浜辺にて 2


 そのまま、二匹まとめて押し潰されかねないほどの巨大な影に、若犬がたちまち平伏する。
「も、申し訳ございません、ご老体。何しろ私には落ち着きというものがなく…ご心配をおかけ致しましたこと、深くお詫び申し上げます」
 すっかり恐縮して小さくなったその姿に、影はふぉっふぉっふぉっ…と楽しげな笑い声を上げた。
「何もわしに謝ることはないぞい。その落ち着きのなさ―いや、風の向くまま気の向くまま、何物にも囚われぬ自由闊達な気性こそが君の長所だということはよく知っておるでな。…ただ、年端も行かん娘たちにいらん心配をかけるような真似だけはあまりせんでくれよ」
 そして再び、枯れた笑い声が響く。が、次の瞬間。
「おや? そちらの犬(かた)は? 見かけん顔じゃな」
 若犬につられてこれまた深々と頭を下げたパピに気づいたのか、巨大な影はゆっくりと一歩、前に出た。そこでようやく、パピにもその正体がわかる。  二匹の目の前、穏やかな笑みを浮かべて立っていたのは、一匹の年老いたゴールデン・レトリバーだった。「年老いた」とはいえその体格はかなりのもの、縦横共に若犬の一.五倍―ということはパピの三倍―は優に超えるだろう。全身を覆う毛皮はすでにかなり白くなっていて「ゴールデン」というよりむしろ白銀、全身から立ち上る威厳も手伝って、まさしく神々しいまでの美しさ、そして気品である。
 とはいえやはりかなりの老犬、立っているのも結構辛いらしく。
「初めてお目にかかったというのに申し訳ないが、ちと座ってもよろしいかな。…何分足腰もおぼつかない老犬ですゆえ…こんなご無礼も全てこれまで重ねてきた歳月、すなわち年のせいと思し召してどうか許して下されや」
 言いつつぺたんと腰を下ろし、そのまま「伏せ」の姿勢になった老犬に、パピは慌てて走り寄る。
「いっ…いえ、どうぞお気遣いなく、…あの…『ご老体』? こちらこそ、突然お邪魔致しまして申し訳ありません。私にはお構いなく、何卒お楽になさって下さいますよう…」
 老犬の前にきっちりお座りをして頭を下げた後は犬族の作法に従って、その巨大な鼻に自分の鼻を近づけ、ふんふんと匂いを嗅ぎ合う。正式にはこの後尻尾のつけ根―肛門腺の匂いをも嗅ぎ合うべきなのだが、ぺったり地面に伏せてしまった老犬相手では省略した方がいいかもしれない。そんなパピの心遣いを察したのか、老犬がまたまた嬉しげな笑みを浮かべた。
「ほう…これはこれは。まだお若いのに老犬をいたわる術をご存知と見えるな。いや、このように物のわかった犬相手ならこちらも至極、有難い」
「そっ…! そんな! 私などまだまだ若輩者でございます。…とはいえ、あの…そう言っていただけるほど若いわけでも決してなく…」
 思いがけない褒め言葉にどぎまぎし、やっとの思いでそれだけ答えたパピ。しかし老犬はそんなパピをますます気に入ったふうである。
「いやいや、わしらに比べればまだまだ貴犬(あなた)はお若い、お若い。…のう君、このような犬と一体どこで知り合うたんじゃ?」
 不意に水を向けられ、ぱっと姿勢を正した若犬がはきはきと答える。
「はい、そこの岬の上のお家で知り合いました。何でも以前、そちらに半年ほどお世話になっていらしたとか。もっとも今は新しい飼い主と別のところにお住まいだそうですが…」
「おお、そうかそうか。…岬の上の、あの家にな。ならばようやくあそこの人々も心の傷が癒えて…また犬と一緒に暮らしてみたいという気になってくれたんじゃのう。ふぉっふぉっ…それはまことに重畳、重畳」
 若犬の答えに老犬はますます上機嫌になったようだ。しかしパピにはさっぱりわけがわからない。
(…「心の傷」? 「また犬と一緒に…」? 一体何の話だ? 「岬の上の家」といえばあのギルモア邸しかないはずだが…あの家の人々は、私の前にも犬を飼っていたことがあるのだろうか…?)
 ここは一つ詳しい話を訊いてみようと、パピがその小さな口を開きかけた瞬間。
「きゃぁ〜っvv タッキー、やっと見つけた〜♪」
「もう、どこ行ってたのよぉ! あたしたち、みんなで浜辺中探し回ってたんだからぁ!」
 甲高い歓声と共に、突如愛らしいヨークシャーテリアとアプリコットプードルの雌二匹連れが飛び込んできた。どうやらどちらも若犬よりさらに若い―というより幼い、ようやっと一歳になるならずといった年頃だろうか。ついでに言うとその毛並みといい顔立ちといいどちらもかなりの美犬だったが、何しろまだまだ成犬よりは仔犬に近いであろうやんちゃ娘どものこととて、きゃぴきゃぴきゃんきゃん喧しいことこの上ない。これが人間なら、一昔前に流行った「コギャル」あるいは「孫ギャル」といったところだろうか…。
 とはいえ、二匹の目的が明らかに例の若犬であることは一目瞭然で。…どうやらこの若犬、かなり雌犬たちに人気があるらしい。
「…ああもうっ! ミルクも紅子もいい加減にしろよっ! うう…確かに、いきなり消えちまったのは俺が悪かった。それはひたすら謝る! でもな、お前らもーちょっと静かにできねーのかよっ! お客様の前だぞっ!」
 ふむふむとどこか感心したように自分を見つめているパピの視線に照れたのか、若犬が慌てて雌犬二匹を叱りつけた。その口調がパピたちに対するそれとはがらりと違っているところも、まだまだ青いその素顔が垣間見えたようで微笑ましい。が…。
「え? 『お客様』? きゃぁぁぁぁっ、もしかしてこちらのパピヨンのおじ様!? うっわぁ〜、何だか滅茶苦茶セレブっぽくてインテリっぽくて素敵ね! 『シブい』っていうのぉ〜?」
「そんなことないよぉvv だってこちら、『おじ様』どころか『お兄様』って言ってもまだ充分通用しそうじゃん。『物静かな知性派』って感じぃ? ね、タッキーもカッコいいけど、おじ…いえいえお兄様も、超・超・超魅力的でしてよぉ♪」
「は!? い…いえいえいえいえっ、私などは…っ、あのっ! ご覧のとおりただのチビの中年犬に過ぎませんし、貴犬方のようなお若くお美しいお嬢様方のお相手などとてもとても…っ」
 わずか一瞬にして「コギャル」どもの標的にされてしまったパピのしどろもどろの絶叫を聞いた若犬が、鼻のあたりに不機嫌そうなしわを寄せる。
「へっえ〜。お前ら、ホントはそんな『おにーさま』が好みだったんだ。そんじゃいーよ。俺、これから浜辺へ出てってミントやベッキー、茶々様やメメと遊んでくるから」
 言うなりさっとパラソルの下から飛び出したものだから、残されたコギャル犬二匹の慌てぶりときたらそれはもう大変なもので。
「え、やだタッキー、待ってよぉ!」
「浜辺なら、私たちも行く! じゃーねっ、おにーさまっ!」
 入ってきたときよりさらに三割増以上と思われるけたたましさで、若犬の後を追っていってしまった。残されたのは、驚きのあまり後脚をぽてん、と前に放り出した「仔犬座り」で茫然としているパピだけ。
「大丈夫かな、お客犬(おきゃくじん)?」
 老犬がつと前脚を伸ばし、そんなパピのデカ耳のあたりをちょい、ちょい、とつっついた。それでようやく、パピも正気に戻る。
「あ…はぁ、何とか。それにしてもまぁ、元気なお嬢さんたちですねぇ…」
「いやいや、お恥ずかしい。図体ばかり一人前になりおって、まだまだ礼儀もようわきまえん仔犬ですじゃ。ご無礼、この年寄りに免じてどうか許してやって下されや」
「とんでもない! 若い犬々(かたがた)にはあれくらい元気がなくては…かく言う私も昔は随分と怖いもの知らずの無作法をしたものです。もっとも、残念ながら彼ほど女性に人気があったとは申せませんが」
 苦笑したパピに、老犬もまた半分困ったような微笑を返す。
「まぁ…彼はあのとおり姿もよいし、足も速ければ力も強い。あの自由気ままな性分も若い娘どもにとっては魅力的に思えるんでしょうて。そのくせ、あれで結構細やかな気遣いを見せることもありましての」
「ええ、わかります」
 たった今、雌犬たちに囲まれてうろたえてしまった自分を助けるため、わざと怒ったふうを装って浜辺へ走り出て行ってくれた若犬の姿を思い出しつつ、パピはうなづいた。
「じゃが…厳密に言えばあれは私どもの仲間ではない。言わば、わしらがここへ来たときだけ共に過ごす愛すべき友人、というところですじゃ。…気づいて、おられましたかな?」
「はい、薄々は…。私もまがりなりにも犬の端くれ、そういうことには結構敏感ですから」
 パピがそう言うと、今度は老犬が目を細めて大きくうなづく。
「いや、実に。我々犬族にとっては己れがいかなる群れ、ひいては世界に属するかというのは何より大切な問題ですからのう。じゃが、如何せん『恋に恋する』年頃の娘たちにはそんなことはどうでもいいらしい」
「でも、彼女たちのおかげで彼の名前がわかりましたよ。『タッキー』君とおっしゃるのですね。考えてみれば、どさくさに紛れて彼とはまだ正式な挨拶もしておりませんでした。…これでは、若い皆さん方を笑うことなどとてもできません」
 老犬の耳が、ぴくりと動く。
「いやいや、『タッキー』と言うのは仇名ですよ。何でも人間界にそういう名前のあいどる…? というか芸能人がいるそうですが、さっきここに来たプードル…紅子の飼い主がその大ファンでしてな。紅子がまだほんの仔犬の頃から、毎日その人間の話ばかり聞かせていたらしいですわ。おかげで紅子は犬だろうが人間だろうが、いい男はみな『タッキー』という名前だと信じ込んでおった時期がありまして…初めて彼がわしらに会うたその瞬間に仇名をつけてしまったんですわい。彼も最初は面食らっておりましたが、まだ小さかった紅子を咎めるのも可哀想だと思うたんでしょう、以来ずっと『タッキー』のままでとおしてくれとります。えと…確か、本名は…」
 老犬が目を閉じて考え込んだそのとき、背後でかさり…と小さな音がした。途端、ぱっと目を開けた老犬が振り返り、再びのそりと立ち上がる。
「おお…目が覚めたか。気分はどうじゃ? 暑うはないか? のどは渇いておらんか?」
 わずか一、二歩の移動さえ大儀そうに、しかしどこかうきうきと日陰の奥に引っ込んだ老犬の後をそっと追ってみれば、そこには老犬と同じ年頃のゴールデン・レトリバーがもう一匹―。白銀の毛皮の美しさ、神々しさは同じだがこちらはどうやら雌らしく、その上いっそう足腰が弱っているようだ。伏せどころか完全に横倒しになり、目を閉じて四肢を投げ出したその鼻先を優しく舐めていた老犬が静かに寄り添い、また伏せの姿勢に戻る。
「ご紹介が遅れてしまいましたな。これは私の愚妻です。…おっと、そういえば紹介どころか我々もまだ正式に名乗り合うてはおらなんだ。はは…貴犬のおっしゃるとおり、これではとてもとても、若い者どもを非難することなどできませんのう」
 照れたように笑いながらも、傍らの妻をちら、ちらと眺めやる老犬の眼差しが優しい。
「全くです。ではここであらためて…申し遅れましたが、私の名はパピと申します。今はあの岬の家に遊びに来ておりますが、住まいは東京都○○区でして…」
「おお、それなら我々の家にも近い。わしは××区に住んでおりますバジルと申します。こちらは妻のアニス…残念ながらわしよりも少々体にガタがきておりますもので、このような格好で失礼しております。…アニス、先程タッキー君が連れてきてくれたお客様じゃぞ。パピさんとおっしゃるそうじゃ…わかるかの?」
 老犬―バジル氏が耳元でささやいてもアニス夫犬(ふじん)は目を閉じたままだったが、いまだふさふさとした白銀の尻尾だけがわずかにぱた、ぱたと二、三度上下したのをみると、話自体はどうやらわかってくれているらしい。
「あの、よろしければ奥様にも是非ご挨拶申し上げたいのですが…お体に障りますでしょうか」
 少しばかり遠慮がちなパピの申し出に、バジル氏の顔がぱっと輝いた。
「おう、それは願ってもないことですじゃ。妻は白内障も患っておりまして視力はほとんどありませんが、鼻と耳はまだまだ達者ですからな。貴犬のことは充分わかると思いますぞい」
 その言葉にほっと安心し、パピは静かにアニス夫犬のそばに歩み寄って。
「奥様、初めまして。パピと申します。まだまだお二犬(おふたかた)には及びもつかぬ若輩者ですが、何卒お見知りおきを…」
 その耳元でできるだけそっと声をかけた後はまたまた犬族の小笠原流、鼻と鼻とでくんくんくんくん。今度もお尻の方は省略し、軽く一礼してパピが引き下がろうとした刹那。
 それまで閉じられたアニス夫犬の瞳がぱっちりと開いた。
「アニス…!」
「奥様…?」
 すでにほとんど視力を失っているというアニス夫犬の瞳が、真っ直ぐにパピを見つめた。白内障のおかげで瞳孔こそどんよりと白く濁っているものの、何とも言えぬ優しげな光をたたえた、穏やかな眼差しである。
「ご丁寧なご挨拶、畏れ入ります…パピ…さん? あの、初対面だというのに大変不躾では…ございますが…もしかして貴犬様は…パピヨンで…いらっしゃいますか?」
「は、はぁ…。いかにも私はパピヨンですが…」
 いきなりの質問にちょっぴり面食らったパピ。しかし、鼻先の匂いを嗅ぎ合っただけで相手の犬種を言い当てるとは、なるほどその嗅覚は若犬(わかもの)顔負けである。弱った足腰と白内障を除けば、アニス夫犬はまだまだ元気で健康なのかもしれない。
「まぁまぁ、それは嬉しいこと…。私ね…パピヨンの皆様が大好きですの。次に生まれてくるときは、是非…パピヨンに生まれてきたいくらいですわ」
「それはそれは…。身に余るお褒めのお言葉をいただき、全パピヨンを代表致しまして御礼申し上げます。しかし、どうしてそんなにパピヨンを?」
 尋ねた途端、老雌犬の目の縁や耳の先がぽっと赤くなった。その様子はさながら乙女のように愛らしい。やがて、その口元にかすかな微笑を浮かべたアニス夫犬は。
「実はね…私の初恋のお相手が…パピヨンでしたの」
 これはまずいことを訊いたか、とパピは身をすくめた。よりにもよってバジル氏の前で夫犬の初恋の話など…。だがバジル氏はにこにこと目を細めながら、黙って妻とパピとの話に耳を傾けているばかりである。
「あれは私がまだほんの仔犬で…ようやく家の外…散歩にも連れて行ってもらえるようになったばかりの頃でした。それはもう、嬉しくて嬉しくて…特に同じ犬仲間の皆さんに会えたときにはご挨拶も何も抜きで喜んで飛びついて…皆さん、さぞ閉口してらしたでしょうけれど…何も知らない仔犬だからと我慢して下さっていたのでしょう。ですがある日、同じゴールデン・レトリバーの…御町内一の長老、それも御年のせいでかなり気難しくなっていらしたお爺ちゃん犬に飛びついてしまったんですの…。ええ、それはもうものすごい剣幕で怒られ、吼えられましたわ。一緒にいた犬々はもちろん、人間たちにだって止められたものじゃなく…そんなにひどく叱られたことなどない私は、ただただ縮こまってべそをかきながらぷるぷる震えているばかりでした。すると突然、一匹の雄犬が私と長老の間に入ってきて、私をかばって下さったのです。その犬が、貴犬と同じパピヨンでした…」
「ああ…そうだったんですか」
 言いつつ、パピはアニス夫犬の鼻をぺろん、と舐めた。確かに、まだ幼い仔犬どもの「遊んで〜vv」攻撃は始末に負えない。パピ自身も毎日の散歩の途中、仔犬に会うたび逃げ回っているクチである。しかしいきなりそこまでこっぴどく叱られたとは気の毒に、夫犬もさぞ怖かったことだろう。
「その犬は辛抱強く長老をなだめ、そのお怒りを鎮めて下さいました。そして涙をぽろぽろこぼしている私の頬をぺろん、と舐めて―今、貴犬がして下さったようにね―『これからは、きちんとご挨拶をしてから遊んでもらうんだよ』って…。それ以後も、散歩でお目にかかるたび、私はその犬に犬社会の様々な礼儀作法を教えていただきました。お歳は…そうね、当時三歳くらいでいらしたでしょうか…それはもう、様子のいい殿方でしたのよ…トライカラーの毛並みとふさふさとした尻尾、耳の飾り毛が本当に美しくて…気がつけば、私はその犬にすっかり恋焦がれておりました」
「パピさんも、トライカラーじゃよ…。それに、尻尾も耳の飾り毛も大層立派なパピヨンでいらっしゃる」
「本当ですか? 嬉しいこと」
 そっと耳打ちしたバジル氏の言葉に、アニス夫犬が幸福そうに目を細める。一方のパピは立派だの何だの言われて照れまくるやら、二匹の様子にあてられるやら、少々身の置き所がなくなっていたのだが。
「けれど所詮はパピヨンとゴールデン・レトリバー…それから一年もしないうちに私…縦横共にあの犬の三倍近くになってしまいましたの。いくらあの犬でもこんな大きな雌相手ではさぞお困りになるだろうと…結局は諦めるしかございませんでした。ふふ…今はもうこんなお婆ちゃん犬の思い出語りですけれどね…あのときは随分、泣きましたのよ…」
「…で、そのとばっちりを食ったのがわしというわけじゃな。いやパピさん、私どもの家は元々隣同士でしての、その縁でまぁ…アニスともこうなったわけですが。何しろ仔犬の頃からのつき合いですじゃろう。そりゃもう、何かというとそのパピヨンの君と比べられ、やれ礼儀知らずだの悪戯坊主だのガサツだのと、随分怒られたり吼えられたりしたものですわい」
 バジル氏は相変わらずにこにこと屈託がない。だが、そんなふうに言われたパピヨンとしては一体どーすりゃいいというのだ。…が、言葉に詰まるパピを尻目に、アニス夫犬が今度はバジル氏の方に顔を向けて。
「あら、そんなこともありましたかしら…。こんな年になっては、何もかもみんな忘れてしまったわ…。今…覚えているのは貴犬があの犬に負けないくらい素敵な殿方だということだけですよ…」
「おお…それは光栄じゃな…。何よりの褒め言葉、ありがとうよ、アニス…」
 何だかんだ言っても結局はいまだ熱愛中(現代風に言えばラブラブってか?)の老犬夫婦に挟まれ、ついには完全なお邪魔虫と化してしまったパピ。できることならさっさと退散してしまいたいものだが、ここでいきなり辞去の挨拶なんぞしたひにゃ二匹の上機嫌に水を差すこと間違いなし…とたった一匹で悶々としていたところへ。
「たびたび失礼します、ご老体。…ああ、まだいて下さったんだ! よかった!」
 思いがけなく救いの神―タッキーが戻ってきてくれた! …のはよかったが。
「ねぇ、よろしければ少しは浜辺にも出てみましょうよ。ちょうどそろそろお昼時、付き添いの人間たちは交代で食事に行ってしまったから人数も少なくなっています。今なら貴犬がみんなに交じって遊んでいても、見咎められる心配はほとんどありませんよ!」
 限りない好意と気遣いに満ちたその言葉を聞いた瞬間、パピは飛び上がった。
「えええええっ!! お昼時!? きゃいいいいぃ…ん! 何てこった!」

 …そう。バジル氏夫妻とのお喋りにすっかり夢中になっていたパピ、ギルモア邸に戻らなければならないタイム・リミットをものの見事にけろりと忘れてしまっていたのである。
 


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