まあじゃんほうかいき 2


 一方、早速屋根に上った松井警視は、ジョーやピュンマと一緒に喜々として補強作業に取りかかる。あまりに生き生きとしたその姿と玄人顔負けの手際のよさは、ついついピュンマがジョーに向かってこっそりこう耳打ちをしたほどであった。
(ね、ジョー…。松井さんって、もしかして職業…間違えたんじゃないかな?)
(僕も…そう思う…)
 だが、すっかりあっけに取られた二人がついつい顔を見合わせた、まさにそのとき。
 一陣の突風が三人に襲いかかり、それと同時に「めき…」という不吉な音がかすかに聞こえたような気がした。
「!」
 反射的に屋根にしがみついた松井警視が、はっとしてその音の方向を振り向く。刹那、目の前に出現した黒い影。人間の体と何か固い物がぶつかったときの―鈍い音。
「島村の…ボーヤ…」
 気がつけば、瞬時のうちにその目の前に立ちふさがったジョーが、五十センチ四方はあろうかという巨大な金属板を受け止め、全身で松井警視をかばっていた。
「お、おいっ! 大丈夫かっ!」
 慌てて声をかければ、振り向いた端整な童顔がにっこりと微笑む。
「平気ですよ、これくらい。それより松井さんこそ、大丈夫でしたか?」
 おそらくとっさに加速装置を使い、吹き飛ばされてきた金属板を受け止めたのであろう。あらためて、この家の住人たちの超人的能力をしみじみと納得した松井警視であった。
 だが、それはともかく。
 ジョーが抱えている金属板…どーも、どこかで見たような…もしかして、今まで自分たちが必死になって補強していたこの屋根の…太陽光発電パネルじゃないか? しかも、その端から同じような材質のケーブルの切れっ端が垂れ下がっているということは…。
「う…わあああぁぁぁっ!!」
 一瞬遅れて響いたジョーとピュンマの悲鳴に、松井警視は己れの予想が当たっていたことを悟り、沈痛な面持ちで瞑目したのであった。

 ちょうどその頃。研究室に駆けつけた石原医師もまた、先に到着していた面々と挨拶をする間ももどかしく、すぐさま作業を開始していた。
「…じゃ、取り合えず古いデータからチェックを入れるということで? 先輩」
「そう。一応これが最新データのファイルよ。こっちと照らし合わせてみた上で、不要と思われるデータが見つかったらその整理NO.脇のダイアログボックスにチェックを入れておいてくれる? 貴方の担当は005と006。よろしくね」
「わかりました」
 藤蔭医師からずしりと重いバインダーファイルを手渡された石原医師は大きくうなづいて、メインコンピューターに接続されたいくつかのPCのうち一つの前に陣取る。元々ギルモア博士とイワンの二人だけで使っていたこのコンピューターには、ディスク内のデータを直接追加・削除できる正規端末は二つしかない。そして、メンバーたちのデータはそれぞれ別個のフォルダに収められている。つまり、九人分のフォルダのうち、一度にアクセスして整理できるのは二人分が限度ということだ。
ただし、フォルダ内のファイルを読み出してその内容には関係のない簡単な情報を追加するだけなら、メンバーたち個人のPCを借りてきて接続し、簡単なプログラムを打ち込んでやれば可能である。そこで今回は作業時間を少しでも短縮するため、正規端末で不要データの削除を行いつつ、アクセスしていない残り七人分のフォルダを読み出し、削除可能なファイルやデータをピックアップする作業も平行して行う手はずになっていたのだった。周囲では、藤蔭医師や周たちもそれぞれのPCの前、目を皿のようにしてディスプレイを見つめている。
「ギルモアー! ディスクのクリーンアップとデフラグ、終ったよー」
 コンピューターと一体化している正規端末の一つを占領し、何やら作業していたクロウディアの声が響く。彼女もまた、このチームの立派なアシスタントである。
「おお、ご苦労じゃったな、クロウディア」
「だけどさー、空き容量がたったの76ギガしか増えないの。…ん、もう! これっぽっちじゃ何の役にも立たないよぉ」
 ぷっと頬を膨らませた少女の銀髪を、ギルモア博士がなだめるようになでる。
「まあまあ、そうふくれるものじゃない。76ギガといったらかなりのモンじゃぞ」
「だって最近じゃフツーのご家庭用PCにだって80とか100ギガクラスが珍しくないじゃん。そんなのとここのコンピューターじゃ、規模がまるで違うんだよ?」
 可愛らしい唇を尖らせてなおも反論するクロウディアに、周の鋭い声が飛ぶ。
「クロウディア! いつまでもぷりぷりしてないで、次の作業にかかりなさい。貴女の受持ちは002よ。ほら、さっさとこっち来て!」
「はぁ〜い」
 さすがのクロウディアも、周には素直である。すぐさまその隣のPCに場所を移し、言いつけどおり作業を開始したその姿に、ギルモア博士とコズミ博士の口元が優しくほころんだ。もちろん二人とも、作業は続行中である。
 そう。この瞬間、メインコンピューター内のデータファイルは、更新及び読み出し目的にかかわらず、全てオープンになっていたのだった。
 
 そこへ突然、照明からコンピューターディスプレイに至るまで、全ての明かりが消えてしまったのだからたまらない。

「うわ…何だ!?」
「やだ、停電?」
「ちょっと! データどーなっちゃうのよっ」
 いかに冷静かつ豪胆な科学者連中といえども何の前触れもなく、それもコンピューター使用中に真っ暗闇の中に叩き込まれては、慌てるなという方が無理である。部屋のあちこちで、抑えた、しかしかなり狼狽した叫びが上がった。
「聖! クロウディア! とにかく灯り、灯り!」
 周にしては珍しい、幾分悲鳴めいた叫び。と、数瞬遅れて部屋の二箇所がほんのりと明るくなった。そして、さらに十秒ほど後にはもう一箇所。
 周とクロウディア、そして藤蔭医師の手―さながら繊細なシャボン玉か何かをそうっと支えるような形で向き合せた女たちの指の間に、まぎれもない光のシャボン玉がふんわりと浮かび上がっていた。おそらく、周とクロウディアがサイコキネシスで手の中の空気分子を高速振動させ、発光させたのであろう。藤蔭医師のそれは少々別モノなのかもしれないが、理論的には同じようなものに違いない。
 ともあれ、仄かにでも何でも再び明るさを取り戻したおかげで室内のパニックは完全に治まった。それを見届けるやいなや、
「きっと、外で何かあったんだわ! あたし、ちょっと見てくる!」
 と飛び出して行ったのはクロウディア。三つの光のうち一つがいなくなり、慌てた周と藤蔭医師が、とっさに自分たちの光をほんの少し拡大させた。

 そんなことにはお構いなしに、銀髪の少女は階段を駆け上がり、全速力で家の外に飛び出す。刹那、屋根の上から聞こえてきたジョーとピュンマの悲鳴。
「ジョー! ピュンマ!」
 立てかけられていた梯子には当然気づいていたが、そんなものを使う時間すら惜しい。小さくて華奢な体が、一気に空中へと浮かび上がった。
「大丈夫!? 一体、何があったのよ!」
「お…おわああぁぁぁっ!」
 突然現れた銀髪の美少女に、松井警視が再度腰を抜かす。だが、ジョーとピュンマはそんなことなど意に介する様子もなく―。
「クロウディア! 大変なんだ! 今、不意にとんでもない突風が吹いて…」
「屋根の太陽光発電パネルが一枚吹き飛ばされて、送電ケーブルを引きちぎっちゃったんだよ!」
「何ですってえええぇぇっ!?」
 クロウディアもよほど驚いたのであろう。屋根の上にふんわり降り立つどころか、かなり派手な音を立てて、お尻からもろに着地する。だが、そんなことを気にする余裕のある者など―当のクロウディアも含めて―いるわけがない。
「研究室は大丈夫? 今…みんな、コンピューター使ってたんだろ!?」
「も、みんな揃ってパニック状態よ! だっていきなり停電しちゃうんだもの。マジ、貴方たちのデータもどうなったか保証できないわ!」
「でも、万が一の時には緊急用の予備発電に切り替わるはずだし…そうだ、コンピューターにだって非常用データプロテクトが設定されてるじゃないか!」
「予備発電はともかく、データプロテクトはオフにしてあったのよぉ…。ほら、今回は端末の数が足りなくて、みんなから借りたPCを臨時につなげたでしょう。あのコンピューター、一旦プロテクトオフにしないと無関係の外部装置は一切接続できないから…」
「うわぁぁぁ…何てこった…」
「発電装置が切り替わるまでの時間はせいぜい十数秒ってとこだろうけど、何しろあのデカブツの処理能力はもの凄いからね…裏を返せば、貴方たち全員のデータファイルをいっぺんにおっ広げて一気に読み出しかけるのも充分可能だし、事実、その通りの作業をしてたってこと。そこへいきなり停電じゃぁ…きゃぁぁぁっ!」
 ジョー、そしてピュンマと顔つき合わせてあれこれ話し合っていたクロウディアに悲鳴を上げさせたのはまたしても…風。再度襲った突風が、その小さな身体を天高く巻き上げようとしたのであった。
「危ねぇっ!」
 とっさに手をのばし、少女の華奢な腕をがっしりとつかんだのは松井警視。不意を突かれたクロウディアはやはりまだ幼い子供のこと、とっさに自分を支えてくれた力強い腕に死に物狂いでしがみつく。そんな少女を、松井警視はしっかりと自分の腕の中に抱きかかえながら。
「なぁおい。研究所で何が起こってるのか、俺みてぇな門外漢にはさっぱりわからんが、とにかくここはさっさと作業終らせて戻った方がよかねぇか? このチビだって―いきなりあんな現れ方するくらいだから多分お前さんたち同様のスーパーガールなんだろうが―いつまでもここに置いといたひにゃ、やっぱ危険だ。それに、また別の発電パネルがはがれちまったりしたら、今度こそどうなっちまうか予測できねぇぞ」
「チビじゃないよぉ! あたしにはちゃんと、クロウディアって…名前があるんだからぁ」
 すかさず憎まれ口を叩くクロウディア。だが、いまだ松井警視に抱きしめられたまま、半分泣き顔でその胸にしがみついていては、多少迫力不足の感が否めない。…だが、そんな彼女よりも何よりも。
「お、そーか。悪かったな、クロウディア。よしよし。もう、大丈夫だからな…」
 クロウディアの出現にさっきあれほど驚いたくせに、わずかな時間であっさりしっかり立ち直り、小さな身体を全身でかばいながら優しくその頭をなでている松井警視はさすが石原医師の幼なじみ。人知を超えた現象に対する適応力、言葉を変えればその神経の図太さ、無頓着さは人類の域から大きくはみ出している。
 ともあれ、その言葉にジョーとピュンマも気を取り直したようであった。
「そう…でした。確かに松井さんのおっしゃるとおりです。それじゃ松井さん、すみませんがクロウディアを連れて、研究室に事の次第を知らせていただけませんか。あの突風を別にしても、かなり風が強くなってきた。生身の松井さんが万が一屋根から落ちたりしたら、大怪我なさいますよ。その点僕たちならサイボーグだし、屋根の補強もあともう少しで終わるし」
「う…」
 穏やかに諭すピュンマに、ほんの少し不満そうな表情を浮かべた松井警視だったが、そこはそれ、その状況判断の素早さもまた、並の人間を遥かに凌駕している。
「よしわかった。じゃ、チビ…じゃなかった、クロウディア。俺たちゃこのまま、すぐに研究室に戻るぞ。自力で下りられるか? それとも、俺がおぶって一緒に梯子で下りるか?」
「こ…子供扱い、しないでよぉ…」
 クロウディアの返事は言葉こそ勇ましかったが、やはりまだ小さく、頼りない。彼女本来の能力をもってすればあのような突発事態にも充分対処できたはずだし、このままテレポートで戻るのも簡単なことなのだろうが―戦闘時ならともかく平常時に、それも風に不意を突かれたショックがよほど大きかったのだろう。
「…ねぇ、クロウディア。君はやっぱり松井さんと一緒に研究室に戻ってくれないかな。君が先に行っちゃったら、松井さんを案内してくれる人がいなくなっちゃうだろう?」
 ジョーの優しい言葉に素直にうなづき、ピュンマと二人がかりであらためて松井警視の後ろに移してもらった少女は、そのままじっと大きくて広い背中にしがみついているばかりであった。

 そして、クロウディアを背負った松井警視は屋根を下り、そのまま研究室に駆けつけて―話はようやく冒頭に戻る。

「…に、しても…。全データの復元となったら一体どれくらい時間がかかるんでしょうね」
 つぶやいた石原医師にすかさず答えたのはギルモア博士。
「うーむ…破損したデータの量にもよるが、おそらく最低でも三時間から四時間…何しろ、その手の作業に使える端末が二つしかないからのう…」
「じゃ、ここにいる六人のうち、二人はその端末を制御するとして、残り四人は丸ごとヒマになっちゃうわけぇ?」
「残念ながらその通りみたいね。端末のおもり自体は、もちろんみんなで交代するけれども…空き時間、どうやってつぶそうか」
「お茶飲んで休憩するには長すぎるし、早めのお昼といってもまだ午前十時半じゃねぇ…」
「あの…悪いけど俺、ちょっと家の様子も見てくるわ。屋根はともかく、他の部分の補強がどうなってるか気にかかるんでな。今家に残ってるのはあの金髪のかわい子ちゃんと赤んぼだけなんだろ?」
 そう言って松井警視が出て行ったあとも、残された六人はまだ頭をひねっていた。
「昼寝でもしますか?」
「床の上に白衣敷いてザコ寝? あはは。それ、高校時代よくやったわぁ。…だけどこのトシになってからじゃ、あまりに色気のない話かも」
 小さく肩をすくめた藤蔭医師の隣、周の鈍色の瞳がきらりと光った。
「…じゃ、ゲームでもやる?」
「ゲーム? トランプか何か?」
 この時点での藤蔭医師の答えは、かなり素っ気のないものだったのだけれど。
「それもいいけど、手が空くのは四人よ、聖。四人といったら、何か思い出さない?」
 その言葉に、たちまち輝き出す黒曜石の瞳。
「そうか! 四人といえば!」
「四人と、言えば!」
「やっぱ、麻雀よねぇ〜♪」
 手と手を取り合った美女二人の見事な二重唱が研究室中に響き渡る。一方の男たちはぽかんとしてそんな女たちを眺めているだけ。

 …そして再び、ギルモア邸には二人の魔女が降臨することになるのであった。
 


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