前略、道の上より 3


 それ以来、ジョーとジェットは時折あのコンビニに顔を出すようになった。もっともジェットの方は、ヤスがジョーの昔の友達だということで最初のうちは遠慮していたのだが―。しかしジョーはジョーで、ジェットにそんな柄にもない遠慮をされたらかえって気を遣ってしまうし、ヤスもジェットの顔が見えないのを寂しがったりしていたので、いつのまにかまた二人で出かけるようになったのだ。
 また、事情を知った他の仲間たちも、彼らが堂々と店を訪ねられるようわざといろいろな買い物を頼んでくれるようになり、そのおかげで二人は今やヤスばかりでなくあのコンビニで働く他の店員たちともかなりの仲良しになっていたのであった。
 それにしても気になるのはあの子供たち。いつしか秋も深まり、深夜ともなれば寒いくらいの時期になったというのに相変わらずあの店の前で、真夜中過ぎまでぺちゃくちゃと喋っている。店の入り口を占領することはやめて、やや離れた―客の邪魔にならない場所でたむろするようになったのは進歩だが、こちらに向けてくる瞳はまだ、あの「ガラス玉の義眼」のままで―。
 いつか訊いてみようと思いつつ、中々きっかけをつかめなかったジョーが思い切って口を開いたのは、この店に通い始めてからそろそろ一か月が過ぎようとしていた頃だった。

「ねぇヤス、実は前からちょっと気になっていたことがあるんだけどさ」
「んあ〜? 何でぇジョー」
 場所は例によって従業員控え室。あのあとすぐ、ヤスの休憩時間が午前一時から二時だと聞いたジョーたちは、できるだけその時間に合わせて店に行くようにしていたのである。
「あの…店の前の子供たちってこの近所の子? どうしていつもいつもこんな夜遅くまで…」
「ああ、ヤツらのことか。…いつかは訊かれると思ってたぜ。何てったってお前らは初っ端からヤツらに通せんぼされちまったんだもんな」
「いや、あのときのことはもう気にしちゃいねぇが…でもやっぱ、マズいんじゃねぇのか? あんなガキどもがこんな時間まで外ウロウロしてるってのはよ」
 いつしかジェットとヤスが話し合う口調も、かなり打ち解けたものになっている。
「まぁな…。俺も決していいこととは思っちゃいねぇよ。だけどさぁ…」
 そこで軽く肩をすくめたヤスが、ふと傍らのカレンダーつき時計に目をやった。
「お、ちょうど今日は水曜か。…あのよ、お前ら今夜あと少し、時間あるか? もうちょっとすると、俺よりもっとあいつらのことに詳しいヤツがやってくるはずなんだ。そいつなら多分、俺よりずっと手際よく説明してくれるだろうし…それ抜きにしても中々面白ぇヤツだからよ、一度お前らにも紹介したいと思ってたんだ」
 一瞬顔を見合わせたジョーとジェットだったが、もちろん異存などあるわけがない。そんな二人に、ヤスも幾分ほっとしたようだった。
「…そんじゃ、悪いけど休憩終ってからもちょっくら店ン中ぶらぶらしててくれや。そんなに待たせるわけじゃねぇ。多分、あと五分か十分くらいでツラ見せるはずだから」

 そのようなわけで、その日のジョーとジェットはヤスの休憩時間が終わったあとも、ぶらぶらと店内を歩き回っていた。
 そして、たまたま雑誌売り場を通りかかったジョーが、愛読している自動車雑誌を見つけて手に取った途端。
「お、その今月号、もう出たのかよ。俺、楽しみにしてた記事があるんだ!」
 ちゃっかり気配をかぎつけて横合いからさっとのぞきこんできたジェットが、ふとその表情を変えた。
「お、おい、ジョー…」
「え…?」
 肩をいきなり叩かれたジョーも、怪訝そうに雑誌から目を上げる。と―。
 大抵のコンビニがそうであるように、この店でも雑誌類は入り口のすぐ脇、ガラス張りの壁の真ん前に並べられていた。当然、立ち読みなどしていれば外からは丸見えになってしまうが、そのかわり中からも戸外の―例の子供たちの姿が何となく見て取れる。もっとも、いかにガラス張りの壁とはいえ、その前には雑誌の棚も並んでいることだし、店の正面からちょっと外れた場所に集まっている例の子供たち全員の様子を手に取るように観察するというのは難しい。
 だが。それでも。
「あの子たち…」
 そこから見える、ほんの一部の子供たち。その顔が―。

 笑っていた。

 それは、今まで見てきた「ガラス玉の義眼」などではない、年齢相応の屈託ない表情。
 いかにも嬉しげに目を細め、大切な宝物を守るかのようにより緊密に寄り添い合ったせいで、少々小さくなってしまったかにも見える子供たちの、輪。
 その中心―ここから見える数人の中でも一番幸せそうに、一番優しげな表情で笑って―いや、ほっと安心したような表情を浮かべている子供が何やら小さなものを抱きしめているらしいこと、そして多分それこそが、みんなにあんな顔をさせている原因そのものであろうことはわかるのだが、店の中からではその正体を見極めることなどできやしない。
 とっさに店の外に飛び出しそうになったジョーとジェットに、ヤスの厳しい声が飛んだ。
「二人ともやめろ! 今、出るんじゃねぇ!」
 はっと振り向いた二人に、ヤスは静かに首を振る。
「今は…やめてくれ。どうせ、すぐにわかるこったからよ。そう…ヤツがくれば、全てはわかるんだ。だから今だけは、店の中でおとなしくしててくれ…頼むよ」
 そう言って頭を下げたヤスの隣では、ともにレジに入っていたバイト学生までもが同じく、深々と頭を下げていた。
 すっかりあっけにとられてしまったジョーとジェットが、言葉もなく顔を見合わせた、その瞬間。
 突然、外の子供たちが一斉に立ち上がった。そしてそのまま、蜘蛛の子を散らすようにあたふたと駆け去っていく。またまたの思いがけない展開に、すっかり度肝を抜かれてしまった二人には、もう言葉もない。

 と、そのとき。
 店の自動ドアが開いた。

 「あ、今井さん! お疲れ様っス!」
 たちまち満面の笑みを浮かべ、あらためてぺこりと頭を下げたヤス。その弾んだ声に、すわ例の「ヤツ」のご登場かと色をなしたジョーとジェットの目の前、ヤスに負けないくらいにこやかな笑みを浮かべ、軽く手を振りさえして店に入ってきたのは―。
 制服制帽もぴしりと決まった、一人の警官だった。
「やー、参った参った。あの子たち、いつものことながら俺の姿を見ると脱兎のごとく逃げ去るからな〜。どうやらよっぽど嫌われちまったらしいや」
「そんな…。別に、今井さんが嫌いなわけじゃないと思いますよ、あいつら…。でもほら、その…お巡りさんのカッコ見るとさぁ…。俺も身に覚えがありますけど、ついつい『ヤベぇ!』って気がして、反射的に逃げちまうんですよね」
 ぼやきつつ店の買い物篭を手に取った警官に、ヤスが慰めるように話しかけた。制帽の陰から見えるその顔は、意外と若い。二十代後半か、でなければせいぜい三十代前半というところであろう。
「確かにな。…ったく因果な商売だぜ、制服警官ってのは」
「そんな…。今井さんの気持ちはこの店の…俺ら全員わかってますから。いつか、あいつらにもきっと届くはずっス。だからそんなに気を落とさないで下さいや」
 必死に語りかけるヤスの言葉に、警官の頬にも微笑が戻る。
「チーフにそう言っていただけるんなら心強いよ。ありがとうな」
「そんな、礼なんか言わないで下さい。俺はただ、本当のことを言っただけっスから。…ところで、例のアイツは…? ガキどもが逃げちまったんなら、もうこっちにやってきてもいいはずなんだけどな」
「ああ、『彼』ならいつもどおり、みんながちゃんと家に帰るかどうかあとを追けてったよ。とはいえどうせそこの交差点までだろうし、すぐにこっちにやってくるさ」
「そうスか。じゃ、その間に選んじゃって下さいよ。本日のお夜食」
「はは…全く、チーフにはかなわんな」
 頭をかいた警官が弁当やお握りのコーナーに向かって立ち去ったとみるや、ジョーとジェットはそっとレジに駆け寄った。
「ねぇヤス、僕たちに紹介したい人って、あの…お巡りさん?」
 だがヤスは、大きく首を横に振った。
「違う違う。今井さんも面白くて話せる人だけど、残念ながら俺がさっきから言ってるヤツじゃねぇ。…ま、そんな焦るなって。どーせ、もうすぐ…」
 言いかけた言葉が終わらないうちに、再び自動ドアが開いた。
 しかし…。
 はっとして振り向いても、そこには誰の姿もない。子供たちが逃げ去り、人っ子一人いなくなった路上から、冷たい深夜の風が吹き込んでくるだけ―。
 今度こそ外に出て確かめてみようと、ジョーとジェットが走り出しかけた、まさにそのとき。
「ちょっとお兄ちゃんたち! 危ないでちよ! ボクを踏み殺すつもりでちか!」
 いきなり足元から響いてきた可愛らしい声に、二人はたたらを踏んでその場に立ち止まる。そして恐る恐る声の方―自分のつま先あたりに視線を落とした途端、完全に目を点にして、そのまま硬直してしまったのであった。
 何故なら―。
 店先のマットの上にちんまりと座り、つぶらな黒い瞳でじっと二人を見上げていたのは…。
 白と茶色の毛皮にやたらと大きな三角形の耳、ふさふさとした尻尾がえらく立派な一匹のチビ犬だったからである。










「そ…それにしてもあのときの二人の顔…最高…うわ、ダメだ。思い出しただけで…腹が痛ぇぇぇ…っ!」
 ヤスの大笑いが店中にこだまする。レジの背後に展示してある商品を整理しているバイト―今夜のヤスの相方は、村田ではなく秋山という学生だった―の背中がかなり露骨に震えているのをみると、彼もまた笑いをかみ殺すのに必死になっているのだろう。その傍らにはいまだ呆然とした表情のまま立ちすくんでいるジョーとジェット。
 そんな中、ただ一人(一匹…?)苦虫を噛み潰したような仏頂面をしているのは、レジの中の丸椅子の上にちゃっかりお座りをしてこちらを見つめている先ほどのチビ犬に他ならなかった。
「…ったく、初対面だっていうのにいきなりボクを踏み殺そうとするわ、そのあともバカみたいに白目むいてるばかりで挨拶もしてくれないわ…ねぇ! それってかなり失礼じゃないでちか? もう! ヤスしゃんも、笑ってばっかりいないで何とか言ってちょうだいよっ!」
 小さな口の中、いっちょ前に上下二本ずつ生えている牙をむき出し、鼻にしわを寄せて不機嫌極まりない形相でうなっていたチビ犬の頭に、大きな温かい手がそっとおかれた。
「ま、そんなにカッカするな、パピ坊。何と言ってもお前はその…かなりユニークなワン公だからな、初めて会った人間は、多かれ少なかれ驚いちまうのさ」
「今井しゃん…?」
 いつのまにかまた、あの警官がレジへと戻ってきていた。
「お前をびっくりさせたことは、同じ人間として俺からも謝るよ。だからほら、機嫌直して…いつものとおり、みんなの様子がどうだったか教えてくれないか?」
「今井しゃんにそう言われちゃ…仕方ないでちね」
 穏やかになだめつつ、すかさず耳の付け根あたりをほりほりとかいてやるところなど、この今井という警官、かなり犬の扱いに慣れていると見える。現金なものでチビ犬はあっさり機嫌を直し、目を細めて今井の手のひらに頬をすり寄せ始めた。
「あんね、今夜もみんな、ちゃんとおうちに帰ったみたいでちよ。そこの交差点、全員左に…みんなのおうちのある住宅街の方に逃げてったでちからね。あそこの大通りを真っ直ぐ渡らなくちゃ繁華街には出られまちぇんし、このあと夜遊びするような子は多分いないと思いまち。ただ、ユウタくんのことがちょっと気にかかりまちね…ボクのことずうっと抱っこちて、離ちてくれなくて…背中にほっぺたすりつけて、ときどきくすん、くすんって鼻をすすり上げてたでち。もしかちたらまた学校で何かあったのかも…あと、マナちゃんの様子も少し…」
 何やらひそひそ話を始めた警官と犬を横目で見つつ、ヤスがそっとジョーの袖を引っ張った。
(あのさぁ…お前らがびっくらこくのも当然なんだけどよ、ここはやっぱヤツに挨拶の一つもしてやってくんねぇか? アイツ―パピって名前なんだが―礼儀作法にゃえらくうるせぇんだ。何てったって犬種がパピヨンだからよぉ…)
 ひそひそとささやくように話しかけられては、応える声も自然に小さくなる。
(パピヨン? ロングコートチワワじゃないのかい、あの子…)
(バッ、バカっ! そんなこと、口が裂けても言うんじゃねぇっ! パピヨンのプライドの高さと神経の繊細さときたら、他の犬種が束になってもかなわねぇって言われてるんだぜ。何てったって、あのマリー・アントワネットが可愛がってたっていうくらいの高貴なお犬様なんだからなっ!)
(だって別に、あのパピとかいうワン公がベルサイユで暮らしてたわけじゃねぇだろ?)
 ジェットの言葉は正しい。大体、マリー・アントワネットが生きていたのは二百年以上も前の話である。もしも彼女の愛犬が現代まで生きていたとしたら、それだけで立派な化け物だ。
(でも…あの子やっぱり、普通の犬じゃないよ。ねぇ、どうしてヤスたちはそんなに平然としてられるんだいっ!?)
(へ…? アイツ、どっかおかしなトコあるか?)
 きょとんとしたヤスに、ジョーとジェットの絶叫が見事なハーモニーで叩き返された。
(大ありじゃないかっ!)
 そしてそのあとは口々に。
(だってあの犬、人間の言葉喋ってやがるしっ!)
(そうだよっ! 足し算や引き算する犬とか、ピアノに合わせて歌う犬とかは見たことあるけど、あんなにぺらぺら日本語喋る犬なんて、どー考えても変だってばっ!)
 しかしヤスの方は、あくまでも平然として。
(…お前らなぁ、物事をそんなにいちいち難しく考えてたらノイローゼになるぞ。ジョー、昔から俺が言ってるだろう。「お前は何ごとも深く考えすぎる」って。ジェットだって、もう少し大らかで明るいヤツかと思ってたのによ、意外と根が暗いんだな)
 けろりとそう言われては、もはや返す言葉もない。こりゃだめだ、とばかりにため息をついて顔を見合わせた二人は、それでも胸の中でこっそりつぶやいたのであった。

(しかしヤスよ…。この問題ばかりは、普段まるっきし物考えない奴でも、相当深刻に考えると思うぞ…)
 


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