荒療治 5


 門の外で、車の音が聞こえたような気がした。だが、周はそんなことも気づかぬふうに、縁側からただぼんやりと暗い庭を眺めている。
(…どうして、あんなことになってしまったんだろう?)
 久しぶりにギルモア邸を訪ねる気になった理由はただ一つ、
(貴方に、会いたかったから…)
 ただそれだけのはずだったのに。
 銀色の髪、薄氷の瞳をした―たった一人の、「あたしの男」―
 無論、最初のうちは照れくさくて、きまり悪くて…だって仕方ないじゃない、あんな大喧嘩をしたあとだったんだもの。でも、同じように落ちつかなげに、不器用な言葉をつなぐ貴方の瞳の中にも確かに、あったのに。
 あたしを求めてくれている狂おしい想い、が。
 頑なな意地も凍りついた心も、いつしかその奔流にあえなく洗い流され、気がつけばいつものように、気の置けない憎まれ口を叩いて。
 それで、全てが元通りになるはずだったのに。何もかもが、あの幸福な日々のままに戻るはずだったのに。
 どこでどうすれ違ったのか、気がつけばまた、激しい言い争いになっていて。貴方の瞳の中の狂おしい想い―あたしへの欲望は、いつのまにかあたしへの凄まじい怒りに変わっていた…
(あーあ、やっぱ失敗だったかなー。あいつを…好きになっちゃったのは)
 密やかなため息をついた瞬間、庭を回ってこちらへ近づいてくる足音に気づく。
 はっと目を上げれば、闇の中にたたずんでいたのは一番新しい…そのくせ、一番古い親友の莉都と同じくらい心を許せる―女友達。
「聖…!」
「今晩は。いくら呼鈴鳴らしても返事がないから、勝手に入ってきちゃった。…聞いたわよ、アルベルトとのこと。…もしかして、飲みたい気分なんじゃない? どう、一杯」
 言いながら、手に持った一升瓶を豪快に差し出し、藤蔭医師はにっこりと周に微笑みかけた。

縁側から座敷に場所を移し、畳に直接座り込んでのささやかな酒盛り。だが、さすが女同士の宴だけあって、酌み交わす杯も、「こんなものしかないけど」と言いつつ、周が用意してくれた肴の器もどれも涼しげな硝子製、淡い青で描かれた露草が控えめな華やかさを添えている。
「…そう、クロウディアが…。悪かったわね…迷惑かけちゃって」
「そんなの気にしないで。心配だったんでしょ、あの子のこと。でもジョーとフランソワーズがついていてくれてるし、まず大丈夫だと思うわ。…たまには子供のことなんか忘れて、思う存分ストレス発散するのも大切よ。『お母さん』」
「からかわないでよ」
 くすりと笑った周は、浴衣姿。藍染に朱と緑で描かれた鬼灯の文様が、しっとりとした風情をかもし出している。「浴衣なんて珍しいじゃない。どうしたのよ」と藤蔭医師が訊ねれば、「気分転換」という力ない笑みが返ってきた。
 遺伝子操作によって体内のアルコール分解速度が極限まで高められている周にしては珍しく、今夜は酔っているようだった。それとも、酔ったふりをして本音を吐き出したいとでも思っているのだろうか。だが、藤蔭医師はあえてそこには触れず、当たり障りのない話を持ち出しながら、周の杯にひたすら酒を注ぎ続けている。
「それにしてもこのお酒、美味しーい。もしかして、すごい高級品なんじゃないの、聖…」
「ご名答。雲田万寿の大吟醸、金箔入りよ。お中元に届いたのを一本、持ってきちゃった」
「こんなのがお中元に届くなんて、すごいわねぇ」
「ま、うちもいろいろ裏のつき合いってもんが多いからさ。そんなことより、さぁもう一杯。今夜はとことんまで飲みましょ。つき合うわ」
「ありがとう、聖…優しいのね」
「そんなことないわよぉ。ただ、これでも一応、自分勝手な男に振り回される女の辛さってのはよく知ってるからね。…放っとけないのよ」
 自分とはまた別の意味で、『地獄を見た女』の穏やかな微笑み、温かい言葉。さしもの周もその心遣いに存分に甘え、癒されたいと思ったのであろうか。気がつけば、その唇からは抑えに抑えてきた鬱憤ばかりが、まるで機関銃のように流れ出していて。
「…もう、聖…。貴女ってば、どうしてこんなに優しいの…? 女だから…? 男じゃないから? ねぇ、どうして男って、女の気持ちを全然わからないかな」
「…『性差』ってやつかもねぇ。何だかんだ言ったところで、結局男と女の思考回路は全くの別物なのよ。まあ、それでも想像力でその差を補い、解り合おうとする努力はできるはずなんだけどね。問題は、そうしようっていう意識。男でも女でも、やる気のない奴には決して越えられない、深くて暗い河ってもんよ」
「それだったら、あたしが選んだ相手って最悪―! 顔をあわせれば憎まれ口ばっかりだしさ、皮肉ばっかり言って人の神経逆なでするしさ、おまけにいつも仏頂面ばっかして、笑顔なんてほとんど見せない。ね、こんな最低の男っている?」
 こんな台詞をアルベルトが聞いたらたちまち激怒して、「その言葉、そっくりお前に返す!」とでも喚きかねないところだが、ここは勝負どころ。藤蔭医師は逆らうことなく、周の言葉に耳を傾ける。それをいいことに、なおもひとしきり、アルベルトへの不満と愚痴を並べ立てていた周が、最後にぽろりともらした、こんな一言。
「あーもう、今度ばかりは心底嫌になっちゃった。いっそのこと、別の誰かに乗り換えちゃおうかなー。世の中にいい男は一杯いるし…そう、あいつの仲間だって、考えてみればよりどりみどりよね! さすがにジョーとは遠慮したいけど…実の孫だし、フランソワーズに殺されそうだし。でも、他の連中だって一応フリーなんだから。今のところ」
「あはは。それいいかも。…でもあの人たち、年齢も性格も見事にばらばらじゃない。もちろん、それぞれ魅力的だってことは認めるけど、人間やっぱり『好み』ってモンがあるでしょうに。『実の孫さえ除けばあとはよりどりみどり』ってのはちょっと、欲張りじゃないのぉ?」
「そうは言うけど、あのドイツ人に比べりゃ、誰だって最高に決まってるわ。こうなったら、あいつでなけりゃ誰でもいい!」
 それは果たして本音なのか。それとも、酒の勢いに任せたただの冗談なのか。いつもの周なら絶対に言いそうにないそんな台詞を聞いたら、誰だって耳を疑うだろうに、何故か藤蔭医師は黙って周に好き放題語らせている。しかしやがて、その漆黒の瞳がきらりと光って。
「…ふぅん。そこまで煮詰まっちゃったんだ…。でも周、本当に誰でもいいの?」
 幾分低く、そしてどこか意味ありげな問い。しかし、もはや完全に躁状態になった周は、そんな些細な変化になど気づかない。
「もちろん本当よ。年齢・性格・容姿不問! どなた様でも、お気兼ねなくご応募下さいって気分だわ」
 そんな言い方をすることこそが、周の自暴自棄をありありと証明しているのがわからないはずもないのに。
 周と並んで座っていた藤蔭医師の膝が、じりっと少し―動いた。
「聖…?」
 不意に肩に手を置かれ、周が怪訝そうに藤蔭医師を見たと同時に、もう一方の肩もほっそりとした白い指につかまれ、ぐい、と引かれて―。
 気がつけば、両肩を捉えられた周は身体ごと、藤蔭医師の方へと向き直らされていた。
「そこまで守備範囲を広げたんなら、いっそ『性別』ってやつも不問にしちゃわない…?」
「え!? ちょっと、聖っ!」
 抗議の声を上げるよりも早く、柔らかい、甘い香りのする唇が周自身の唇に重なっていた。
「う…ぐっ! ふぅっ! やめ…やめてっ!」
 必死にもがき、思い切り相手の身体を突き飛ばしたあとではっとする。
(いけない! 聖は生身の身体で…しかも…女…)
 筋力や機動力こそサイボーグには及びもつかないが、周とてBGの生物兵器として改造された身。当然、力も並の男以上にはある。そんな彼女が普通の女に手加減なしで力を振るったりしたら…
 案の定、軽々と部屋の反対側まで跳ね飛ばされ、壁にしたたか身体を打ちつけた藤蔭医師は、ぐったりと畳の上に倒れこんだまま、身じろぎ一つしなかった。
「ひ…聖っ!」
 だが、周が肝を冷やしたのも一瞬のこと。藤蔭医師の唇からかすかな呻きがもれたかと思うや、畳にひじをつき、ゆっくりと起き上がろうとする。
「大丈夫…?」
 慌てて差し伸べた手首が、再び強い力でつかまれた。頬にこぼれかかる絹糸のようなほつれ毛の間から妖しい光をたたえた漆黒の瞳が真っ直ぐに周の鈍色の瞳を射抜く。
「ええ…何でもないわ、これくらい…それに、ね…」
 小さくのぞいた舌が、自分自身の形のよい、赤い唇をぺろりとなめまわす。
「あたしは本気よ、周」
「ひ…」
 驚愕が、周から全身の力と思考力を奪った。立ち上がって逃げることすら思い浮かばず、手足を懸命に動かしてじりじりと後ろに下がる。が、程なくその背は柱にとん、と突き当たって…
 気がつけば自分のすぐ前に両膝をついた藤蔭医師の柔らかい、華奢な手のひらに両頬を包み込まれ、再び深く唇を吸われていた。
「あ…嫌…っ! お願いだから…悪ふざけはもう…これくらいに…し…て…」
「悪ふざけなんかじゃないわ。さっき言ったでしょ、『本気』だって…あたし、中学高校の六年間女子校育ちだったでしょ。…正直、男でも女でもどっちでもいいのよね」
 からかうような言葉とともに、藤蔭医師は周を押し倒し、そのほっそりとした両手首を同じような細い、白い指でがっちりと押さえ込んだ。乱れた髪の向こう、漆黒の瞳が言いようもない妖しい光を宿し、周の鈍色の瞳を一気に貫く。
「あ…」
 不意に、身体の奥底から湧き上がってきた熱い疼きに、周は小さな声を上げた。
(何、これ…一体、どうしたっていうの?)
 自分の上にのしかかり、両手をしっかりと押さえつけてはいても、藤蔭医師は周の身体には指一本触れていない。なのに、全身がみるみるうちに熱く火照り、灼けつくように悩ましい…淫らな気分になってくるのはどうしたことなのだろう。
 そんな周をひたと見つめながら、美しい魔物がいかにも嬉しそうな含み笑いをもらした。
「うふふ…悪いけど、ちょっと『気』をいじらせてもらったわよ。さすがの能力者といえども、驚いて、戸惑って…茫然としているときなら隙だらけだものね。ねぇ、周…もう、貴女は私のもの…この手の中であえかに羽ばたき、それでも決して飛び立つことはできない綺麗な蝶々。…大事に、大事に…思う存分、遊んであげるからね…」
「ひじ…り!」
 叫ぶ間もなく、首筋あたりの肌があわ立つような感覚を覚え、周は身を震わせた。何…何があったの…?
 だが、考える間とて囚われの蝶には与えられるわけがない。続けざまに、今度は全身を襲ったえもいわれぬ―だが、わけのわからない快感。何故、一体…何なの、これは…。
 三度目の快感が胸元に走り、反射的にのけぞった瞬間、周は全てを悟った。
(風…!)
 開け放した縁側から吹き込んでくる夜風、つい先ほどまではその涼しさを藤蔭医師と二人、心地よく味わっていたその、風が。
 何も変わらず、無邪気にその白い肌を吹き過ぎて行くたびに。
 涼しさを運び、そのついでにほんの少し、美しい黒髪をそよがせて行くたびに。
 まるで、欲望に燃え立つ熱い指に、そして唇に触れられたかのごとき快感を周の全身に駆け巡らせていくのだ。
(だけど、何故…? どうして、こんな…。)
 心地よい涼風のもたらす淫虐な刺激に耐え切れず、周の口元から壊れた笛のような喘ぎがもれたとき―
「いいこと教えてあげようか…。あのね、今の貴女の肌と身体は通常の数十倍…いえ、もしかしたら数百倍も敏感に―感じやすくなっているのよ。だから、ほんのわずかな風の悪戯、ちょっとした衣擦れさえも、貴女にとっては何もかもとろかすような甘い刺激となって全身を燃え立たせるの。だからね、もしもこんなことまでしたりしたら…」
 藤蔭医師の唇が頬に触れたのはほんの一瞬。欧米人なら、挨拶代わりに交わすような、何でもない―軽やかなキス。だが、そんなささやかな触れ合いでさえ、今の周には全身を駆け巡る甘やかな電撃となって涙を滲ませ、切なげな声を上げさせる。
「女同士ってのも悪かないんだけどさ…抱かれる方はともかく、抱く方は結構大変なのよ。だって、いつでも『奉仕』ばっかりで、骨折り損のくたびれもうけ。時と場合によっちゃ完全なボランティアよ。だから、ね…こうするとすごく、楽なの。勝手に感じて、勝手にイってくれるんだもの」
 楽しげな、妖魔のささやき。組み敷かれた周は懸命にもがき、逃げ出そうとするが、そうすると自らの衣服が肌に触れ、こすれあってまた新たな快感を呼び、白い身体を痙攣させる。
「制服着てた頃はね…『気』をいじくるだけいじくって、あとは放っておいたりもしたわ。一人で快楽におぼれて、もがき続ける相手を肴に呑んだくれていたりして。…ふふ。ガキって残酷よねぇ。でも、そうでもしなけりゃこっちの身も保たなかったのよ。何しろ、あとからあとからいろんな子がまつわりついてくるんだもの。ねぇ、女って意外と、好きモノが多いと…思わない?」
 そう言って、ふっと耳元に吹きかけられた息。周の身体が大きく跳ね上がる。藤蔭医師の顔に、菩薩もかくやと思われる慈愛に満ちた微笑が浮かんだ。
「でも、今夜はそんな意地悪はしない。私の手、指、唇―全てで貴女を満足させてあげる。だって私、貴女が好きなんだもの」
 いつのまにか藤蔭医師の両手は周の手首から離れ、その上半身を静かに抱き上げていた。その刺激が余計周を狂わせたことは言うまでもない。艶かしい紅い唇からもれる嬌声は、いつしか絶叫にも似た激しさと狂おしさを宿し始めていた。
「大好きよ。…周…」
 またも交わされる、深い口づけ。唇を封じられた周は声を上げることもできず、ただその鈍色の瞳からとめどなく涙を流し続けるだけ。
 しばらくの間、存分に周の唇を味わった藤蔭医師が、ふと気づいたように周の足元に視線を移す。
 すでに浴衣の裾は乱れ、ふくらはぎのあたりまで露わになった形のよい足。藤蔭医師の手がすかさずそこへのび、いとおしげに、悩ましげにゆっくりとなで上げていく。―下から上へ―
「浴衣といえども、和服は和服。…まさか、下着をつけるような野暮な真似はしていないでしょうね…」
 そのささやきの意味に気づいた周の顔が、快楽とは無縁の純粋な羞恥に一気に朱く染まった。
「だ…だめっ! それだけは…許してっ」
 だが、叫んだ声は喘ぎに掠れてほとんど音にならず、ぐったりと力の抜けた身体には思うような抵抗すらもできない。
 その間にも、白く柔らかい指は優しく、しかし強引に浴衣の裾を割り、更なる奥を目指してじりじりと這い登っていく。藍地に浮かぶ鬼灯が無残にも握りつぶされるごとに、滑らかな足は少しずつ、少しずつその覆いを剥ぎ取られ…そしてその間、周が味わった甘い苦痛、えもいわれぬ快楽の波は、その意地もプライドもあっけなく消し去ってしまうには充分で。
「い…嫌ああああぁ…っ! やめて! 助けて、誰か! あ…あ…アルベルトォッ!!」
 涙にくぐもった周の絶叫が、けだるい夏の夜の空気を震わせ、夜の闇へと吸い込まれていった。
 ぴくりと、藤蔭医師の手が止まる。その腕の中の周はふるふると身を震わせて、ひたすらに涙を流し続けているだけ。そのまま時間はしばし凍りつき、絡み合った二人の女はさながら妖艶な彫刻のごとくに動きを止め、縁側から差し込む月の光にその姿を青く輝かせているばかりであった。

「ひじ…り…?」
 先に声を発したのは、周の方だった。頬に白く涙のあとを残し、まだ濡れたままの睫毛をゆっくりとしばたいて、つい今しがたまでさんざん自分を弄んでいた相手を見つめる。
 すでに全ての動きは止まり―ゆるゆると、しかし確実に引いて行ったあの狂おしいうねりのかわりに少しずつ正気が戻ってくるにつれ、周はかえって心配になってしまったのだ。
(もしかして、さっき突き飛ばしたときにどこか…頭でも…打って…?)
 しどけない自分の姿に気づいてとりあえずの身づくろいをする間ももどかしく、おずおずと手をのばし、その黒髪に触れた途端軽く抱きしめられて、またあの行為が繰り返されるのかと反射的に身を縮める。と、藤蔭医師の身体がゆっくりと―離れた。
 そして、ゆらりと立ち上がり、まだそこに座り込んだ周を見下ろす格好になった艶やかな夜叉は―
「あっはっはっはーっ! ついに言ったわね、周! この耳で、しっかり聞いたわよぉ〜」
「は…?」
 してやったりというばかりの高笑いに、周の目が点になった。
「ねぇ、貴女やっぱり、彼を一番愛してるんでしょ。でなけりゃあんなときに、あんな声で名前なんか呼ばないわよ。…もういーかげんに意地張るのやめなさい。たまには、こっちから下手に出てやることも必要よ。いつもいつも突っ張りあってばかりいたら、いつかお互い、泣くことになるんだからさ」
「ちょっと聖、貴女…!」
 今や全てを悟った周の顔が、今度は燃える怒りに真っ赤になった。たちまちその鈍色の瞳が獣のそれに変貌し、鋭い鉤爪が一気にのびる。
「もしかして、騙したのねっ! 許さない!」
 凄まじい勢いで飛びかかるしなやかな獣の一撃を、藤蔭医師はひらりと飛びのいてかわし―
「いい、周。明日、貴女からアルベルトに謝って、仲直りしなさい。でなきゃ今夜のこと、何もかも全部、バラすからね!」
「そんなの、巨大なお世話! 大体、全部って…どこまでバラす気よ!」
 怒号とともに繰り出される鉤爪を、藤蔭医師は紙一重の差でふわりふわりとかわしていく。
「全部は全部よ。あたしに襲われて、あわや貞操の危機…って瞬間に、周ははっきりと貴方の名前を呼んだのよ、ってね」
「そんなこと言ったら、あんたはたちまちあいつのマシンガンで蜂の巣よ! ううん、そうなる前にあたしが…殺してやるっ!」
 すでに周の頭の中からは、藤蔭医師が生身だとか女だとか、そんなしち面倒臭い事実はきれいさっぱり消滅していた。手加減も容赦もない必殺の一撃が、迷うことなく藤蔭医師の喉元めがけて襲いかかる。しかし、次の瞬間その手首はしなやかな細い指にがっちりと押さえ込まれていた。そして、そのままぐい、と引かれ、つい先ほどと同じく、互いの唇が触れんばかりの距離まで引き寄せられて。
「…殺すなら、いつでも殺しなさいよ。こっちだってまる三週間近くあんたたちバカップルの喧嘩に振り回されたおかげで、もう首くくるか電車に飛び込むしかない状況なんだからね。あんたでもアルベルトでも、殺してくれるなら自分で死ぬ手間が省けて助かるってもんだわ」
 そのときの藤蔭医師の瞳は、まぎれもない暗黒の、底知れぬ虚無の海。かつて、アルベルトやジェットの心胆を凍りつかせた永遠の凍てつく闇、そのものであった。





 その翌日、周がこの世の終わりのような表情でギルモア邸を訪れ、その視線の先に立ったもの全ての息の根を瞬時に止めてしまいそうな凶暴な光を瞳に宿しながらも一応アルベルトに謝罪し―一方のアルベルトも、周囲を遠巻きに取り囲んだ野次馬、もとい善意の第三者たちの無言の圧力に押されてやはりこれも頭を下げ―とにもかくにも仲直りを果たしたことは言うまでもない。
 かくしてクロウディアとギルモア邸の住人全員の顔には再び心からの笑顔が戻り、無事完成した藤蔭医師の論文を前に、保坂教授もまた、神経性胃炎と胃潰瘍、そして円形脱毛症の恐怖から完全に開放されたのであった。

 ただし、ギルモア家及び島村家関係者に限って言えば、あんなにもこじれていたアルベルトと周の仲を、たった一晩で藤蔭医師がどうやって修復したのかという謎に、今度は夜も眠れないほど悩まされることになってしまったが。何故なら、少しでもその話に触れた途端、周は烈火のごとく怒り出すし、藤蔭医師は何やら面白そうな表情でのらりくらりと話をはぐらかすだけだったからである。ついには業を煮やして力ずくで周から真相を聞き出そうとした何人かが凄まじい反撃をくらって半死半生の目に遭わされたとか、藤蔭医師をつついた別の何人かが『気』をいじくられて一週間ほど幼児期退行現象を起こしたとかいう話もこっそりささやかれていたようだが、これらは全て、ただの噂である。

 ただ、周がそれからしばらくの間、「本当に藤蔭医師は両刀使いなんだろうか」と、人知れずかなり真剣に悩んでいたことだけは、どうやらまぎれもない真実であるらしい―。

〈了〉



お詫びと言い訳
 すみません〜っ! も、いっそ殺して下さ〜いっ(号泣)!
 藤蔭先生っ! この前、「とにかくこれは『表』なんですから、何卒そこのところをお忘れなく…」と、畳に額をこすりつけてお願いした結果がコレですか!? 「表」用に抑えたというより、単に「能力」使って手ェ抜いただけじゃありませんか!
 でも、ご安心下さいませ。「能力」抜きの無修正版(ただし、変わってるのはラストのシーンだけ)はしっかりjui様のサイトに献上する予定になっております。しかも、「届いたら『裏』にUPしますね」というありがたいお言葉つき!
 てなわけで、もう一つの「荒療治」…をご覧になりたい方はどうぞjui様の素敵サイト、「凛樹館」へ!(当サイトのリンクページ「綺羅星」に直通バナーがあります)
 それにしても、成人向け描写はともかく鬼畜度ではこっちが上のような気がするのは管理人の気の所為でしょうか。まあいいや。あっちは健全エロ度(←何だそりゃ)で、こっちは鬼畜度で勝負、っちゅーことで一つ穏便に…(収まるわけねーだろっ>自分)。

 


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