前略、道の上より 13


 正直。

 そのときの三人には何が何だかわからなかった。

 ただ。

 その瞬間、犯人どもは押し寄せてくる子供たちを見ていた。

 ヤスも、同じく子供たちに目を釘付けにされていた。

 そして。

 子供たちの目は、店内の強盗と追い詰められたヤスだけをただひたすらに見つめ―。

 一瞬、そこにいる者全ての視線が009と002から離れた―!

「よしっ、002!」
「OK! 009!」

 凛とした009と002の声に、止まっていた時間が再び三人の手に戻る。
「加速装置!」
 今度こそためらうことなく奥歯のスイッチを噛み、レジから飛び出した009と002が流れるような動きでヘルメット男どもからライターとペットボトル、そして拳銃を奪う。最後に、軽く当身を食らわせて失神させればそれで終わり―加速装置を切ったときにはすでに強盗犯どもは彼らの手の中、意識もないままにぐったりとのびていた。
 そう。全ては一瞬のこと。
 おそらく、彼ら以外の者には―犯人どもはもちろん、ヤスにも駆け寄ってくる子供たちにも―そのとき何が起こったのかは永遠にわからないままだろう。
 一方コンビニのドアの前では、両手を広げて仁王立ちになった004が全身で子供たちをせき止めていた。
「よし、皆そこまでだ! 今は店の中に入るんじゃない!」
 夜気を切り裂く大音声にびくりと身を震わせた子供たちがたたらを踏んで立ち止まり、いきなり自分たちを怒鳴りつけた銀髪の外国人をあの「ガラス玉の瞳」でまじまじと見つめる。感情を持たぬ、そのくせ無垢な視線に囲まれて、さしもの004もほんの少しばかり表情を変えた。
 だが、次の瞬間その銀髪がさらりと揺れて。
「…心配するな、ヤスは無事だ。お前さんたちのおかげだよ。ありがとう」
 珍しくその薄氷の瞳を和らげ、静かに子供たちに礼を述べたドイツ人。
 怒鳴りつけられたかと思えば一転穏やかな声で礼を言われ、子供たちの間にも動揺が広がる。ついさっきまでの大喚声はどこへやら、誰も皆押し黙ったまま、互いに顔を見合わせるだけだ。
 しかしそれも、少し遅れてヤスとジョー、そしてジェットが店を出てくるまでのこと。
「兄ィ!」
 いち早くヤスに気づいたタケシが飛び出す。それに続いてたちまち全員がヤスに向かって殺到した。
「兄ィ、大丈夫か!?」
「うわ…すごい臭い。もしかして、悪い人たちにやられたの?」
「でも、兄ィがやっつけちゃったんでしょ?」
「あったり前じゃんか。兄ィはすげぇ、強いんだぞ!」
 周囲に群がり口々に声をかけてくる子供たちに、ヤスの団栗眼がみるみる潤んでいく。
「お…お前ら…。こんな…雨の夜だってのに出てきやがって…コラ! 今俺に触るんじゃねぇ! 手や服が汚れるぞ…」
 感激したり叱りつけたり、涙交じりの台詞はもう支離滅裂だ。その騒ぎのおかげで完全に放ったらかしにされてしまったジョーとジェット、そしてアルベルト。それでも、ヤスと子供たちの様子を見つめる彼らの顔にはただ、満足げな微笑だけが浮かんでいる。

 だが、そんな彼らのもとにももう一人―いや一匹。
「ジョーしゃん! ジェットしゃん、アルベルトしゃん! 大丈夫でちかっ!」
 一体どこから現れたのか、転がるような勢いで駆け寄ってきた毛玉。
「パピちゃん―! 無事だったんだね! よかった…本当に…よかったよぉ」
 それまでの「009」の決意と気迫はどこへやら、たちまち顔をくしゃくしゃに歪ませて涙声になったジョーがついついチビ犬を抱き上げようとして、慌ててその手を引っ込める。
「あ…ごめんパピちゃん。今…僕たち全員、とても君を抱っこしてあげられるような状態じゃなくて…」
 先ほどのヤスの言葉ではないが、何しろ今の自分たちはガソリンまみれ、パピの鼻には到底耐え難い悪臭を放っているはず。だがチビ犬はまるで気にしないふうにちょこちょこと皆の足元に寄ってきて、そのふさふさ尻尾をぐるぐるぶんぶん振り回す。
「しょんなこと、気にちないでちょうだい。…しょれより、みんなの方こそご無事で何よりでちた。ボクもねぇ、気が気じゃなかったんでちよ。もち間に合わなかったらどうちよう…って、心臓がつぶれちゃいそうでちた」
「しかしお前、さっきこいつらに蹴っ飛ばされたはずじゃ…何だってそんなにぴんぴんしてるんだ?」
 パピの元気な姿にこちらも安堵の笑みを浮かべたのもつかの間、怪訝そうに首をかしげたジェットが、いまだ気を失ったままの犯人どもとパピとを交互に見比べる。
「あ、しょれはでちね…」
 パピのデカ耳が得意げにぴくぴくと動いた。
「あのときボク、蹴飛ばされる寸前に見張所へ逃げ込んだの。だから強盗しゃんたちが蹴っ飛ばちたのはボクじゃなくて見張所…あのダンボールの山だったんでち」
「ああ、それで…」
「でもやっぱりかなりの衝撃でちたよ。何ちろ見張所が完全にひっくり返っちゃったんでちから。ボクもお背中をうんとぶつけちゃったんでちけど、周りがみんなダンボールだったおかげで大ちたこともなくすみまちた。ただ困ったのは、ひっくり返った見張所の上にカモフラージュ用のダンボールが崩れ落ちてきて、中に閉じ込められちゃったことで…さすがのボクもパニック状態になっちゃって、真っ暗闇の中でわけもわからず焦って暴れるちかありまちぇんでちた」
 一瞬しょんぼりと下がったふさふさ尻尾が、次の瞬間また得意げにぴん、と上がる。
「でもね、しょうやって暴れてるうちにボク、ダンボールの中に一箇所小しゃな穴を見つけたの。もちかちたらあの犯人しゃんたちが蹴り破ったのかもちれまちぇんが…何にちたってこれこそ天の助け、あとはしょの穴をかじってひっかいて広げて、ようやくおんもに出ることができたんでちよ」
 言われた人間どもが店の方を振り返れば、確かに―ひっくり返された挙句雨に打たれてすでに「見張所の残骸」となってしまったダンボールの山の側面に大穴が開いていた。もともとの穴がどれくらいの大きさだったのかはわからないが、このチビの小さな口と牙、そして爪であれだけにするのはさぞ大変な作業だっただろう。それを思うとジョーやジェットばかりかさすがのアルベルトですら胸を打たれるものがあったのだが、当の「お犬様」の方は、例によってこんな人間どもの感慨になど鼻もひっかけるはずがなく。
「でちがそうちてようやく脱出ちてみれば、お店の中ではみんながレジの中に押ち込まれて犯人しゃんたちに拳銃を突きつけられてるじゃありまちぇんか。あのときばかりはボクも途方にくれちゃったでち。ボクみたいなチビ犬一匹じゃ、加勢に入ったところであの犯人しゃんたちをやっつけることなんか到底できないち、今井しゃんたちの交番に知らせに行ったって、戻ってくるまでの間にみんながやられちゃってたら元も子もありまちぇんからね。で、何とか他に手はないかと考えているうちに雨が小降りになってきて…」
 言葉を切ったパピが、ふと顔を上げてヤスの―いや、彼を取り囲んでいる子供たちの方を見た。
「あの子達が一人、また一人といつもの公園に集まってくる気配がちたんでち。きっと雨がやんできたのに気づいて、いつものようにお店を見張ろうと出てきたんでしょう。だけどしょのときはまだお店のガラスが湿気で曇ってたから、中で何が起こっているのかしゅぐにはわからなかったんじゃないかと…。でも、ボクのお耳には中にいる人たちの声がみんな聞こえまちたから…」
 そこで何故か意味ありげにジョーとジェットを見つめ、ぺろんと自分の鼻をなめ上げた「お犬様」。
「最後の最後、もう一刻の猶予もなくなっちゃった瞬間自動ドアを開けて、子供たちを呼んだんでち。遠吠えはボクたちわんこが仲間を呼ぶ合図、果たちて人間の子供たちに通じるかどうかちょっぴり心配でちたけど、みんなちゃんと気づいてくれまちたよ…」
「パピちゃん…」
 それだけでこちらも涙目になってしまったジョー。その傍らではジェットもまた、これまでとは少々違った視線でこのクソ生意気な「世界の七不思議」を見つめている。
 ただ、アルベルトだけがやや不満げに唇をへの字にまげて―。
「そして結局、俺たちはお前に助けられたってわけか。そのことにゃ礼を言うべきなんだろうがな、それでもお前のやり口はかなり危険な賭けだったんだぞ! 成功したからいいようなものの、万が一子供たちにまで何かあったらどうするつもりだったんだ、ワン公!」
 しかしながらそんなことでへこむようなチビ犬であるわけがない。
「またまたしょんなご謙遜を。皆しゃんにとっては、ほんの一瞬犯人しゃんたちの注意がそれればしょれで充分だったんでしょ? まちてあんな大騒ぎになって、犯人しゃんどころかヤスしゃんまであっけにとられてぽかんとちてたんだもん。その隙を見逃すようなジョーしゃんたちじゃありまちぇんよねぇ」
 再び三人を見回したパピの意味ありげな視線に、アルベルトの白皙が瞬時にして朱に染まる。
「おいワン公! お前一体何が言いたい!?」
 しかしそこへ、絶妙なタイミングで重なったもう一つ―いや、二つの声。
「おぉぉ…いっ! 君たち、大丈夫か!?」
「チーフ! それに島村君にジェット君! 無事かぁっ!」
 振り向けば何と竹内、今井の両警官が息せき切って走ってくるではないか。ジョーたち三人に加え、子供たちに囲まれていたヤスの目さえもが一瞬、点になる。
 …いやそりゃぁ、市民を守るのは警察官の義務、何か事件が起これば即刻駆けつけてくるのが当たり前なのかもしれないけれど。
(…一体誰が通報したんだ?)
 おそらく、その場にいた大人及び青少年全員が不審に思ったに違いない。
 だが、その疑問はすぐさま氷解した。警察官二人の陰に隠れるようにして、同じように走ってきた男の子―おそらく小学校五、六年生―二人が、ぜいぜいはぁはぁと息を切らせて仲間たちの輪の中に飛び込んできたからである。すかさずその二人を自分の後ろにかばったタケシが、ヤスに向かっておずおずと口を開いた。
「あ…あの…俺ら、やっぱ兄ィの言うこた正しいと思ってさ…俺らガキがいくら束になったところで、強盗犯捕まえるのなんざやっぱ無理だって…。だから…いざとなったらこいつら二人がすぐにあの交番に駆けつけるように…打ち合わせ、しててさ…。カズとショウは仲間の中でも一番すばしっこくて…足も…速いから…」
 懸命に説明しつつもその言葉はしどろもどろ、他の子供たちもすでにもう半分逃げ腰になっている。いつだったかヤスが言っていたとおり、「警官の制服を見るとついつい『ヤベぇ!』と思ってしまう」のは、彼らにとっては仕方のないことなのだろう。
「あ…あの…でもよ、それでも…。とにかく、この事件はもう解決したんだよな! もう…危ないからこの店に来ちゃだめだなんてこと…もう兄ィは言わないよな!?」
 びくびくと後ずさりしつつもこれだけはとばかりに叫んだタケシに、ヤスがしっかりとうなづいた。
「ああ。もう何も心配するこたねぇ。来たいヤツはいくらでも…いつでもここにやって来い。ただ、行き帰りには充分注意すること、それから決してお客様の邪魔はしねぇこと、この二つだけは必ず守るんだぞ!」
 頼もしい言葉に子供たちの顔がぱっと輝く。だがそれもつかの間、もうこれ以上の用はないとばかりに、全速力で逃げ出した―の、だが。
「みんな! ちょっと待ってくれ!」
 そのあとを追ったのは制服警官―竹内の声。だが、彼らにとっては何より怖い「お巡りさん」の言葉になど、子供たちが従うわけがない。むしろますます足を速め、死に物狂いのスピードで遠ざかっていく。
 竹内もそれを察しているのか、子供たちを無理矢理引き止めるような真似はしなかった。
 そのかわり―。

 かつっ…と音を立てて靴の踵を合わせ、大きく息を吸い込んで。
「このたびはァッ、犯人逮捕へのご協力、まことにありがとうございましたッ! 警察庁を代表いたしまして、心より御礼申し上げますッ! S県A署、××派出所巡査部長、竹内源一郎ッ!」
 何と、走り去る子供たちに向かってあらん限りの声をふりしぼり、姿勢を正してびしりと敬礼したではないか。
 それをぽかんと見つめていた今井が、次の瞬間同じく姿勢を正し、見事な敬礼を決めて声を張り上げる。
「本官からも心より御礼申し上げますッ! ありがとうございましたッ! 同じく××派出所巡査長、今井幸二ッ!」

 いまだ明けきらぬ夜の中、人通りの途絶えたコンビニの前で直立不動のまま、自分たちに向かって敬礼する警察官二人。それに気づいたとき、初めて子供たちの足が止まった。
 そして―それぞれのガラス玉の瞳を目一杯見開いて―竹内と今井の姿を長いこと、じっと見つめて―。



 やがて最年長二人組―タケシとヨーコが深々とこちらに向かって頭を下げた。それに促されるように、いつしか他の子供たちも全員―。



 それでもいつかその頭は再び上がり、今度こそ―小さな影たちは一目散に夜の闇へと走り去り、それぞれの家に逃げ帰って行った。そして、その最後の影が見えなくなるまで、竹内、今井の両警官はコンビニの前で敬礼し続けて―。

 二人がようやく手を下ろした頃、所轄所からの応援だろうか、パトカーのサイレンが遠く、切れ切れに聞こえてきた。
 


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