゃないか。幼稚園でも小学校でもガキ大将、だけどそりゃぁ頼りがいのある兄貴分でね。一方僕は小さな頃から腕っ節はからきしダメな「もやしっ子」だったから、そんな松っちゃんにすごく憧れて、尊敬してて…いつも金魚のフンみたいにそのあとばかり追いかけていたなぁ。
 もしかしたら僕、松っちゃんを「兄貴がわり」みたいに思っていたのかもしれない。いやほら、ウチには弟しかいないし、兄貴業ってのもこれで結構辛いものがあったからさ、自分にも誰か、頼れる相手がほしかったんじゃないかなぁって。
 でもそれはあっちも同じだったと思うよ。松っちゃんにだって妹の清美ちゃんしかいなかったからね。うん、もちろん松っちゃんはあのとおりの性格だし、どんなに兄貴業が辛くても他に頼れる相手なんて探すわけがないんだけど…。
 実際、松っちゃんは僕が俊之に対するよりもずっとずっと清美ちゃんに優しくて、よく面倒も見てた。ただ、やっぱり弟と妹っていうのは違うから…。何せ相手が女の子だろ? これは僕の推測だけど、松っちゃんは本当に清美ちゃんが可愛くて可愛くて仕方がなくて…だけど結局最後はどう扱っていいんだかわからなかったんじゃないだろうか。男同士の兄弟なら、いざとなれば取っ組み合いのケンカとかもできるけど、女の子相手じゃそうもいかなかっただろうし。それでも清美ちゃんがとんでもない男勝りとかおてんばだったりしたら事情も違ってきたんだろうけど、あいにく彼女はすごくおとなしくて物静かな女の子だったからね。
 だから松っちゃんもいつのまにか―同じ男同士で、一緒に泥んこになって遊べて、いざとなればかなり荒っぽいじゃれあいも平気でできる僕という存在を受け入れてくれたんだと思うよ。ま、どちらにしてももう遠い昔の話だけど。
 え? あ、そうか。君たちはまだ清美ちゃんに会ったことなかったんだね。じゃぁ今度是非紹介させてもらうよ。うん、そりゃもう美人でおしとやかで優しい女性さ。松っちゃんとは二つ違いだから年齢は僕より一つ下、俊之より二つ上。あ、でもね、彼女もう立派な人妻だから。お父さんの弟子の修治さんって人と結婚して、お母さん―光子さんっていうんだ―と二人で「松元」一門を切り盛りしてる。だから、ヘタに手を出そうなんて絶対考えちゃだめだよ…って、これは君に言う台詞じゃないな。ごめんごめん。
 はぁ…。だけどこうなると、お嫁に行ったとはいえ結局清美ちゃんと修治さんが松井の家を継いだ形になるのかなぁ…。正直、僕らはてっきり松っちゃんが跡を取るとばかり思ってたんだけどな。松っちゃんだって小学校卒業くらいまではずっと「親父の跡継いで日本一の大工になる!」なんて言ってたんだよ。それがどうして警察官僚、それもキャリアになんかなっちゃったんだろう。…やっぱり、あのことが原因…だったのかなぁ…。

 …ん? いや別にどうってこともない、子供の頃の思い出って言ってしまえばそれまでなんだけどね…。

 僕たちが小学生だったのは今から二十年以上も昔の話だから、遊びといえばTVゲームなんかより、もっぱら三角野球かドッジボール、ロクムシ、ドロケ…でなけりゃメンコやベーゴマばかりやってた。…って、え? 君、ベーゴマ知らないの!? うっわー、何だかすごく年の差感じちゃうよ。あ…でも仕方ないか。僕たちの頃でさえ、ベーゴマやメンコで遊ぶ子供はかなり少数派になってたからなぁ。コズミ研の内藤さんや葛原さんも、僕より年上のくせにベーゴマ知らなかったっけ…あ、ごめん。ちょっとこっちの話。
 あのね、ベーゴマっていうのは普通のコマと違って真ん中の軸棒がない…かなり平べったい円錐形の底面に八角形や円形の板を貼り付けて上下ひっくり返したような形の、金属製のコマなんだ。それに糸を巻いて回して、互いにぶつけ合って勝負するんだよ。相手のコマを弾き飛ばしたらこっちの勝ちで、負けたコマを相手からもらえるのはメンコと同じだね。でもそれがまるで賭け事みたいだって、だんだん禁止する学校も増えてきた。ベーゴマやメンコが下火になっちゃったのは、きっとそのせいもあるんだろうな。
 幸い、僕らの学校じゃどちらも禁止されてはいなかった。問題視する保護者ももちろんいたけど、自分も昔それで遊んだって親の方が断然多かったからね。何しろ僕らが遊んでると、通りすがりの近所のおじさんたちが遊び方のコツを教えてくれるような土地柄だったんだよ。それに、松っちゃんがさ―。当時松っちゃんは六年生、ベーゴマやメンコもすごく強くて、数え切れないくらいたくさん持ってたんだけど、中々勝負に勝てなくて自分の持分を取られてばっかりいる子―大抵は低学年のチビさんたち―がいるとね、誰にも内緒でこっそり自分のを分けてやってたんだ。でもって、メンコの打ち方やコマの改造法―ベーゴマってのは、買ったものをそのまま勝負に使ってたんじゃまず勝てやしない。ヤスリであちこち削って重心を調節したり、八角形の角を鋭くして攻撃力を高めたり、自分であれこれ工夫して初めて強いコマができるのさ―も教えてやってたから、持分がなくなっちゃってお小遣い全部をつぎ込むなんて子もまずいなかった。ガキ大将ってのは、ただの暴れん坊じゃ務まらないんだよ。仲間の一人一人に目を配り、あれこれ思い遣るリーダーシップが必要なんだ。…でもそれはちょっと置いといて。
 僕たちにメンコやベーゴマを教えてくれる「師匠」たちの中に、ちょっと変わった人がいた。…と言っても、いつも背広姿のサラリーマン風のおじさん…というか、お兄さんだったってだけなんだけどさ。他の「師匠」といえば大抵配達途中のお蕎麦屋さんとかクリーニング屋さんとか酒屋さんとか、町内で仕事をしている人たちばかりだったから、「サラリーマン」ってだけでもすごく目立ってたんだね。しかも彼がやってくるのはほとんど日曜の午前中―当時は休日出勤なんて誰も知らなかったから、何で日曜日も働いてるんだろうってみんな不思議がってた。だけどそのお兄さんときたらまぁ、強い強い。メンコでもベーゴマでも仲間全員総ナメにされちゃって、とうとう松っちゃんが勝負を申し込んだんだ。そしたらお兄さんも取って置きのコマを持ってきてくれるっていうし、松っちゃんは闘志満々でその「世紀の対決」に挑んだわけだけど。
 何と結果は惨敗、これまで負け知らずだった松っちゃんのコマがあっと言う間に跳ね飛ばされちゃったんだ。松っちゃんはすっかり茫然としちゃってね、しばらくの間は誰が何を言っても耳に入らない状態だった。もちろんお兄さんは松っちゃんのコマを取り上げたりはしなかったけど…よっぽど口惜しかったんだろうなぁ。松っちゃんはそれからずっと、学校から帰るとずっと家に閉じこもって、自分の一番強いコマをもっと強くしようとあれこれ工夫してさ。しばらくたって、もう一度お兄さんに挑戦したんだ。
 だけどそのときも松っちゃんは勝てなかった。でもってまた必死にコマを改造して、それでもダメで―。三度目の勝負に完敗したあと、とうとう松っちゃんは「お願いですからそのコマ貸して下さいっ!」ってお兄さんの前に土下座した。「俺、お兄さんのコマ借りて研究したいんです、絶対、返しますからっ! お兄さんが次に来る日を教えてくれれば、雨が降ろうが雪が降ろうが必ずここで、コマ持って待ってますっ!」…って。
 そうしたらお兄さんは、にっこり笑ってあっさりコマを貸してくれた。松っちゃん、そりゃぁ喜んでさぁ。もちろん遊び仲間の僕たちにも好きなだけ見せてくれたけど、夕方には必ず自分の家に持って帰ってあれこれ熱心に研究してた。一度なんか「夜中の二時までコマいじってたら親父に張り倒された」って、目の縁に青アザ作って学校に来たくらいさ。…あ、でもこれしゃべっちゃったことだけは松っちゃんには内緒ね。
 でもって、お兄さんにコマを返すことになっていた二週間後の日曜日には松っちゃん、約束の時刻の三十分も前からいつもの遊び場で待っていたんだ。もちろん僕たちも一緒にね。ところがそこにとんでもない知らせが入ってさ。何と僕らの仲間が隣町の中学生にいじめられてるっていうじゃないか。知らせに来た子たちもみんな半べそかきながら、助けてよぉ、助けてよぉ…って。
 こうなりゃ我らがガキ大将、松っちゃんが出張るしかない。しかもこんな緊急事態となれば他の五、六年生も全員助っ人に行くのがお決まりだったから、当時五年生だった僕も松っちゃんと一緒に現場に駆けつけたんだけど…。
 そのとき松っちゃんは例のコマを四年生のサトルって子に預けたんだ。ケンカの仲裁なんかで万が一、コマをなくしちゃったりしたらお兄さんに申し訳が立たないだろう? だから、自分が帰るまではしっかり預かっとけ、ただしお兄さんがやってきたらよぉくお礼を言ってコマを返せ…って、しつこいくらい念を押してね。サトルはどちらかといえば僕みたいなもやしっ子で頼りないトコもあったんだけど、とにかく責任感だけは強いヤツだったから、松っちゃんもそこを見込んでコマを預けたんだと思う。
 幸い揉め事の方は大したことなくて、いじめっ子どもは僕らが駆けつけてくるのを見た途端、数じゃ勝ち目がないと思ったのかあっと言う間に逃げちゃった。いじめられていた子たちもとりあえず無事、まぁとにかくよかったよかったって、みんなでまた元の遊び場に戻ったんだけどね…。
 そしたらこっちの方がもっと大変なことになっていた。僕らが留守にしていた隙に、偶然サトルのお母さんが通りかかっちゃったんだよ…! サトルん家っていうのはお父さんがT大卒のエリートサラリーマン、お母さんも名門女子大出でさぁ…こう言っちゃ悪いけど、ちょっと…家族の学歴を鼻にかけるようなところがあったんだね。もちろんベーゴマ・メンコなんかとんでもないって反対派でさ、サトルはそんな親たちの目を盗んで僕らと一緒に遊んでたのが、丸ごと全部バレちゃったわけ。
 当然、お母さんの怒りようときたら並大抵じゃなかった。サトルが預かっていたお兄さんのコマはもちろん、僕らが置いて行ったベーゴマもメンコも全部留守番組から取り上げて、もう黙ってることはできないから学校に連絡してこんな遊びは全部やめさせるだの、僕らのせいでサトルが嘘つきになったのって、仲間全員その場でえらいお説教喰らったよ。でもそんな中、松っちゃんだけは黙ってなかった。自分たちの物はともかく、借り物のそのコマだけは返してくれって、必死になってサトルのお母さんに喰い下がったんだ。もちろんサトルも半泣きになって頼んだんだけれど、お母さんはそんなの聞いてくれる状態じゃなかった。しまいにはあんまりしつこい二人に辟易してキレちゃったんだろうね。「こんなバカな子たちと遊んでいたら貴方までバカになっちゃうわよ!」…って言ったからさぁ大変、今度は松っちゃんの堪忍袋の緒がキレちゃった。それまではひたすら礼儀正しく頭を下げてお願いしてたのが、これを聞いた途端「俺ら仲間のどこがバカだってんだっ!」ってサトルのお母さんに飛びかかりそうになった、そのとき…!

 道の向こうから駆けつけて、松っちゃんを止めてくれたのがあのお兄さんだった。

 それからあとはお兄さんとサトルのお母さんの話し合いになって…。とりあえず例のコマがお兄さんの物だってことだけはお母さんも納得して返してくれたものの、僕らのはそうもいかなくてね。「子供たちの分も返してやってくれ」って頼んだお兄さんに、貴方には関係ないとか、うちの子はいずれ父親と同じT大に進学するんだから遊んでいる暇なんてないとかもう、完全キレまくりの言いたい放題。そしてとうとう最後には「いい年をしてこんなモノに夢中になっているような人が偉そうなこと言わないで下さい!」だって。いくら何でもこれはかなり失礼な言い草だって、僕らは全員真っ青になっちゃった。
 ところがそれを聞いたお兄さんは、何とにっこり微笑んでさ。「いや、ベーゴマやメンコに夢中になってたって、T大に入れないことは…ないですよ? もっとも僕なんかは中学までは完全な劣等生、高校も学区内で最低レベルのところにようやく滑り込んだようなものですが」って言ったんだ。それも、いかにものほほんとした口調でね。それがかえって神経を逆なでしたのか、お母さんはもう怒りのあまりぶるぶる震えだしちゃって…貴方の昔を訊いているわけじゃありませんっ! って言い返すのがやっと、あとはもうすごい目つきでお兄さんを睨んでいるだけだった。
 ところが、そこにすかさず「申し遅れましたが私はこういう者です」ってお兄さんが差し出した名刺を見た途端、お母さんはぎょっとして…そのあと完全に固まっちゃった。それはもちろん、傍らから覗き込んだ僕ら全員も同じことさ。
 だってその名刺には「東京地方検察庁 検事 小島芳樹」って書いてあったんだもの!
 すっかり毒気を抜かれたお母さんに、お兄さんはなおも話し続けた。僕もそれから懸命に頑張って、二浪したけど何とかT大に合格しましてね…とか、もしご不審な点がありましたらご主人の同窓生名簿でご確認下さい、僕は昭和××年度法学部卒ですとか、それとも○○年度大学院修士課程終了者の欄で探した方が人数が少ない分わかりやすいかな…とか、穏やかだけど次から次、もうお母さんが言い返す隙なんてどこにもなかった。
 気がつけばお母さんはサトルの手を無理矢理引っ張って、そそくさ家に帰っていくところだった。もちろん、僕らのコマやメンコは全部置いてね。一方のサトルは引っ張られながらも精一杯こっちを振り返って、お兄さんと僕らに大きく手を振った。泣き出しそうだった顔が、ほんの少しだけど笑ってたよ。
 そんなサトルに大きく手を振り返したお兄さんは、次にすごく照れ臭そうな顔で僕らに向き直ってさ…「今のお母さんには悪いけど、僕は学歴や職業を自慢したり、それで他人を見下すほどくだらない、人間として最低のことはないと思ってる。…でも、時にはそんな最低のものに頼らなければ大事な人たちを守れないこともあるんだよ」って頭をかいた。そして、別れ際松っちゃんの頭にぽん、と手を置いてもう一言、「君は立派なガキ大将だけど、腕っ節だけでいつでも仲間を守れるとは限らないぞ」…って。
 そのときのお兄さんの笑顔を、僕は今でもはっきり覚えてる。
 それからも何度かお兄さんはやってきたけど、いつの間にかふっつりと姿を見せなくなってしまった。そして僕らもやがてベーゴマからもメンコからも卒業して…大人になったっていうわけだ。

 あのときのお兄さんの言葉を松っちゃんがどう受け止めたのか、僕は知らない。だけど今、松っちゃんがああいう職業に就いたってことは、やっぱりあの件がかなり影響してるんじゃないかなぁ。特に例の「エンジェルキッス」事件のとき…君たちが話してくれた犯人逮捕時の松っちゃんの言動ときたらまさにあのお兄さんそのものじゃないか。
 だから…ね。僕は思ってしまうんだ。もしかしたら松っちゃんはあのとき、大人になってもずっと仲間を―いや、仲間だけじゃなくて家族や親戚とか町の人たちとかみんなを―守っていこうって…そのためならくだらなくて最低の武器―学歴や社会的地位―でも何でも手に入れてやろうって決心したんじゃないかなぁって。
 …結局、松っちゃんはいまだに「ガキ大将」のままなんだ。大事な人たちみんなを大切にして必死に守る、「本物の」ガキ大将のさ。…いい年してホント、バカだよねぇ。
 でも僕は、そんなバカが今でも好きだから…多分死ぬまでこうして松っちゃんとじゃれ合ってるよ。…って、これじゃ僕の方も相当バカかな? あはははは。

 ところで君、どうして突然そんな昔の話を訊いてきたの?

〈了〉
 
 
 
 
 
そして、ちょっとしたおまけ。読みたい方はこ・ち・ら
 


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