天使の罠 2


「…で、どうしてそういう話になるんじゃ?」
 ぽかんと口を開けたまま、二の句がつげないギルモア博士。それは、リビングに集合した留守番組も同様である。
 夕方になってようやく全員帰宅した00ナンバーたちに、ジョーたち四人が今日石原医院で聞いた話を説明した、そこまではよかったのだが。
「そんなわけでギルモア博士。一つ質問があるんですが…」
 松井刑事が囮捜査に失敗して石原医院で手当てを受けたところまで話が進んだときに、不意にジョーが博士に向き直ったのだ。博士も真剣な面持ちでジョーの顔を見つめる。ごくり、と誰かが生唾を飲み込む音が聞こえた。
「僕たちサイボーグって、日本酒三升飲んでも大丈夫なんですか?」
 ぐわらぐわらどしゃっ…と派手な音を立てて、その場にいた全員がずっこけた。
「おいジョーっ!」
 一番早く立ち直り、絶叫したのはジェット。さすが、打たれ強い。
「お前、何でこんなときにこんなバカな質問するんだよっ! 今までの緊迫感が台無しになっちまったじゃねぇかっ」
「でもジェット、これはすごく大切なことなんだよ。今回の捜査が成功するかどうかの鍵といってもいいくらいで…」
「殺人事件の捜査とポン酒三升が、どこでどう関係してくんだっ!」
 今や怒髪天をつく勢いでジョーの襟首を吊るし上げそうになったジェットに張々湖が飛びつく。
「ジェット! 落ち着くアル! ジョーの言うことは本当なんアルヨッ!」
「大人…」
「ジョーもよくないヨ。その質問はもう少し話を進めてからにしなくちゃ、みんなワケわかんないネ。あの、それはつまりこういうことでナ…」
 ジョーに代わって話し始めた張々湖に、全員の注目が集まった。
「S川の河口に隠し倉庫があったちゅうことは、麻薬の受け渡し場所もその近くにある可能性が高いネ。で、松井はんたちの捜査の結果、怪しい所が一つ、見つかったんアルヨ。隠し倉庫のすぐそばにある、居酒屋なんアルけど…」
「なるほど、それで日本酒か…でも大人、今回の目的は麻薬であって密造酒なんかじゃないんだろう?」
 ピュンマの問いに、張々湖は大きくうなづく。
「その通りヨ。だけどその麻薬の取引に、日本酒が大いに関わっているアルネ」
 先ほどのショックからは立ち直ったものの、再び顔を見合わせる一同。その周囲には、クエスチョンマークが秋の落ち葉のように盛大に飛び交っている。
「その居酒屋―『たこ八』、言うんアルけど―開店当初からちょっとしたチャレンジイベントやってるアルね。で、どうやらそのイベントが、麻薬受け渡しの目印になってるみたいなんヨ」
「具体的には、どういうこったい」
「何でも一回の来店につき、一人で日本酒三升空けたお客には、向こう一年間『たこ八』での飲食全て無料のクーポン券その他豪華商品がでるそうネ。ただし、途中で具合が悪くなった場合は店員の判断でチャレンジは強制終了、てな条件付でネ」
「…それって、そのものずばりの『自殺行為』なんじゃないの? 日本酒三升なんて…」
 おずおずと言いかけたフランソワーズに、張々湖は大きくうなづく。
「そりゃ、そんなバカなチャレンジやる客はめったにいるわけナイヨ。ただ、例の麻薬の運び屋の一人が、そのイベントに参加する、ってのが麻薬取引の合言葉になってるって証言したそうなんアル」
「そうか…そんなイベントに参加するなんて、確かに普通の客なら思いもつかないもんな」
「『参加するために来た』ってのがその合言葉らしいぜ。それで昨日、所轄署の刑事が三人、男二人の女一人でその居酒屋に行き、合言葉を言ったらしいんだ。だが、残念ながら三人とも…」
「途中で潰れやがったわけか」
 張々湖の言葉を引き取ったアルベルトに、ジェットがちらりとその青い瞳を向けた。…おいお前、すでにもうやってみる気になってないか? アルベルトは小さなため息をつく。
「松井さんは二升三合空けたところで強制終了になってしまったそうです。で、もう一人の遠藤さんって男性刑事は二升ジャスト。それで二人とも、急性アルコール中毒で石原医院に担ぎこまれたってわけで…」
「おい、それじゃもう一人の女刑事ってのはどうしたんだ? いざってときの介護要員で、参加しなかったのか?」
「ああ…その人は月野さんっていってね…」
 そこでふと、ジョーの声が小さくなる。
「二升七合空けたところで同じく強制終了。松井さんたちと一緒に石原医院に担ぎこまれたそうだけど、点滴一本で回復して、その夜のうちに家に帰っちゃったって。…子供五人の、明日のお弁当作らなきゃいけないからって」
 リビングがしん…と静まり返る。ああ、恐るべし大和撫子。母は強し。だがジョーはそんな周囲の空気にはお構いなく、再度ギルモア博士を問い詰める。
「松井さんたちは失敗してしまいましたが、僕たちなら多分大丈夫なはずでしょう? 果たしてそのチャレンジに成功した場合どうなるのか…それを是非、調べたいんです!」
 大丈夫なはず、と言われても…何だか気が遠くなってきたギルモア博士。それもそのはず、彼が作ったのはあくまでも「戦闘用」サイボーグであって、「大酒呑み大会参加用」のそれではない。
 確かに、00ナンバーたちは生身の人間以上に毒物や麻薬に対する耐性を持っている。だがそれは、敵の化学兵器による攻撃とか、万が一敵の手に落ちて拘束のため、あるいは尋問のために薬物を投与されることを想定したものであって…そりゃ、アルコールも毒物の一種といえなくはないが、日本酒を化学兵器に使う国がどこにある!? 情報を吐かせる、あるいはこちらに寝返らせるために日本酒三升飲ませるくらいなら、ヘロインやコカイン、あるいはLSDかモルヒネでも使った方がよっぽど手っ取り早い。アルコールに比べて高くつくことだけは否めないが、それくらいの財力すらないチンケな組織など、はなからBGが相手にするわけがないのだ。
 絶句してしまった博士に、なおもジョーは詰め寄った。
「まさか…だめなんですか、博士! 生身の人たちだって、あれだけ飲めたんですよ?」
「そりゃ、基準にする相手を間違っとるわい!」
 博士には、そう叫ぶのが精一杯だった。もしジョーたちの聞いた話が本当なら、松井刑事たちこそすでに人間…いや、サイボーグさえも超越したバケモノである。できることなら生体解剖の一つでもして、その胃壁の厚さや肝臓の重さを測定したいくらいだ。
(まさかその刑事たち…腹の中には肝臓以外の臓器がないんじゃなかろうな…)
 頭に浮かんだコワイ考えを振り払うかのように、博士はぶんぶんと音を立てて首を横に振る。途端にジョーが、がっかりした表情になった。
 と、そんな彼の肩をぽん、と叩いた手。
「そんな、しょげるなよ。博士がどう言おうと、俺たちが普通の人間よりアルコールに強いってことは間違いないんだ。…日本酒三升、飲んでやろーじゃねぇか」
 振り向けばそこには、青い目をきらきらと宝石のように輝かせたジェットの顔があった。
「ふむ。確かにそれはその通りだ。よし、我輩も挑戦するぞ! 本場イギリスのスコッチウイスキーで鍛えたこの腹で、麻薬の売人どもをぎゃふんと言わせてやる!」
 すかさず合いの手を入れたのはグレート。となると、他の連中も黙ってはいない。ここだけの話、メンバーたちは全員揃ってかなりいける口…というより、呑んべえだったりするのだ。
 あっという間に盛り上がる仲間たちを横目に、ピュンマがそっとアルベルトの脇腹をつつく。
「…止めないのかい?」
 振り返ったアルベルトが、肩をすくめる。
「ここまで盛り上がっちゃ、もう無理だろうさ。まあいい。誰か一人がチャレンジに成功すりゃ、そのあと何が起こるかわかるんだ。今回はどうやら普通人相手のようだし、一人や二人へべれけになって使い物にならなくても何とかなるだろうよ」
「…ごもっとも」
 苦笑を交わした二人は、何やらえらく楽しそうに作戦を練る仲間たちの方に視線を戻した。その薄氷と漆黒の瞳が見つめていたのはジェットとグレート、そしてジョーの三人だったりする。
(確かに、身体を張って『捨て石』になってくれるとしたら、あの三人のうちの誰かだろうなぁ…)
 心の中でそう思ったピュンマだったが、賢明にもそれを言葉にするのは…やめておいた。

 和気藹々と盛大に盛り上がった―もとい、慎重かつ大胆、そして綿密に議論を重ねた結果、作戦決行は二日後の夜と決まった。
「いいか。くれぐれも無理はするなよ。誰か一人がチャレンジに成功すれば、それだけで捜査の糸口はつかめるはずだし、いざとなりゃフランソワーズに店内を透視してもらうって手もある。とにかく、これは飲み会じゃなくて麻薬取引の―ひいては殺人事件の捜査協力なんだってことを忘れるんじゃないぞ」
 無駄とは知りつつ、一応アルベルトはそう言ってみた。だがもちろん、他の連中は―ピュンマを除いて―そんな彼の話など聞いちゃいねえ。やれやれ、とすくめたアルベルトの肩に、そっとピュンマの手が置かれる。不本意ながら、メンバー中唯一、いや唯二の「良心」となってしまった二人は顔を見合わせ、がっくりと肩を落とした。
 さて、いよいよ決行当夜。最初から酒を飲むとわかっているのに車を使うわけにはいかない。ギルモア邸から電車を乗り継ぎ、東京下町までやってきたメンバーたちは、松井刑事に教えられたS川沿いの道を「たこ八」に向かって歩いていた。
 空を見上げれば、まさに「中秋の名月」。白銀に冴えた満月が、息を呑むほどに美しい。川を渡る夜風の涼しさも気持ちよく、うっかりしているとついついこれがミッションだということを忘れてしまいそうだ。
 そんな中、つとジェットがジョーに近づいてきた。
「なあ、この間どさくさにまぎれて聞き逃しちまったんだけどよ。その崎田ってオッサン、どうしてそんな麻薬に手ぇ出しちまったんだい? そいつがいる暴力団はヤクなんて扱わないし、その『エンジェルキッス』とやらも、隠し倉庫はともかく、蔓延しているのはこっから結構離れた若者向けの繁華街なんだろ?」
「ああ…それがね」
 ジョーの瞳が曇る。
「はっきりしたことは、わからないんだ…。ただ、崎田さんの会社―松井さんに言わせると『表家業』だね―で働いていた外国人が一人、『エンジェルキッス』の売買に巻き込まれて強制送還になっちゃったんだって。その人は不法滞在者なんかじゃなくて、ちゃんと正規の就労ビザを取って『光栄建設』、崎田さんたちの会社の技術研修生として働いていたんだけど、少しでもたくさん本国の家族に仕送りしたいからって、休日を利用してアルバイトしてたらしいんだ。でもそれが『エンジェルキッス』の運び屋だってことがばれて…」
「仕送りのためにヤクの運び屋かよ。そんなんで金送ってもらった家族こそ、いいツラの皮だな」
「違うんだよ。彼はそんな、麻薬を運んでいるなんて全然知らなかった。ただのバイク便だと思っていたんだ。…騙されたんだよ」
「何?」
「今回の黒幕は相当悪賢いらしくてさ、売人も運び屋も全部学生とはいえ、売人は日本人学生、運び屋は外国人留学生ってはっきり使い分けてるんだって。その上連絡手段は客に買わせた携帯のみで、かけてくるのはもっぱら公衆電話から。ご丁寧なことに、運び屋以外の人間が電話に出たら二度とそこには電話をかけない。…となれば、万が一その運び屋が警察に怪しまれて捕まったとしても、そこから先をたどるのはかなり難しい作業になる。要するに、一番危ない役を外国人に押しつけてるんだよね。日本じゃ、外国人がバイト探すのもいろいろ大変だろう? そこにつけこんで、破格の高給をエサに誘うんだって。相場の三倍から五倍のバイト料がもらえるとなれば、やりたがる人は大勢いるから…」
「ちょっと待てよ。いくらなんでもそりゃ高すぎだ。俺だったらいっぺんで胡散くせえと思うけどな。疑う奴は一人もいねぇのかよ」
「そこが奴らの巧妙なところでね。ちゃんと言い訳を用意してるんだ。世の中にはさ、合法であってもまともに店で買うのはちょっと恥ずかしいものってあるだろう?」
「ああ! 避妊具とか、大人のおもちゃとかいうやつか!」
「ちょっ…ジェット! 声が大きいよっ!」
 ぽんと手を叩き、大声を上げたジェットの口を、ジョーが慌てて塞ぐ。が、少し先を歩いているフランソワーズは空にかかる満月にうっとりと見とれ、彼らのやり取りには気づかなかったようだ。ほっと胸をなでおろしたジョーが、小声で先を続ける。
「ん…まぁ、そんなとこだね。中には美少女フィギュアとか、男性用女装セットなんかを扱ってるんだって言われた人もいるみたいだよ。…とにかく、そんなものをこっそり届けるんだから、お客の住所氏名なんかは絶対秘密だし、指定された場所と時刻は絶対厳守。どんな理由があれ、少しでも間違いがあったら即刻クビ。そういう厳しいバイトだからこそ時給も高いんだ、って言われれば、結構みんな信じちゃうと思うよ。それに、そういう条件で雇われてるから、逮捕されて自分が運んでいたのが麻薬だってわかっても、みんな中々情報を漏らしてくれないって、松井さんがぶつぶつ言ってた」
「成程な。そこまでやられちゃ、引っかかってもしょうがないか。…で? それと崎田はどう関わってくるんだい」
「結局その人は何も知らなかったんだし、何とか強制送還だけは勘弁してくれって、崎田さんたちは会社を挙げていろいろなところに嘆願してまわったんだそうだ。彼、日本で建築技術を覚えて国のために頑張るんだって夢を持ってた、すごく真面目な人だったらしいから…。だけど、理由はどうあれ犯罪に加担したことには間違いないわけだろう? 結局嘆願は認められず、彼は『前科者』という肩書きつきで国へ追い返されてしまった。それで、『光栄建設』が激怒しちゃったんだよ。即刻、本社営業部の社員―つまりそれが、『光順会』の構成員なんだけど―を全員集めて、総がかりで裏の筋から情報を集め、警察同様『たこ八』を探り出して…よりにもよって殴り込みをかけようとしたんだ」
「うわぉ…やっぱ、ボーリョクダンには違いないってか?」
 驚いて見せながらも、少々楽しそうなジェット。だがジョーは、軽く肩をすくめただけだった。
「だけど、事情が事情だけに警察も『光順会』には目をつけてたからね。殴りこみの直前になって家宅捜索が入り、その場にいた全員が逮捕、用意していた武器は没収されちゃった。ただ、そのとき崎田さんだけがちょっと、『光栄建設』の方の用事で外に出てて…きっと、帰ってきて事務所に警察が来たことに気づいたんだね。そのまま行方をくらました。ただそのあと、何軒かの飲み屋で崎田さんがお酒をがぶ飲みしていたっていう目撃証言が出てる。多分、ヤケ酒じゃないかと思うんだけど」
「確かにたった一人、しかも武器なしで殴りこみはかけられねぇわな」
「ここから先は警察の推測だけど…もしかしたら崎田さん、酔っ払ってたった一人、『たこ八』に殴りこみ…って言うか、怒鳴り込みに行ったんじゃないかって。そして…」
「返り討ちってわけか」
「銃や刃物を使ったら、店内に血痕が残る。それに、相手がもし学生だったとしたら…自分たちの扱っている麻薬で殺した方が、血を見ない分やりやすかったのかもしれない」
「…アマチュアとはいえ、甘く見たらとんでもない目に遭うってことだな」
 ジェットがきっと表情を引き締めたとき、先頭を歩くグレートが「着いたぞー」と後方のみんなに向かって叫ぶのが聞こえてきた。

 


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