真夜中の足音 2


 怨霊の正体は、十中八九この母娘と猫であろうと思われた。

 だが。

 懸念していたとおり、この事実は依頼者一家にとってかなり不愉快だったらしい。特に赤ん坊の祖父である会長の衝撃は大きく、先祖の中でもとりわけ深く敬ってきた「中興の祖」がこんな没義道な人物だったなどとは絶対に信じられない―と、一時は激怒していたという。
 しかし、念のためにと蔵の中を調べてみれば、何とそれらしい古文書がいくつか発見されたではないか。もちろん、追い出した側のものとてさほど詳細な記録ではなかったが、少なくとも八代前の当主が最初の妻と離縁したこと、そのとき九歳になる娘も一緒に出て行ったこと、二度目に迎えた妻の産んだ男の子が一歳になる前に死んでいること等々ははっきりと書き記されていた。
 と、なれば―。
 余人はおろか家族すらも全く知らなかったこれらの事実を見事に看破した聖の「能力」を信用しないわけにはいくまい。大体、もしもこの件から彼女が手を引いてしまったら、他の誰を頼ればいいというのか。

 そればかりではない。

 怨霊による赤ん坊への攻撃―霊障はすでに始まっていると、聖はきっぱり断言したのである。
 先の霊査の後、聖は初めて依頼者家族全員と顔を合わせた。その際赤ん坊の健康状態や普段の様子についても詳しく話を聞いたわけだが、丸々と太ってよく笑う、元気そのもののその子を見る限り、今のところはさしたる問題もなさそうだった。家族も皆同じ思いなのだろう。祟りへの恐怖こそ本物かつ深刻ではあるものの、彼らの周囲にはどこかのんびりとした和やかな雰囲気が漂っていた。
 そんな中、赤ん坊の母親がふともらした「夜泣きと発熱」という言葉。
 生後一か月を過ぎた頃からだろうか。寝かしつけるときには機嫌よくすぐに眠ってしまうのに、一時間ほどたつと突然激しく泣き出すというのだ。大抵の場合は午前二時前後には治まるが、ひどいときには明け方近くまで泣き止まない。しかも翌朝には決まって高い熱を出す。もっとも昼前には平熱に戻るし、赤ん坊にはよくあることと思っていたのだが、最近それがかなり頻繁になってきたのが心配だと―。
 母親としては、霊能者というより医者としての聖に相談したつもりだったのだろう。だが、それを聞いた途端聖の表情が変わった。慌てて赤ん坊の「気」を調べてみれば、案の定かなり乱れて弱っている。どんなにひどいとはいえ、通常の夜泣きでこれほど「気」が消耗するなどありえない。…となれば、考えられる原因は一つしかなかった。

 家族にとっては先の因縁話以上の衝撃だったことだろう。
 赤ん坊に祟りが及ばないうちに―ただそれだけを祈って東奔西走し、ようやく藤蔭聖という霊能力者を探し当てて。もうこれで大丈夫、間に合った―と家族全員が胸をなでおろしたその喜びと安堵が完全な勘違いだったというのだから。
 もう何が気に入るの入らないのとごねている暇はない。たといどんなに不愉快で腹立たしい事実であっても全てを受け入れ、聖の力に賭けるよりほか、彼らにはどうすることもできなかった。

 かくて依頼者から正式に除霊を依頼された聖だが、その際一つの条件を出した。曰く「自分が行うのは怨霊の抹殺ではなく、浄化である。彼女たちとて長年の恨みや憎しみから解放されればこの家の祖霊に戻るわけだから、その後は他の先祖同様ねんごろに心を込めて供養してほしい」と。
 いくら自分たちの方に非があったとはいえ、これまで何人もの赤ん坊、実の兄や息子をさえ取り殺されてきた家族にとってはあの過去の因縁以上に不本意な話に違いない。
 だが、藤蔭の「能力者」としてこれだけは絶対に譲れなかった。他の霊能力者や悪霊祓い師(エクソシスト)ならいざ知らず、藤蔭一族にとってはどんな悪霊、怨霊であろうとも最初から粉砕、殲滅のみを目的として対峙することはきついご法度なのである。

 山川草木悉皆成仏―どのような霊であれ、もとは我々と同じ「命」であったもの。そしてまた、神仏となりうるもの―。

 だからこそ、藤蔭家の能力者たちは、霊そのものではなくその恨み、怒りの念を消滅させ、浄化することを第一に考える。粉砕消去という非常手段が許されるのは、自分あるいは第三者の命が絶体絶命の危機にさらされたときだけだ。
 加えて今回は個人的な思い入れもある。父の浮気の結果生まれた「外の子」という生い立ちを持つ聖にとって、この母娘の話はとても他人事とは思えなかった。
 夫に捨てられ、たった一人必死に娘を育てようとしたあの母親が、自分の実母に重なる。
 父に見放され、最後の最後にひとかけらの愛情ばかりか同情すらも与えてもらえなかった幼い娘がまるで自分自身のように思える。
 そんな彼女たち、そして最後まで二人に寄り添い続けた猫の魂を恨みや憎しみから解き放ち、成仏させてやれずして、一体何のための「能力者」か。
 知らず知らずのうちに、聖はこの一件にかなり深くのめりこんでいた。
 もちろんこれが生半可な仕事ではないことも充分承知している。過去八代といえば歳月に換算しておよそ二〇〇年から二五〇年。そんなにも長い時間を経た怨霊、凝り固まった怨憎に対し、高々四〇年そこそこしか生きていない自分の「能力」がどこまで通用するのか、さすがの聖にも自信がなかった。

 それでも、救わなければならない。

 いや、救いたい。

 だから、今夜。

 いざとなったら自分の命と引き換えにする覚悟で、聖は件の家へと赴いた。



 しかし―。



 若夫婦と赤ん坊の寝室で、聖はじっと「来るべき者」を待ち受けていた。
 家族は皆別室で待機しており、今一緒にいるのはベビーベッドですやすやと眠る赤ん坊のみ。もちろんその周囲には厳重な防御の結界を張り巡らしてある。最後にもう一度、手落ちのないことを念入りに確かめれば、あとは一気に幽体離脱するだけ。除霊や浄霊の方法は霊能者によってさまざまだが、聖はよほどのことがない限り肉体と霊体とを分離してことに臨む。霊体というのは元々不定形なエネルギー体である分、肉体に比べてはるかに自由も融通も利く。収縮拡散などは思いのままだし、ほんのわずかな時間なら複数に分裂することも不可能ではない。もちろんそれは相手の霊も同じこと、ならばこちらも同じ条件で対峙しなければ何かと不利になる―それが、聖の持論であった。
 人の形を捨て、ゆらゆらと天井近くに漂いながらなおも待ち続けるうちに、やがて感じたかすかな気配。遠い幽冥の彼方からひたひたとこちらに近づいてくる何者かの存在を察知してこちらが身構えたのとほぼ同時に。

 音もなく、空間から湧き出るかのように姿を現した「それ」を見た瞬間。

「ひ…あああぁぁぁーっ!!」

 何と、藤蔭聖とあろう者が衝撃と恐怖のあまり絶叫してしまったのである。



 怨霊は、思いもつかぬ最悪の形に変貌していた。
 獣の顔に崩れかけた丸髷、ほつれる髪の間から飛び出した三角形の耳。身にまとった粗末な着物の袖口や裾からのぞく毛むくじゃらの手足には、鋭い鉤爪が不気味に長く伸びている。しかしその獣の顔に光る二つの目はまぎれもなく人間のものだった。切れ長で黒目がちな大人の女の目と、つぶらで青みがかった幼い子供の目。しかも額にはもう一つ、金色の虹彩と糸より細い瞳孔を持つ猫の目が爛々と輝いているではないか。毛皮に覆われ鉤爪で武装したその手足だって、よくよく見れば猫ではなく、明らかに人間の形をしていて。
 おそらく母娘と猫の魂は、何百年の時を経る間に完全に融合してしまったのだろう。生前の記憶も、命あるものなら必ず持っているはずの情も本能さえも忘れ果て、互いの憎悪だけに惹かれ合い、溶け合って―。
 今の彼女たちには人の言葉はおろか、感情や情念すらも通用しないだろう。これでは手の内を完全に封じられたも同然である。
 事実、聖の試みはことごとく無駄に終わった。肉体を持たぬ、あるいは離れた霊体同士のこととて音声による意思疎通が不可能なのはわかっていたが、思念による呼びかけにさえ全く反応がない。言葉や感情や祈り、果てはその生前の記憶を呼び起こすイメージまで、どのような念を送っても怨霊は眼差し一つ動かすことはなかった。
 それならばと相手の「気」を捉え、半ば強引に同調しようとしてもつけ入る隙などどこにもない。融合することでより頑なになった怨念は、外部からのあらゆる接触を完全に拒絶していた。
 だが、そのとき初めて怨霊は、自分以外の霊体がこの場に存在していることに気づいたらしい。母と娘と猫―三つの目がじろりと聖の方を向き、不審と悪意をあからさまにしてぎらりと光った。
 今や怨憎の塊と化した彼女らが他者に対して友好的な感情など持つわけがない。その鉤爪が大きく振り上げられたかと思うや、次の瞬間には凄まじい咆哮とともに聖に叩きつけられる。紙一重の差で避けたものの、こうなったら聖の方も力ずくで対抗するしかない。
 二つの霊体がせめぎ合い、ぶつかり合うたびに青白い火花が散る。命ある存在には物音一つ聞こえぬ静寂な部屋の中で繰り広げられる死闘は時間とともに激しさを増していった。
 とは、言うものの―。
 敵意と怒りをむき出しにして相手の殲滅を狙う怨霊に対し、できることなら傷つけたくない、救いたいと願う聖が優位に立てるはずがない。いつしかその霊体はあちこちを鋭い爪と牙に切り裂かれ、抉られ、喰いちぎられ―形勢は徐々にではあるが確実に悪化していくばかりだった。
 そんな相手を恐るるに足らずと判断したのか、怨霊の鉤爪が渾身の力を込めて横殴りに邪魔者を払いのけた。この強烈な一撃に、さしもの聖の意識も一瞬、遠くなる。
 その隙を突いて、怨霊はついに本来の標的―赤ん坊が眠るベビーベッドへとたどり着いた。あの鉤爪が、今度は赤ん坊めがけて一気に振り下ろされる。
 途端、青白い火花が散った。
 前もって張り巡らしておいた結界が獣の爪を弾き飛ばしたのだ。怨霊の三つ目が大きく見開かれる。気を取り直して二度、三度…いくら繰り返しても結果は変わらない。これまで好き放題に責め嬲り、おもちゃにしてきた獲物に指一本届かぬもどかしさに再び怨霊は吼えた。そして今度はベビーベッドにのしかかり、鋭い牙を光らせて思い切り獲物にかぶりつく。そしてまた激しく飛び散る火花。
 ついに怨霊の怒りは頂点に達した。もはやなりふり構わず全身でベビーベッドにむしゃぶりつき、四肢の鉤爪と牙全てで力の限り引っかき、抉り、かじりつく。結界から飛び散る火花が、室内を青白い闇に染める。
 そのときになってようやく、聖の意識が戻った。しかしこの状況を悟った刹那、さしもの霊能力者の全身に戦慄が走る。
(いけない…! このままでは結界が…破られる!)
 残る力の全てをふりしぼって、聖は怨霊に体当たりを喰らわせた。思いがけない不意打ちに、さすがの怨霊も跳ね飛ばされたところへ入れ替わるように覆いかぶさり、自分自身の霊体を盾として赤ん坊をかばう。
 怨霊の反撃にも容赦はなかった。またしても割り込んできた邪魔者を何としてでも排除すべく、鋭い鉤爪と牙が手当たり次第に聖の霊体を引き裂き、そして喰いちぎっていく。肉体に比べてかなりの破損にも耐えうる霊体といえども、このままでは長くはもたない。しかし聖は懸命に踏みとどまり、赤ん坊を守るとともになおも怨霊に向かってさまざまな思念を送り続けていた。
 だが―。
 一際激しい鉤爪の一撃が、霊体を刺し貫くほどの深さまで食い込んだ。かすかなうめき声を上げつつ、それでも聖は動かない。
(まだだ…。まだこの爪は…私を…貫通してはいない…ッ!)
 鉤爪にぐっと力が加わり、少しずつ自分に侵入していくのがわかる。多分、この爪が自分を貫いた瞬間こそが決断の時となるだろう。先程の攻撃でかなり不安定になっている結界は、もう赤ん坊を守る役には立つまい。
 だけど…。だけど、今はまだ…。
 最後の最後まで希望は捨てまいと、半ば祈りにも似た想いを送り続けていた聖の意識に。

(恨めしや、お前様…)
(父様、憎や…)
(何故、助けてくれなんだ)
(何故、見捨てた)
(娘を)
(母様を)
(嬢様を、お内儀様を)
(何故―!!)

(跡取り、憎や…)
(男の子が、憎や…)
(女だからと嬢様捨てた、その心変わりが…恨めしやぁぁぁっ!!)

 喘ぐような、搾り出すような「声」が確かに届いた―。

 自らを抉られる苦痛と決断を迫られる緊張の中、聖はついに怨霊の心―想いを探り当てたのだ。
(あ…あ!)
 だがその歓喜も一瞬のこと。それとほぼ時を同じくして、鋭い鉤爪が聖の霊体を完全に貫いた。
 獣の爪が、霊体を通して結界を破る。ただならぬ気配に赤子が目を覚ます。
 今の今まで安らかにまどろんでいた天使の表情が一瞬にして不安げな泣き顔に変わり、聖の命もまた、生死の境界線上で大きく「死」に向かって傾いた。
(だ…め…。私はともかく、この赤ん坊だけは…死なせるわけには…いかな…いィィィィーッ!!)
 朦朧とした意識がふと、そんなことを考えたとき。
「怨霊、調伏!」
 裂帛の気合が空気を切り裂き、聖の霊体がさながら青白い太陽のごとき凄絶な光を放った―。



 それからあとのことは激しい消耗も手伝って切れ切れにしか覚えていない。
 気がつけば元通りの人間の姿で、息も絶え絶えに寝室の床に倒れていた。
 いつの間にか部屋に勢揃いしていた家族全員が、やっとの思いで上半身のみを起こした霊能者の周囲に座り込み、頭を床にすりつけて感謝の言葉を述べ、嬉し涙に頬を濡らしながら代わる代わる赤ん坊を抱きしめている。
 それは、成功と勝利の証。
 霊能者藤蔭聖は、八代にわたってこの家に祟り続けた怨霊を見事除霊し、長年の哀しみと苦しみから家族を解放したのであった。

 でも。

 そのかわり。

 あの怨霊―幸薄い母と娘、そして忠実な猫の魂は完全に消滅した。最後の瞬間届いたあの「声」を最後に、その存在は聖の放った光で跡形も残さず灼き尽くされてしまったのだ。

 寝室に集まった家族たちは皆喜び、笑っている。
 誰もが、怨霊については何一つ訊ねてこようともしない。
 かろうじてこの家の若嫁―赤ん坊の母親―だけが「あの…それで今後のご供養の方は…」と訊いてきたが、力なく首を横に振った聖が「…もう、必要ありません。怨霊は完全に消滅しましたから」と答えた途端、その顔はほっとしたような…屈託ない微笑に変わった。

 母親としては至極当然の安堵の笑みに、何故か笑い返してやることができなかった。他の家族たちが交わす喜びに満ちた言葉が、どこか遠い異国の言葉のように聞こえた。しまいには赤ん坊を囲んで笑いさざめくこの家の家族たちに、言い知れぬ怒りと嫌悪感をさえ…覚えたような気がして。
 聖はそのまま、逃げるように依頼者の家をあとにした。

 彼らが悪いわけでは決してない。
 何の罪もないのに怨霊に祟られ、いつ取り殺されるかわからない小さな命が助かったのだ。母ならば、父ならば。そして祖父、祖母ならば喜んで当然、至極自然な「家族」としての感情。

 だけど。

「だけど、それでも私は…」

 広大な敷地を守る豪奢な門から一歩出たと同時に。

(私は、あの母娘と猫の魂も救ってやりたかったんだぁぁぁァァー…ッ)

 心の奥底でそう絶叫した聖は、深夜の住宅街から駅前の大通りへ向かう道すがら、たった一人で…少し、泣いた。





 手の甲にぽたりと落ちた滴の感触に目を覚ます。
 どうやら、少しまどろんでいたらしい。気がつけば傍らのウォツカの瓶も、すでに半分以上が空になっていた。相変わらず酔った気はしないが、今の自分は立派な泥酔状態なのだろう。
(まぁ、いい。今夜ばかりはどうせ―誰も、困る者などいないのだから)
 口元だけで苦笑したとき、頬に一筋の涙の跡があるのに気がついた。…ああ、そうか。今、手の甲に落ちたあの滴―か。
 藤蔭の掟を破ったわけではない。あのとき一瞬でも躊躇していたら、今頃は自分ばかりか赤ん坊も間違いなく死んでいた。霊能者にとっては依頼者の―生者の命を守るのが第一の務め。聖の判断と行動は誰が見ても正しいものだったはずだ。
 …問題は、聖自身の気持ちだけ。
 あの三つの魂を救えなかった―そればかりか成仏も輪廻も叶わぬ永劫の破滅をもたらした後悔と慙愧の想いだけ。
 命を失った死霊に最後まで残っていた魂を葬り去った痛みは、もしかしたら人を殺した罪悪感よりも重く、深いものなのかもしれない。
(もう…彼女たちはどこにもいない。温和で従順で働き者だった母親も、素直でおとなしくて生き物の命をいとおしむ優しい娘も、人懐こくて愛嬌たっぷりだった三毛猫も、みんな私が…この手で…この、手で!)
 唇をかみながら、ふと祖母と姉のことを思い出す。
(お祖母ちゃんもお姉ちゃんも…みんな、こんな想いをしていたのだろうか…)
 だとしたら、霊能者とは何と業の深い存在であることか。再び目の縁ににじんだ涙をこらえ、聖がぎゅっと目をつむったとき。

 かたん…。

 不意に聞こえてきた小さな物音。部屋の中からではない。外からだ。
 はっとして耳をすませばもう一度、同じ音が聞こえてくる。階段を―上がってくる音?

 こんな時刻に母が二階に上がってくるわけがない。大体、母も飼い犬も今頃はぐっすり眠っているはずではないか。かすかに眉をひそめた聖の脳裏に、幼い頃聞いた外国の怪談話がよみがえった。
 真夜中ゆっくりと家の階段を上がってきて、人知れず子供を連れ去っていく魔物の話。その足音は妙にゆっくりと、そしてはっきり聞こえてくるという―。
(まさか…?)
 そんなことは、あるはずがない。だがこの世には「万が一」ということも起こりうる。
(もしかして、彼女たちが―?)
 最後の瞬間、灼き尽くされたはずの「怨霊」。でももし、その一部でも残っていて、そのまま自分に憑いてきたとしたら?
 不気味な想像にも関わらず、聖の表情がぱっと明るくなった。
(貴女たちなら私は逃げない。怒りでも恨みでも憎しみでも、何でも受け止めてみせるわ。そして…そして、今度こそ―)
 知らず、口元に浮かぶ慈母観音の微笑。

(今度こそ、貴女たちに救いと安らぎを…!)



 かたん…かたん…。

 ゆっくりと規則正しく、確実に近づいてくる真夜中の足音。
 その主が階段を上りきる瞬間を、聖はもどかしいほどの想いでただひたすら待ち続けていた。
 


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