西瓜奇譚 下

















「何、だったの…?」



 フランソワーズの声が、微かに震えた。






 シン…と奇妙に静まりかえり、何故か辺りからはあんなに煩かった虫の鳴き声が、いつの間にか消えていた。
 細く長い和蝋燭の灯火に照らされた顔に緊張が走り、えもいわれない奇妙な寒気に皆、無意識に息を詰める。
 紺碧、薄氷、赤茶、黒…という色とりどりの視線が集中する中。
 見つめられた鈍色は、ゆっくりと一度、瞬きを、した。




 そう、驚いた。


 何故かって。






 そこに『居た』、のは。

















「サル」





















「「「「「「『 ……………………… は? 』」」」」」」

















 あまりにも唐突な一言……というか単語を言い放った周に、一同は一拍おいて呆けた声を絞り出した。







 って。










 サルが……何だって??












「いやね、よっく見たらサルが集団連係プレイで大強奪をやらかしてたワケよ。流れ作業っていうのかな? ほら───」





 すいっと人差し指を立てた周は、呆れかえった面々に構わず、淡々と説明を始めた。





 集団、というほど数はいなかったが、そこそこの頭数のサルが、畑から畑へ流れ作業の大窃盗。
 数匹のサルが隣の畑まで運び、それをまた別組が運んで行き、最後の組は山まで…という素晴らしく目を見張るような連携行動であった。
 しかし欲張りすぎては痛い目を見る、という格言は人間もサルも同じだったらしく、大きくて重いスイカは運びきれなかったようで、盗まれていくのはそこそこの大きさの物ばかりだった。
 その辺りは、盗難初日で学習したらしい。確か最初の被害で道の真ん中に放り出されていたスイカは、凄まじく成長しすぎて無駄に巨大化したものだった。
 で、夜が明ける頃になると一斉に作業中断。
 業務終了かというような勢いと何一つ無駄のない機敏な行動で、運びきれなかったスイカを畑の隅に隠し、空が明るくなり始めた時にはもう、完全に森の窃盗団は姿を消した。






 後には───────ぽかんとして未だに隠れ続けていた少女が、残された……









「ちょっと待て」
「何」











「お前…………ずっと見ていたのか……?」












 誰しも疑問に思ったであろうその言葉を、アルベルトが心の底から呆れたような声で絞り出した。





 一晩中。しかもサル達が重労働を終えて帰っていく夜明け、まで…?














「そうだけど?」















 あっさり肯定した……涼しい、声。





 その途端。










「あはははははははっーーーー!!! 最っっ高! 周っ!!」










 奇妙な空気を引き裂くような勢いの笑い声が、響き渡った。



 思わずビクリとして振り向くと……のたうち回るかのように大ウケしているのは、一人だけ。








 ……聖、だ。








「へぇー。昔から観察・研究肌だったんだ、周。そりゃー、科学者になるワケよねぇ」






 ……センセー、あんまし笑えません。





 体全体で唖然としたジェットだが。
 はたと気づいて顔を上げ、凄まじいスピードで周に振り返った。

「ちょっと待てコラァァァ!! 何でそんな『窃盗集団』に鳥肌立つんだよっ!」
「だって純粋に感動したんだもん。サルって賢いなーって」

 怒りにも似たジェットの声を平然と受け流し、周は新しいタバコに火を付ける。





「サルはどうか知らないけど、猿人類のチンパンジーの脳なんて、250−350万年前の古代人類(アウストラロピテクス)の脳とほぼ同じ500グラム前後なんだって。だから……」


「「周……もういい…」」





 微かに呆けから現実へと戻り始めたジョーとクロウディアは、宥めるのかそうでないのか分からないような声音で囁いた。



 奇妙な沈黙に響き続ける聖の大爆笑、そして線香の煙のように流れていくタバコの紫煙。
 そんな魔女二人の間に座り込む面々は、なんとも複雑な面持ちで小さく息をついた。
 たしかに「妙な話」だ。しかしこの場の趣旨は…「怪談」ではなかったか?
 既にそんなもの、周の幼少談によりカケラもない雰囲気に染まりつつあったが、その時、笑い疲れて目に涙を溜めた聖がすうっと再び手を挙げた。





「んじゃ、周のお話しに敬意を表して」





 いや、表さなくていいし…







「こっからは本格的に、と行きましょう?」







 その虚無感たっぷりの底冷えするような声に、クロウディアは嬉々として身体を乗り出した。














「言っておくけど。私も実話だから」
















 ゆらりと。

 風もないのに和蝋燭の炎が、一瞬揺れた。




 今のはタダの偶然か、それとも聖の特殊な力の波動か……皆、ツッコんでみたかったが、どうも後者のような気がしてならないので、いとも簡単に諦めを決め込む。


「良くある話、なんだけど……その良くあることに出くわしちゃったことがあって。あれはそう、いつだったかしら」

 すうっと。黒い切れ長の瞳が細められた。
 たったそれだけで空気が冷たくなってしまったような気がして、ジョーとフランソワーズは息を呑んで身体を密着させる。




「ほら、『桜の下には死体が埋まっている』って話、あるじゃない?」




 そう、だから桜は薄紅色に咲くのだと。
 死体の血液を吸い上げて、あの鮮やかで儚い色に、染まるのだと。



「ある金持ちの庭にある桜の大木の下から…白骨死体が見つかったの」



 いつもの春。いつもの桜。
 満開のそれがその年だけ、花びらを深紅に染めた。
 格式高いその屋敷は大騒ぎ。何の怪奇現象かと散々調べ上げている矢先に、桜の下から白骨死体が発見された。
 丁重に埋葬されたが世間体のためその話は揉み消され、警察にも知らせず葬り去られたが…事はそれだけで終わらなかったらしい。


「それがねぇ。春を過ぎてもずうーっと散らずに桜は咲き続けるし、その上その桜、日を追う事にどす黒い紅(あか)に変色していったのよ、これが」


 褐色じみた、桜の色。散りもせず花びら一枚、落ちない。
 どんどん乾いた血痕のような色に染まりつつある、そんな時。




「遂に……犠牲者が出ちゃってね」




 平淡に言った聖の言葉に……ジョー、フランソワーズ、ジェットはごくりと唾を飲み込んだ。
 その隣でクロウディアは興味津々の真剣顔。しかしその両親と膝に乗っかった小悪魔は恐ろしいほど冷静に聖の話に耳を傾けていた。







 再び。

 蝋燭の炎が、揺れた。







 と同時に、聖の漆黒の瞳が、ますます妖しく細められた。







「被害者は───」


 屋敷の女性、ばかり。
 使用人の若い女が、相次いで変死した。
 しかも、皆…

「妙な…人外の力で喉が潰されていてね」

 首を思いっきり、と言うのもあれば、喉があり得ない方法で潰されていた遺体も、あった。
 恐ろしくなった屋敷の住人は、そこでやっとツテを頼って聖に相談。医師として多忙を極めていたにもかかわらず、聖はあっという間に強制連行されてしまった。

 そうして調査し始めた、ある日。







「真夜中にね───」






 庭の。






「褐色に染まった桜、が」






 音もなく。







「ざわめき始めたの─────」







 かと、思うと。

 ぽたりぽたりとまるで涙のように……花びらから褐色の液体がこぼれ始めて。





 その瞬間、寒気を感じたかと思ったら───────












「後ろから……もの凄い勢いで、口を塞がれたのよ────」












 そう。
















「『その声を、ちょうだい…』って、耳元で唸られながら……」
















 聖の密かな声、に。

 お子様組は、銅像のように、固まった。



 が、次の瞬間。










 がばりと。
 ジェットの口が、凄まじい勢いで後ろから塞がれた。










 目をむいたジェットは、恐怖の余り、目を見開いた。

 振り向きたいけど、振り向けない。
 闇から伸びてきた(であろう)手はヒンヤリとした冷たい感触で、口を塞いでいるのは華奢にしては強い力の、指。
 そしてトドメに、















             『その声を、ちょうだい……?』

















 と、脳の中に響いてきた、すすり泣くような、声。













「んぐーーーーーーーっっ!!!!」



「「ぎゃあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーっっ!!!!」」









 恐怖マックスで口を塞がれつつ、声なき声を絞り出したジェットを見て……

 ジョーとフランソワーズが大絶叫して逃げ出した。






 一人逃げ遅れたジェットは、涙目になりながら身をよじった……つもりだった。
 しかし強い力に今もなおも拘束されている…と言うよりは、あまりの恐怖で身体がピクリとも動かないと言った方が正しい、か……まあどちらにせよ、まったくもって微動だに出来なかった。

 何だよ、オレが一体何を?! つーか成仏しろ!! と、ガタガタと震え始めたとき。










「雰囲気、出てた?」










 と、耳元でからかうような声が、聞こえた。
 それとともに…口を塞いでいた手が、ゆっくりと離れていった。
 恐る恐る…そして凄まじくぎこちない様子で振り返ると……そこにあったのは、真っ暗な空間から覗いた白い手と顔。少し時間をおいて、すうっとその空間から、全身が現れた。







 そう──────────周、だ…







 空間異動して手だけ出現させ、ジェットの口を塞いでいたのま、まぎれもなく、この女。




「ナイス演出っ!!」




 途端に聖が、先ほどまでの妖艶な雰囲気を吹き飛ばすような勢いで爆笑した。
 その側でアルベルトとイワンは、やれやれというように息をつき、クロウディアはクロウディアで、取り乱したジェットに腹を抱えて大笑い。
   正気と怒気を取り戻したジェットは、一瞬だけぽかんと間をおいて…ガバリと立ち上がった。



「コラァァ!! ふざけんなよババァーーーっっ!!!」
「何よ。必要以上にビビるアンタが悪いんでしょ? 自業自得」
「んだとぉぉ?!」



 まるで掴みかからんばかりの勢いのジェットに、周はしれっと受け流し。
 それを見てますます聖とクロウディアは笑い続けるし、アルベルトとイワンは「っていうか性格悪」、と、相変わらず呆れ顔。
 怒りの持って行き場のないジェットは、立ち上がったままワナワナと拳を震わせた。
 だがそんなことをしていても浮く一方なので、ドカリと腰を下ろし、豪快にスイカにかぶりついたまま…ふて腐れを決め込み始める。


「で、聖。その話って結局どうなったのぉ?」


 涼しい風が戻り始めた頃合いに、クロウディアが話の途中だったことを思い出して聖に振り返った。
 聖は、ああ、と顔を上げると、スイカから口を離す。
「結局ね、何代か前の当主が殺っちゃったみたいなのね。すっごく美人なオペラ歌手を愛人に持ったけど、その女性が病気で歌えなくなったんだって。んで、彼女の歌声が好きだったらしき当主は別れ話を持ち出して、でも案の定こじれて…で、あの状態になったワケ」
「ふーん」
 優雅に紫煙を吹く周は、ホント、良くありそうなことだわ、と大きく頷いた。


 それで「その声をちょうだい」ということか。
 声さえ取り戻せれば…また歌えれば、あの人は歓んでくれるだろう、と。





「で、誰に聞いたの、その真実」
「あ? もちろん本人から」
「そぉ」








 ……本人…? …本人って…………









 思わずかぶりつく口が止まったが…ジェットはもう何もツッコむ気にもなれず、ただひたすらスイカを食べ続けた。

 ところで。



「あれ? ジョーとフランソワーズは??」


















 恐怖に息を切らして二人が逃げ込んだ先は、何故か、キッチン。
 そこでジョーは大きく肩で呼吸を繰り返し、フランソワーズは今にも泣きそうな瞳でその場に立ちつくしてしまった。

 もう、やだ。
 真剣に、恐かった。

 もともとこの日本家屋もかなり曰く付きだ、何が出てもおかしくないのかもしれない、が。





「あら?」





 妙な違和感を覚えて、ふとフランソワーズが顔を上げた。
「どうしたんだい?」
「あれ」
「あれ?」
 ジョーはフランソワーズの指し示した方向に、ゆっくりと首を巡らせる。

 白く細い指が示したのは、シンク。
 そこに。


 丸ごと一個、スイカが置かれていた。


「……? 今日、藤蔭先生が持ってきたのはいくつ、だっけ?」
「確か二つ…だった筈よ?」
「えっと、一つは周が切ってみんなで食べてたんだよね? そしてもう一つはジェットの側にあったし」
「……じゃ、これは?」
「………」







 …沈黙。







「きっと、もともと周が一つ買ってたんだよ」
「そうよね。まったく周ったら出しっぱなしにして。冷やさなきゃ美味しくないじゃない」


 頬を膨らませたフランソワーズは、もう! 周は! と呟きながら、つかつかとシンクまで歩み寄った。

 が、その時。





 スイカに触れたフランソワーズの手、に。

 すうっと──────────白い指が、重なった。




「ジョー?」
 てっきり彼だと思い、少し照れて横を向いた、フランソワーズ。
 が。




 向いて……息を詰めた。




 そこには…心なしか透明で。
 気のせいでなければ、かなり顔色が悪くて血なんか流してるかなー? と思えるような女性が、三人………いた。


 しかし何と申し上げるべきか……





 皆様、凄まじい笑顔、なんですけど…?




 目を見開いて、硬直したフランソワーズ。
 そして……それらが見えてしまったらしく、はわわわと怯える、ジョー。













             (お中元)














 最後に聞こえたと思しきものは、そんなニュアンスの、微かな声…
 そして遠ざかっていく意識の中で、もう一つだけ最後に二人が思ったのは。


 ああ。この人達は─────




 この家の…周んちの住人なんだな、ということだった。















〈了〉



 きゃぁ! お嬢様! も、最高でございます! 深夜、たった一人で「お猿の駕篭屋」ならぬ「お猿の窃盗団」を夜通し観察していらしたその豪胆さと辛抱強さに、ばあやはもう感動してしまいましてよ! しかも、聖様のお話を飾った素晴らしい演出っ。コンビ組んでお子様方をおちょくろうとする、いえいえ鍛えようとする崇高なお心にかけては、このお二人の右に出るものはありませんわ(爆笑)。
 最後に出ていらした「住人」お三方のお心遣いも奥床しゅうございます。「お中元」が西瓜なら、お歳暮はさしずめ南瓜か柚子。だってほら、冬至の日には皆様、柚子湯に入ったり南瓜を召し上がったりなさいますものねっ。
 jui様、抜群に面白いお話、加えて藤蔭先生をそのものずばり、見事に書いて下さいましてどうもありがとうございました(平伏っ)。
 



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