前略、道の上より 12


「けっ! 隠し玉たぁ、コソクな真似しくさりやがって」
 レジの中に押し込められた四人の前で、わざとのように凄んでみせる主犯格。だがその声音にはどことなく面白そうな響きが含まれている。
 「敵のエモノが拳銃だけなら楽勝ってもんさ」。先ほどのジェットの言葉は間違いではなかったが、それすなわち逆を言えば、もしも敵が拳銃以外の凶器を用意していたとしたら、さすがのサイボーグといえども「楽勝」というわけにはいかないということで…。
 そう。拳銃の弾丸なら見切ることは容易い。かなりの至近距離から撃たれても、飛んでくる弾丸からヤスを守って身をかわすことはさほど難しくないだろう。だが、もしもあのペットボトルの中のガソリンを店中にばら撒かれて火をつけられたら…。
 一瞬にして広範囲に燃え広がる炎は、時と場合によっては銃弾よりもタチが悪い。まして、ヤスの目の前で加速装置を使うわけにはいかないのだ。…となれば、どんなにかばったところで生身のヤスが大火傷をしないという保証はないし、仮に彼を無傷で連れ出せたとしても、店が火の海になってしまったらそちらはもうどうしようもない。「ヤスとこの店を守る」、それがオーナーである河北や竹内、今井の両警官との約束なのだ。片方を守るために片方を犠牲にするわけにはいかない。
 だから。
 しばしの沈黙ののち、さすがのアルベルトも押さえつけていた男を放し、レジの中に入るしかなかった。しかし、目の前にいる二人組がそんな葛藤になど気づくはずもない。
 特に―。
「へへ…。どうやらこれでそっちは完全にお手上げらしいな…って、もう皆さん両手は挙げてらっしゃるか。へへへ…ひ〜っひっひっひっ!」
 いまだこれ見よがしにガソリン入りのペットボトルとライターをちらつかせている主犯格がますます面白げに、楽しげに声を上げて笑う。隠れていた狂気が今やはっきりと形をなし、その場にいる者全員を何とも言えぬ不気味さで押し包む。
 どうやら、もう一人の共犯すらも例外ではないようだ。
「アニキ…」
 自由になるやいなやぱっと相棒の後ろに逃げ込んだものの、その言動が徐々に常軌を逸し始めたのに気がついたのであろう、先ほどから妙にせわしなげにちらちらと、自らが頼るべき仲間―ヘルメットに隠れたその顔にばかり視線を走らせている。
 そんな中、店のBGM―「前略、道の上より」だけが相変わらずにぎやかに―その男声コーラスだけが真っ直ぐに堂々とした歌声を響かせていた。
「…にしてもさっきからうるせぇなぁ。おい! その歌止めろっ! 喧しいんだよ! 苛々すらぁ」
 目敏くレジ奥のラジカセを見つけたらしい主犯格が顎をしゃくう。ヤスの団栗眼がはっと見開かれた。
「え…? この歌が…喧しい? 苛々する…?」
「ああそうだよ! 何が『お天道さん』だ。なーにが、『生きて行く証』だ。偉そうに説教されてるみたいでな、ムカつくんだよ!」
 せっかくの心遣い―彼らが何かを感じ取ってくれないだろうかという、半ば祈りにも似た気持ちでかけていた歌へのあまりの言葉に、ヤスの目の色が変わった。どうやら、その心の中の何かが切れたらしい。
「おいお前ら! この歌のどこが説教臭ぇってんだよ! ムカつくのはお前らが素直な気持ちで聴いてないからじゃねぇのか!? …なぁオイ…。一度…たった一度でいいから、余計な恨みだの僻みだの捨ててこいつを聴いてみてくれよ…。そしたらお前らにもきっとわかるから…この歌のホントの意味が、これ歌ってるセピアのみんなの気持ちが、きっと…わかるから…」
 「切れた」と言ってもまだ理性が残っていたのだろうか、激しい剣幕でまくしたてたのもつかの間、すぐさま口調を変えて誠心誠意目の前のヘルメットに向けて語りかけるヤス。だが、相手はただ「ふん」と鼻を鳴らしただけで―。
「ケッ。コイツは手前ぇのお気に入りか。だったら余計、マジに聴く気なんか起こらねぇなぁ。…おい」
 何を思ったか、ヘルメットがつと背後の相棒を振り向く。
「こちらの兄さん方は残念ながら俺たちの頼みを聞いてくれる気はないらしいからよ―お前、構わねぇからあのラジカセに一発ぶち込んでやれ。俺は生憎両手がふさがってるしな」
 そこでまた、ペットボトルとライターをこれ見よがしに持ち上げてみせる主犯格。だが―。
「え…? アニキ、それマジかよ! だって最初に言ってたじゃんか。拳銃は単なる脅しだ、押し入って、店滅茶苦茶にして、コイツを半殺しの目に遭わせりゃそれで充分気が済むって…」
 言い返す声は完全に怯えていた。だが、言い返された方はかえって怒気を強めて。
「何だと手前ぇ! できねぇってのか? おい、手前ぇだって覚悟決めてきたんだろが!! ぐだぐだヌカしやがるとただじゃおかねぇぞコラァ!」
 怒鳴りつけられ、相棒は縮み上がる。そして、かすかにうなづくとおっかなびっくり自分の拳銃を構え…。
「手前ぇら、退けやアァァァッ!」
 完全に裏返った、悲鳴のような絶叫とともにトリガーに指がかかる。レジ内の四人がぱっとカウンターの陰に伏せる。
 乾いた銃声と機械の壊れる音はほぼ同時だった。そして、エンドレスのBGMがふつりと途切れたのも…。それでもなお、しばらくの間は耳障りなノイズが切れ切れに響いていたが、やがてそれも徐々に消えていき、一瞬―店内は完全な沈黙に包まれた。
「う…うわああぁぁぁーッ!!」
 続いて響いたヤスの悲鳴は、半ばすすり泣きのようだった。無理もない。彼の想い、そして祈りはたった今ラジカセとともに撃ち抜かれ、完全に破壊されてしまったのだ。
「ヤス…。おい、ヤス!」
「大丈夫か? しっかりしろ!」
 いまだ叫び続けるヤスを、ジェットとアルベルトが両脇から支え、懸命になだめる。だがその中、ジョーだけは奇妙な違和感を覚え、その場にぼんやりと固まったままだった。
(…どうして…。どうして今、店の中があれほど静かになったんだろう…?)
 いや、それ以前からだ。あの銃弾がラジカセに命中したとき飛び散った細かな破片…ジョーの耳にはその一つ一つが床に落ちる音がはっきりと聞こえた。そればかりではない。主犯格がこれ見よがしに見せびらかしたペットボトルの中で揺れるガソリンのちゃぷちゃぷという音、拳銃を構えつつ、かすかに震えていた男の歯がガチガチと鳴っていた音、奴らや自分たちが動くたびにその衣服がたてる衣擦れの音…。
 それらはどれも、サイボーグである自分になら聞こえて当たり前の音だった。
(だけどついさっきまではこれほどはっきりとは聞こえなかった。なのに、どうして今は…)
 突然あることに気づいたジョーが、弾かれたように出入口の自動ドアを見る。そして、それに続く雑誌棚のガラスの壁。茶色の瞳が、こぼれ落ちんばかりに大きく見開かれた。
(雨が―やんでる!)
 少年のなめらかな頬から血の気が引き、ジョーはそのままヤスを中心に身を寄せ合ったアルベルトとジェットの背中にしがみついた。
(アルベルト! ジェット! 大変だ! 雨が…やんでる!)
(何?)
 返ってきた脳波通信はどちらもいくぶん面食らったような調子を帯びていた。
(あ…あ。確かにそろそろやんでも不思議はないな。俺がこの店に入ったときはかなり小降りになってたし)
(この際雨なんざどーでもいーじゃんかよっ! それよりヤスだろ!)
 少々怒ったような返事を叩きつけてきたジェットは、いまだヤスに何事かをささやきかけつつその背中をなで続けている。だが、たった今の出来事にかなりのショックを受けたらしいヤスの耳にはその声も入っていないらしく、床に四つんばいになったまま、うつろな目で壊れたラジカセを見つめているばかりである。
(い、いやそりゃぁ…ヤスのことも心配だけど…でもっ!)
 ヤスとジェット、そしてアルベルトに忙しく視線を走らせながらジョーはなおも食い下がる。
(この店の前の道路からすぐ先の国道へ抜けるコースはS湾への近道でっ! ほら、あの磯釣りで有名なとこだよ。だからこの店…いつも午前三時過ぎあたりから、夜釣りの帰りや朝釣りに出かける人たちが結構たくさん…立ち寄るんだ!)
(あ…!)
(何だと!?)
 今度こそ、顔面蒼白になってこちらを振り向いたジェット、そしてアルベルト。
(言われてみりゃ確かにそうだった…。畜生! あの雨ン中釣りに行くような命知らずなんざいるわけねぇと思って…油断してたぜ)
(あれだけの大雨なら海もかなり時化ただろうし、多分夜釣りに行った人はいないと思うけど、その割には比較的風が穏やかだったから…雨さえやめば海も凪ぐだろうと、朝釣りに出かける人たちならいるかもしれない。そりゃぁ…出足は多少、遅れるだろうけど…午前三時を過ぎてしまったら、やっぱり危ないよ!)
(くそ…今は午前二時五十分か。まずいな。時間がない!)
 ちらりと自分の腕時計に目をやったアルベルトが苦虫を噛み潰したような表情で唸る。
 だが、彼らがそんな会話を交わしている間にも、状況はますます悪化するばかりだった。

 ちゃぷ…。

 何やら液体の滴る音に、ジョーとジェットがぱっと立ち上がる。途端、鼻をつく異臭。
(…まさか!)
 そのまさかだった。レジの前、ペットボトル片手にかがみ込んでいた主犯格がゆっくりと上体を起こす。そして、レジ前の通路の奥から出入口の前までの床をびっしょりと濡らす水―いや、ガソリンだ!
「へっへぇ。どうやらアイツ、今のが相当こたえたらしいな。…おやおや、もう立ち上がる元気もねぇってか? 気の毒になー。だったら今俺たちが楽にしてやるよ。さあ、これでフィニッシュだ!」
 言いつつ空になったボトルを投げ捨て、同じく体にくくりつけていたもう一本を取り出したその腕が、新たなボトルの中身を思い切りレジに向かってぶちまけた。
「う…わっ!」
 とっさに両腕で体をかばったものの、降りかかるガソリンを完全にかわすことはできず、全身びしょ濡れになった四人。異臭がますます強くなる。
「もっといたぶってやりたいのは山々だが、あんまり長居して誰かに見られでもしたらコトだからな。このへんで勘弁してやらぁ、ありがたく思え!」
「アニキーッ!!」
 相棒―先ほどラジカセを撃ち抜いてからずっとそのままの姿勢で銃を構え、四人に狙いを定めていたもう一人のヘルメット男が再び悲鳴を上げる。だがそいつはもう完全に主犯格の狂気に呑まれてしまったらしく、それ以上どうすることもできない。止めにはいることすら思いつかないのだろう。全身をガタガタ震わせながらもひたすら同じ姿勢をとり続けているばかりである。
 そして再び、取り出されたライター。

 それを見たとき、ジョーは覚悟を決めた。

(アルベルト、ジェット! 加速装置だ! 僕が飛び出してあいつを押さえるから、もう一方を頼む!)
 思いもかけない脳波通信に、アルベルトとジェットが血相を変える。
(ばかな…! ジョー、本気か!? ガソリンひっ被った上に加速装置なんか使って、空気摩擦で服が燃えたらどうするっ。あいつが火をつける前に、俺たち全員黒焦げだぞ!)
(第一、ヤスの目の前でそんなモン使って、俺たちの正体がばれたらどうすんだ! マブダチ一人失くしてもいいのかよ!?)
 だが、二人を見返した茶色の瞳には一切の迷いもためらいもなく―。
(速度は最小限に抑えるよ! 服が…燃えない程度にね。それに、もしヤスに見られて僕たちの正体がわかってしまったとしても…)
 きっと唇を噛み、正面の敵を見据えたその瞳はもう、ジョーではない。サイボーグ…009だ。
(たとえそれでヤスが僕を厭い、恐れ…友達じゃなくなってしまっても…僕は…僕は…ッ)
 一瞬、かすかに―泣きそうになった童顔が。

(僕は、ヤスが生きていてさえくれればそれでいい!!)

 きっぱりと言い切ったその言葉に、アルベルトとジェットもサイボーグ004と002に―変わる。
(よしわかった! 009、行くぞ!)
(009、002! ヤスのことは任せておけ。この俺が必ず守る!)
 茶色と薄氷、そして青の瞳が慌しく見交わされる間ももどかしく、009と002の舌先が加速装置のスイッチを捉える。

 そして―。

「加速装置!!」

 二人の舌先にぐっと力がはいったその刹那。
 不意に、出入り口の自動ドアが開いた。

(!!)

 まさかさっき心配していた気の早い釣り客が―!?
 
 だが、それこそ加速装置顔負けの速さでぱっと振り向いた三人の目の前、開いたドアの向こうには何者の影もなく―。

 かわりに。

「うおぉおぉ〜ん。あおぉ〜ん。うぉぉ…ぉぉおおおお〜ん!」

 荒野に響く狼の…と言うには少々甲高くて頼りないかもしれないが、それでも充分力強い、堂々とした都会の野生の遠吠えが、彼らの周囲の空気をびりびりと震わせた。

 しかも、それに呼応するかのごとく。

「うわぁぁぁあああっ!!」

 店前の大通りを隔てたあの公園から、色とりどりの雨合羽と傘で武装したあの―子供たちが、口々に喚声を上げながらこちらに向かって押し寄せてきたのである。
 


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